第156話 猫耳少女のメキ

 薄汚れたフードを目深に被った少女はグリムナに近づいて話しかけてきた。敵意は今のところ感じない。


「何の用だ?」


 それでも若干緊張したような表情でグリムナが少女に問いかける。ヒッテも少し緊張した様子でグリムナの腕に抱きついている。少女はフードを外しながら警戒心を解くように朗らかに話しかけてきた。


「そう警戒しないでよ。お兄さんこの町は初めてでしょ? その子とどっかしけこめるところ探してるんじゃないの? いい宿紹介するからチップはずんでおくれよ」


 驚いたことに、フードを外した少女の頭には茶色のショートヘアの髪の上に大きな猫のような耳が生えていた。にこやかに喋る口からは鋭く尖った犬歯も見える。


「獣人?」


 思わず口から出てしまった言葉に、「不躾だったか」とグリムナは自分の口をふさいだ。


「獣人に驚くってことはやっぱりこの町の住人じゃないんだね。どう? いい宿紹介するよ?」


 目を糸のように細めて笑う少女の姿にヒッテも興味を示したようでまじまじと見つめていたが、グリムナは落ち着いてこれにこたえる。


「いや、宿は間に合ってる。それよりも人を探してるんだ。ヤーンって言う男なんだが、……こんな顔の奴だ、知らないか?」


グリムナがそう言って人相書きを見せると、彼女はそれを受け取って興味深そうにしばらく眺めていた。グリムナがふと気づくと、彼女の後方には猫のしっぽのようなものもうごめいて見えた。当然これはファッションなどではなく、彼女の体の一部なのであろう。少女はしばらくしてから上目遣いでグリムナに問いかけた。


「……この人、お兄さんの恋人?」

「なんでそうなるんだよ!!」


 グリムナは突っ込みと共に人相書きを取り返す。


「事情は詳しくは言えないけど、この人を探し出して、保護するために俺達はこの町に来たんだ。もし見かけたら教えてくれ。情報料ははずむから。それと人のことをロリコン扱いしたりホモ扱いするんじゃない。ベルアメール教会に見つかったらえらいことになるんだぞ。っていうかなったんだぞ」


 初対面からいきなりヒッテとしけこむ場所を探してるのか、と言われ、さらにヤーンのことを恋人と言われたグリムナは少し前に起きた裁判のことを思い出していた。ロリコンとホモ疑惑をかけられたせいでえらい目にあったのだ。もう二度とあんな目にあうのはごめんである。必死なグリムナの表情を見て少女は屈託ない笑みを見せながら答えた。


「にゃはは、お兄さんがあんまり必死だったからちょっとからかっただけだよ。それにここは悪徳の町ボスフィン。神の威光も届かないよ。金さえあれば望むものが全て手に入る街だからね。なんなら、お兄さん、私を買っちゃう? お兄さん好みだから安くしちゃうよ?」


 そう言いながら少女はシャツの胸元を引っ張ってグリムナにその中が見えるようにした。グリムナは慌てて目をそらしたが、少女は15歳くらいであろうか、まだ未発達で、栄養状態もあまりよくなさそうなその華奢な肢体は、しかし彼を赤面させるには充分であった。


「ああ!!」


 直後グリムナが絶叫と共に地面にうずくまった。ヒッテが彼の鎖骨のくぼみに指をひっかけて引き倒したのである。激痛に彼は声を失う。少女は突然の事態におろおろとしている。武術家でもない彼女にはヒッテが何をしたのか、それすら分からなかったのだ。ただ突然グリムナが絶叫を上げてうずくまったようにしか見えなかったし、実際そうであった。


「デレデレしないでください、このロリコン」


 ロリコン、と言ってもその少女とグリムナはおそらく三つほどしか年が違わないのだろうが、ヒッテは容赦しない。グリムナは苦しみながらも、何とか声を絞り出した。


「おまっ……普通そういう時は、わき腹をつねるとかだろう……鎖骨を引っぺがそうとするやつがいるか……」


 少女は半笑いで二人をなだめるように話す。


「な、なにが起こったのかわからないけど、落ち着いてよ……軽い冗談だって……」


「と、とにかく、このヤーンって人物を見つけたら、すぐに知らせてほしいんだ。俺は大通りの『イグアの宿』ってとこに宿泊してるグリムナってもんだ。頼む」


 ようやく落ち着きを取り戻したグリムナが自身の鎖骨をさすりながらそう言った。


「私の名前はメキ。何かわかったら教えてあげるからチップははずんでよ」


 朗らかに答えたメキであったが、しかしすぐに俯いて何か考え込んだ。


「……まあ、死んでなきゃ、だけどね。ただでさえこの町治安が悪いし、時期が悪いなぁ……よりによってトロールフェストの時期になんて」


「トロールフェスト? なんだそりゃ?」


 グリムナが聞き返すと、メキはそんなことも知らずに来たのか、と驚いてから説明を始めた。曰く、この地方にある、いつからなのかは分からないが、おそらくはオクタストリウムの国が建国されるよりも昔、この地に住んでいた先住民が行っていた祭りで、その先住民よりもさらに先住民であったトロールの怒りを買わないよう生け贄を捧げて、彼らを鎮めるお祭りだったのが元だという。


 現在では生け贄を捧げることは変わっていないものの、祭りは住民たちが楽しむものに変化していき、大規模な張りぼてのパレードが出たり屋台がたくさん出たりとすごい賑わいなのだという。

 生け贄自体は現在も形を変えて残しており、町の方ではパレードで賑わっているが、その騒ぎをしり目に近くの小高い丘でひっそりとヤギや牛など数頭の生け贄がささげられるという。


「そんな祭りがあるのか……南の方の風俗はあんまり調べたことなかったから知らなかったな……で、それが何で都合が悪いんだ?」


「最近……ちょっと祭りの様子が、おかしいんだよね……」


 メキが言うには、ここ数年、祭りの前後になると殺人事件が多く起こるという。尤も、トロールフェストはこのボスフィンでは一年の間で最大のお祭りだ。こういった大きなイベントの前後には住人が興奮するのか、それともまとまった金を手に入れようとするのか、事件が多くなるというのはよくあることだ。日本の年末年始やアメリカのクリスマス前も町の治安が一時的に悪くなる。


 しかしここ数年は明らかに異常だという。しかも殺された人も、まるで獣に襲われたような惨殺体で見つかるのだという。この街中で、だ。さらに、祭りの最中に喧嘩で殺されたり、神隠しにあったように行方不明になる人も多いという。ヤーンがまさかそれに偶然巻き込まれるとは考えにくいが。


「大変な話だとは思いますけど、私たちにはあまり関係なさそうですね」

「ん……まあ、そうだけどさ……」


 冷たく突き放すようなことを言うヒッテに思わずグリムナは微妙な表情をする。確かにそんな正体不明のトラブルに首を突っ込んでも解決できるなどとは思わないし、実際『たまたま』かもしれない。しかしもう少し言い方というものがあろうに、と思ったのだが、ヒッテは「まさか首を突っ込むつもりか」といった感じで睨んでくる。


「にゃはは、お兄さんもう彼女に尻に敷かれちゃってるんだね。こわいこわい」


 メキがそう言った時、遠くから女性の声が聞こえた。


「メキ!! いつまで油売ってるにゃ!! さっさと帰ってきて仕事を手伝いにゃ!!」


 その声が聞こえた時、一瞬だがフッと彼女の朗らかだった表情からすべての感情が消えうせたような、そんな感覚をグリムナは受けた。しかしそれが気のせいだったのかどうか分からないまますぐ彼女は笑顔に戻って声の聞こえた方に体を向け、顔だけをグリムナ達の方に向けて別れの言葉を述べた。


「にゃはは、お母さんに呼ばれちった。じゃ、これでね。親からの仕事は全部親の金になっちゃうから、お兄さんに買ってほしかったんだけどね!」


 そう言って彼女の母親らしき人物の方に駆けていく彼女にグリムナは微妙な表情で手を振った。さっきの「私を買わないか」というのはどうやら少し本気だったようだ。安くするとは言っていたが、何%オフだったのだろうか。

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