第416話 村を出て行って
最初の一回目、盗賊の襲撃を受けた時は、前回の悪夢もよぎったものの、普通の盗賊のようだったのでいくらかの財産と農作物などを渡して穏便に引き取ってもらったのだという。
だが、二回目の盗賊が襲撃があった時、「これ以上奪われればもはや冬は越せない」と新しい村長から相談を受けた。
「お腹の子供が大切なのは分かるが、どうにかして盗賊を追い払ってくれぬか」と。
レニオとシルミラに断ることなどできなかった。冬が越せない。それは彼女たちにとっても同じく深刻な問題なのだ。
「それで、盗賊を追い払うために野風の笛を……?」
ヒッテがそう尋ねると、レニオは頷いた。
都合二度、野風の笛を使用したのだと。
野風の笛の効果はてきめんだった。血気盛んに猛っていた野盗どもは詩人のように世を儚み、涙を流して帰っていったという。
しかしその笛の音を間近で聞いた村人たちも同じように哀しみに明け暮れ、生きる気力を失くしたのだという。
さらに、魔笛の音を最も近くで聞いて、自分でその音を奏でたシルミラへの影響は尋常なものではなかったという。最初の内は妙にぼーっとしていることが多いように感じられる程度であったが、徐々に何かがあったわけでもないのに涙を流し、沈み込むことが多くなったという。
盗賊の来る少し前、彼女がレニオの子をそのお腹に宿していることが分かっていたのだが、自分の腹をなでながら「こんな世界、生まれてこない方が幸せだ」などと口にしては涙を流すようになった。
そして……
「お腹の子は……流れてしまったの……」
レニオのその言葉に、グリムナとヒッテは沈み込む。あの朗らかだったレニオが、あそこまでグリムナに憎悪を向けるのには、やはりそれだけの理由があったのだ。
子を失ったシルミラはますますふさぎ込むようになり、やがて認知の歪みも生じ始めた。すでに流れてしまったお腹の子供と会話をしたり、そこに居もしないラーラマリアやグリムナと会話を楽しんでいたり。
やがて、外部からの刺激には一切反応せず、自分の頭の中の世界に閉じこもる様に誰とも話をしなくなってしまったという。
「ごめんね……グリムナ……」
レニオはぽろぽろと涙をこぼし、袖でそれをぬぐいながら話し始める。まるで子供のように。
「自分勝手だっていうのは分かってるの……グリムナが、あの笛を善意で置いて行ったということも……分かってるの。分かってはいるの……分かっては……」
涙が止まらず、言葉を発せなくなったレニオを気遣って、グリムナは彼の隣に腰を下ろし、優しく抱きしめた。レニオはいよいよ堰を切ったように大泣きに泣いた。
愛する人の心と、大事な二人の子供を失ったのだ。たとえそれが理不尽な怒りであったとしてもそれを受け止める責任が自分にはあるとグリムナは感じたし、レニオ自身もそれが自分勝手な感情であると気づいていても、止められなかった。
どこにも昇華することのできない感情である。
やがて少し落ち着いてから、レニオはグリムナに「ありがとう」と言ってから立ち上がり、作業場の棚に無造作に置かれていた木箱を取り出した。
箱のふたを開けてグリムナに中をちらりと見せる。中身は、野風の笛である。危険だと分かっていても、しかし実際それに頼る他に方法はなかったのだと、レニオ自身理解している。
それでも、恨み言を言わずにはいられなかったのだ。そして、グリムナならきっとそれを受け止めてくれると。
「この笛は……俺が、預かっておくよ」
グリムナがそう言って笛を受け取ると、レニオはすとん、とまた椅子に座り、言いづらそうに途切れ途切れにグリムナに話しかける。
「村を……出て行って」
「何故ですか……?」
ヒッテが尋ねる。言い淀むレニオだが、しかし理由もなしに「出ていけ」などと言う無法が通ろう筈もない。
「みんな、知ってるわ。この村全体を覆う抑うつの空気の原因が野風の笛だってこと、それと、その笛を置いて行ったのがグリムナだってことも……」
言いたいことは分かる。しかし承服しかねる。ヒッテは立ち上がり、怒りの表情をあらわにしながら反論する。
「グリムナさんはッ! 皆のためを思って……!!」
「よすんだ」
だがそれをグリムナが止めた。
「ごめんね、グリムナ。理屈では分かっているの。グリムナは何も悪くないって……でも、こうでもしないと、アタシの心が耐えられないの。アタシは、グリムナみたいに強くないから……」
「グリムナだって傷ついて……」
「いいんだ、ヒッテ……行こう。
レニオ、シルミラを大事に、な」
そう言ってグリムナはヒッテの肩を抱いて、外に出ていこうとする。しかし、別れ際にレニオの放った言葉は、ヒッテを激怒させるに十分な物であった。
「グリムナはアタシの初恋の人だったの……あなたを愛している気持ちは今だって変わらない。でもアタシには、守るものができてしまったから……ごめん」
「レニオさんは身勝手です!!」
それまで泣きそうな表情をしていたヒッテが激怒した。
「どうしようもない怒りをグリムナにぶつけて、しかも自分はいい人でいようと言い訳まで用意して!! グリムナは強い人だからいくら傷つけても構わないとでも思ってるんですか!? 彼だって他の人と同じように傷ついて……」
「いいんだ、ヒッテ!」
「でも……でもこんなの、余りにも……!!」
「いいんだ……俺は大丈夫だ。もう行こう」
レニオはグリムナに対して、何か言おうと、口を開きかけたが、しかし結局何も言えずに黙り込み、呼び止めようと軽くあげた右手を所在なさげに降ろし、ぎゅっと拳を握った。
外に出るとすでに日は暮れており、辺りは暗くなっていた。秋も深まるこの季節、本来ならまだ虫達の歌い声が聞こえるはずであるが、不思議なことに、村は全くの静寂に包まれていた。
時折雲に隠される三日月の明かりの下、グリムナとヒッテは重い足取りで来た道を引き返していく。
「グリムナ……ヒッテが、ついていますから……」
グリムナは彼女のその言葉を推し量りかねた。そしてそれはヒッテ自身も同様であったが、しかしそれを言わずにはいられなかったのだ。
グリムナですら知らない。
彼女だけが知っている。グリムナの心は、もう限界なのだと。彼の横顔は、普段と変わりないように見えたが、しかしそんな筈はないのだ。レニオだけは、勇者の一行の中で常にグリムナの傍に立って発言をしていた。
そのレニオですら、グリムナを拒絶したのだ。
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