第415話 魔笛の力
「どちら様で……?」
グリムナがノックをすると、陰気な声で応えつつドアが開いた。
「レニオ? レニオ……だよな?」
正直あまり自信がなかった。ドアをほんの少しだけ開けて対応している男性は、姿かたちは間違いなくあのレニオなのだが、随分とやつれており、何よりあの太陽のような朗らかさはどこに行ったのか、落ちくぼみ、クマのある目で、じっとグリムナを見ている。
(これがあのレニオさん……? まるで別人だ……)
ヒッテもその異様な立ち姿に恐怖を覚えた。
「グリムナ……何の用?」
またも、再会の挨拶をするでもなく、何の抑揚もなく本題に入った。しかしグリムナはもうそんなことはお構いなしに彼に村の様子を尋ねる。
「一体村で何があったんだ……この有様は一体……?」
グリムナの問いかけにレニオは暫く何もしゃべらずにじっとグリムナを眺めていたが、やがてドアを大きく開けて招き入れた。
「入って……」
覇気のない声。
家の中に入るとすぐにリビングのテーブルに突っ伏している人間が目に入った。レニオの兄弟か、父母であろう。項垂れていて顔が見えないので誰なのかは分からないが、赤毛ではないのでシルミラではなさそうだ。
レニオは、廊下の一番奥に歩いていき、その部屋の前のドアで立ち止まってグリムナに振り返った。
「『何があった』って……?」
「何があった」と聞いてから随分とタイムラグのある返答。一つ一つの挙動をとってもやはり反応がおかしい。だが以前のレニオを知る二人からすればやはりその立ち振る舞いの違和感が大きい。
レニオはドアを開けようとするのをやめ、グリムナに詰め寄った。
「あなた、分かっててあんなことをしたんじゃないの?」
「『あんなこと』? いったい何を言って……」
「とぼけないで!! あなたの置いて行ったあの魔道具のせいで、何が起こるのか知らなかったとでも言うの!?」
レニオは鬼気迫る表情でグリムナの襟首を掴み上げる。ヒッテは必死にそれを止めようと彼の腕にしがみついた。
「落ち着いて! 落ち着いてください、レニオさん!」
レニオがこんなに感情をあらわにして激昂するのを見るのは、ヒッテはもちろん、グリムナも初めてであった。居間の方でテーブルに突っ伏している人間は少しだけ顔を上げてちらりとこちらを見て、そしてまたテーブルに臥せった。客人と家人が揉めているというのに、それを止めるどころか興味すら湧かないようだ。
レニオは腕にしがみつくヒッテを振り払ってからグリムナを睨みつける。
「自分は何も知らなかった、とでもいうつもり? いいわ、そこまで言うなら、グリムナが渡した『野風の笛』が何をもたらしたのか、よぉくその眼で見てみるといいわ」
凶器をはらむような恨みの目つきでそう吐き捨てると、レニオは一番奥の部屋のドアを開けた。
静かな部屋であった。
最初、その部屋には誰もいないかのように感じられたが、よく見ると部屋の窓側に安楽椅子が置かれており、誰かがそれに座って開け放たれた窓から外を眺めていた。ショートカットの……赤毛の女性。
「シルミラ……シルミラなのか……うっ!?」
ある種異様な雰囲気を感じ取り、不安に感じながらもグリムナが駆け寄り、部屋の侵入者にも全く気付いていないかのように反応を返さなかった彼女の前に回り込み、そして言葉を失った。
目は落ちくぼみ、髪には白髪が混じっている。口はだらしなく半開きになっており、そこから垂れたよだれが下顎を濡らしている。肌には張りが無く、彼女は本来は二十そこそこの年齢のはずであるが、四十は過ぎているように老け込んで見える。
「シルミラ……一体何が起きて……」
語り掛けるグリムナに対しても、彼女は応えるどころか、視線を合わせようとすらしない。まるで彼が見えていないようである。恐怖のあまり一歩、二歩と後ずさりするグリムナとシルミラの間にレニオが入り、ハンカチを取り出して彼女のよだれを拭いた。
「大丈夫? シルミラ……またよだれが垂れてたよ……今日はお客さんが来たんだ……ほら、グリムナだよ。覚えてる?」
「う……?」
レニオの声でようやく部屋にいるグリムナとヒッテの存在に気付いたようで、ようやく彼の方に視線を向けようとする。しかし視線の動きだけではグリムナが見えず、体の向きを変えようとして、そのまま椅子からずり落ちてしまった。
シルミラは椅子から落ちても手で自分の体重を支えることができず、うめき声を上げながら床に顔を擦り付けている。
「シルミラ!」
慌ててレニオが駆け寄り、彼女の体を抱き起こし、優しくまた椅子に座らせた。
「無理しないで、シルミラ。今日はもう日も落ちてきたから窓は閉めようね……」
「う……ああ……」
レニオは彼女が外を眺めていた窓を静かに閉めた。シルミラは何かまだ言葉にならないうめき声をあげている。
「い、いや……こんなの……一体、何が……」
ヒッテは涙を流し、その場にしゃがみこんでしまった。レニオはおよそ感情の感じられない冷たい口調でグリムナに話しかける。
「本当に何も分かってないみたいね……向こうで話すわ。ついてきて」
レニオはずんずんと歩いていき、リビングから繋がる仕事場の方に移動した。彼の実家は靴屋を営んでおり、普段はまだ日の落ちたばかりの時間なら靴の修理などをしているはずであるが、作業場は薄暗く、誰もいない。
背もたれのない椅子の一つにレニオが腰かけるた。グリムナはショックを受けて呆然としているヒッテの両肩を支えるようにして、手近にある椅子に座らせ、自身も木箱に腰かけた。
座っても口を開こうとしないレニオに、グリムナが尋ねる。
「野風の笛の……影響なのか?」
「……やっぱり知ってるんじゃないの、あの呪いの笛の事を」
レニオはグリムナを睨みつける。
「外の異様な雰囲気も、野風の笛の影響なのか? なぜ、こんなことに」
「なぜこんなことにって!? あんたアレが呪いの笛だって知ってたんでしょ!! よくもぬけぬけとそんなことを!!」
取り扱いには十分に注意するように。レニオに野風の笛を渡した時に確かにそう言ったはずであったが、グリムナもヒッテもそんなことを今言うほど愚かではない。
たとえ事実だとしてもそんな責任逃れともとれる発言をすれば、レニオは激昂するであろう。
レニオはよそ見をしながらゆっくりと語りだした。
「竜の出現のせいもあったのかしら、ここには、あれから三回も盗賊の襲撃があったの」
実際に民が食い詰めている状態になれば、その上前をはねる人間というものも食い詰める。通常それは貴族、もしくは盗賊である。
その盗賊が、まだ竜の被害を受けていないこの大陸西部に押し寄せているという事なのだ。
「それで……あの笛を使ったのか……」
グリムナが小さく呟くとレニオは小さくこくりと頷いた。そして、そのまま下を向きうめき声を上げながらぽろぽろと泣き始めた。
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