第417話 愛してなんかいない

「おっ、焼けたわね……」


 ラーラマリアがぶすぶすと煙っている枯葉を集めた焚火の中から布に包まれた芋を取り出す。熱そうにしながらもそれを手に取って、ナイフで切れ目をスッと入れると、もわっと湯気が溢れ出た。


 荷物の中から紙に包んだバターを取り出し、芋の断面に乗せると春の淡雪の如くそれは溶けだして、芳醇な油の香りを漂わせる。


「ん、サイコーね」


 ほくほくと湯気をあげる芋に、バターの油で指が汚れることも気にせずにラーラマリアは満面の笑顔でかぶりつく。


 山の中で一人で食事をしていると、背後から人の気配がした。しかしラーラマリアは振り返らず、芋を食べる手も止めずにそのまま食事を続ける。


 人影は二人、180cmを越える長身の金髪の男性に、その男よりさらに一回り大きい大柄な男。両名とも腰に剣を携えている。二人は特に気配や足音を隠そうとすることなくラーラマリアの背後に近づいてゆく。


「何の用? 食事中なんだけど?」


 食べる手を止めることなくラーラマリアが振り返りもせずに尋ねた。


「エメラルドソードを……こちらに渡してくれないか」


 聖騎士ブロッズ・ベプトが落ち着いた声で懇願する。


「イヤだと言ったら?」


「たとえ力づくでも……」


 暗黒騎士ベルドが腰の剣に手をかける。「よせ」と言ってブロッズがそれを止めた。ラーラマリアは食事が終わったようで、ハンカチで指を拭きながら振り返る。


「賢明ね。聖剣を持ってない私なら二人がかりで何とかなるかもしれないけど、今の私相手じゃ、あんた達なんて瞬殺よ」


 ベルドが一瞬不機嫌そうに眉間に皺を寄せるが、しかし剣の柄からは手を放した。彼は実際にエメラルドソードとラーラマリアの戦いぶりを間近で見ている。先ほどの言葉が大言壮語でも何でもないと知っているのだ。


「聖剣をなんに使うつもりなの? 竜を倒す算段でも付いた?」


 ベルドが一歩前に出てその問いかけに答える。


「ごちゃごちゃ隠すのは性に合わねぇからストレートに言うぜ。世界を救えるのはグリムナだけという結論に達した。お前から聖剣を譲ってもらってグリムナに竜を倒してもらう」


 あまりにもぶっきらぼうで乱暴な言い方である。ブロッズが慌てて彼の言葉を補足しようとする。


「ラーラマリアにも協力してほしいということだ。詳細は私達のアジトで話すが、グリムナと力を合わせて、竜を……」

「バカの考え休むに似たり、ってところね……」


 にべもなく否定するラーラマリアにブロッズは目を丸くして驚くが、しかしベルドは表情を崩さない。


 心のどこかでこうなることが分かっていたのかもしれない。だからこそ、先ほども説明を放棄したようないい加減な物言いだっただろう。


「グリムナが竜を倒して、その先はどうするつもりなの?」


「先?」


 先とは何か。ブロッズが思わず聞き返す。竜が倒せれば万々歳。それで終わりだ。その先などに何も問題はありはしない。そう思っていたのだが、彼女の口からきかれたのはその先の事であった。


「やっぱり何も考えてないのね。呆れるわ。いい? 竜は人がいる限り何度でも復活するのよ? 今回たまたまグリムナみたいな聖人がそれを倒したからって、次現れた時もグリムナみたいな人間が都合よく現れるとは限らないでしょう?」


 ブロッズは正直言ってラーラマリアは性的対象としてグリムナを見ているだけだと思っており、そこまでグリムナの事を高く評価しているとは知らなかったので、この言葉が意外だったようである。


「だから、竜を倒すのは私やメザンザみたいなでなければならないのよ」


 ラーラマリアやメザンザ大司教の事を『凡人』と断ずる。それはそれで暴論のようにも感じられたが、しかし彼女に言わせればその二人は『強いだけ』であり、グリムナのような人間とはモノが違うのだ。さらに彼女は続ける。


「それにもう一つ。この作戦、フィーは賛成してるの? ヒッテちゃんは何も言わなかったの?」


 ブロッズは思わず言葉に詰まってしまう。まさにラーラマリアの言う通り、フィーはこの作戦に否定的であったし、そもそもヒッテとは連絡すら取れていない。


「やっぱりね。ヒッテちゃんやフィーならこんなグリムナに全てを擦り付けるような作戦賛成するわけないと思ったわ」


 ラーラマリアは呆れたような表情を見せる。どうやら話の概要が分かっていた上でエメラルドソードの引き渡しを拒否したようだ。


「私に話を持ってくるんなら事前にそのくらいのコンセンサスを得てから来て。その程度のアウトプットもできずにアグリーを得ようなんて完全にそっちマターの都合だけで動いてるじゃない。もっとゼロベースで作戦を立て直して確実にコミットできるような内容にリスケすることね。この件はペンディングで」



 意識が高い。



 話を終えたかに見えたラーラマリアであったが、ややあってブロッズに尋ねた。


「なぜグリムナでないといけないの?」


 ブロッズは一瞬ベルドと目を見合わせてから答える。


「グリムナは、今や人々の『希望』の象徴だからだ。聖剣エメラルドソードは人々の想いを……魂を呼び寄せる力がある。竜と同様にな。

 その力を以て、竜を倒さなければいけない」


「想いを……?」


 聞き返すラーラマリアの表情に、ベルドは苦々しげな表情をする。なんともふんわりしたメルヘンな話である。そんなものにしか頼れないことに腹を立てているのだ。


「だったら、ヒッテちゃんの記憶を戻してあげて……」


「なに?」


 ラーラマリアは言葉を発して、すぐに自分の口を押えた。意図せずに、思わず出てしまった言葉のようだ。


「どういうことだ?」


 ブロッズが問いかけるとラーラマリアは暫く顔を俯かせていたが、やがてゆっくりと話し出した。


「ヒッテちゃんはこの世界で最もグリムナの事を、深く愛している人よ。だからきっと、記憶を取り戻せれば、グリムナの力になれるはずよ……」


「お前よりもか?」


 ベルドが尋ねる。ラーラマリアはぎゅっと唇を嚙む。


 そう。ベルドとブロッズの二人にとってもこのラーラマリアの発言は意外だった。てっきりこの女の事だから「私が世界で一番グリムナの事を愛している」くらいは堂々と言いそうだと思っていたのだが、まさかそんな言葉が出て来るとは。


 ラーラマリアは、ゆっくりと深呼吸をした。それほどに決意の必要な言葉を、これから言うのだ。


「私はグリムナの事を……愛してなんかいなかったわ……」


 目に涙を溜め、眉間にしわを寄せ。


 ゆっくりと、震える言葉で、語り続ける。


「私は……ただ、グリムナに愛されたいだけだった。彼の事なんか何も考えもせず……自分の事ばっかり考えていた。私はこんなにも愛しているのに、グリムナは愛してくれないなんて、逆恨みまでして。

 今ならわかる。

 あんなの……愛でも何でもなかった……」


 ぽろぽろと涙をこぼす。その姿に、ブロッズは声をかけずにはいられなかった。


「今は……違うんだろう?」


「よせ、ブロッズ

 ……一旦、出直すぞ」


 二人は来た道を引き返していった。


 嗚咽を上げて泣きじゃくるラーラマリアを残して。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る