第49話 師匠のお宅訪問

「やっとついた……」

「結構長かったわね……」


 洞窟の入り口を前にグリムナとフィーがそう話している。とうとうピアレスト王国にある彼の師匠、ネクロゴブリコンの住処にたどり着いたのである。


「ここなんですか? 師匠のアジトって……獣の巣穴にしか見えませんけど」


 ヒッテが洞窟の入り口を見ながらそう言うが、実際元は動物の巣穴か何かなのだろう。今住んでるのもゴブリンだから似たようなものだ。入り口は成人がしゃがんでようやく入れる程度の高さしかないし、その入口も草木で隠されて視認性が非常に悪い。そのこともあり、グリムナの記憶が不確かなせいもあって場所の特定に随分と時間がかかってしまった。

 しかし、実際のところ『そういう場所』だからこそネクロゴブリコンは住処に選んだのだろう。彼はあまり人間と深く関わり合いになりたくないようであった。その彼がグリムナに対しては自ら接触してきたのだ。グリムナなら何かを変えられる、そう思ったのだろう。


「中は結構広いわね……」

「まあ、ここで俺は修行してたからな。最低限その広さはあるよ」


 中は確かに広い。不自由なく行動できるレベルではある。とはいうものの、あくまで入り口と比べれば、という程度であり、天井の高さは2メートルと少し、と言ったところである。横への広がりはかなりあるようで、いくつかの分岐した穴が奥へと続いているが。フィーとグリムナがぶつぶつ話しているとヒッテが話しかけてきた。


「いるんですかね……? ご主人様、師匠の名前ってなんですか?」


「ネクロゴブリコンだ」


 グリムナの言葉にフィーとヒッテがギョッとした。もちろん彼女らはこの名を聞いたことは一度もないが、このアンデッドとゴブリンを足して二で割ったような名前の人物が果たして人間であるのか? そう問われれば彼女は『人間に違いない』などと自信をもっては答えられない。名前だけとってもそうであるのに、そのネクロゴブリコンを師匠と呼んでいるのはあのグリムナなのだ。

 人を食らうトロールにでさえ情けをかけ、キスをし、助ける。そんな頭のおかしい男が師匠と呼んでいる人物、これはますます人間ではない可能性が高くなったと言えよう。


「ししょーう! いませんか!? 師匠!!」


 そんなヒッテ達の気持ちにも気づかず、グリムナは師匠を探す。広い洞穴ではないのでもう声は聞こえているはずである。


「ねえ、あんたの師匠って、ゴブリンなの?」


 フィーが困惑した表情でグリムナに問いただす。グリムナは世間一般の常識にそこまで疎い男ではない。フィーが自分の異常性を指摘しようとしているのだろうということは分かる。人がゴブリンに師事するなど、前代未聞の珍事である。彼自身そんな事例は自分以外では聞いたことなどない。ゴブリンと言えば力なき者から見れば恐るべき邪悪な魔物であり、また力あるものから見れば、その邪悪な魔物の中でも最底辺の歯牙にもかけぬ弱い者であり、軽蔑の対象でもある。そのゴブリンに師事するなど人としてのプライドがないのか、他人から見ればそういった叱責を受けるであろうことはグリムナも分からないでもない。しかしフィーの突っ込みは予想外の角度から来た。


「あなたゴブリンとキスしたの?」


「おふぅ……」


 グリムナは思わず頭を抱える。そうだった。そのことをこの二人は知っているのだった。


 そうこうしているうちに奥にある分かれ道の洞穴のうちの一つからゴソゴソと音がした。三人ともがハッとしてそちらの方に振り向く。フィーは矢筒に手を伸ばしており、ヒッテはさっとグリムナの後ろに身を隠した。

 果たして姿を現した者は、グリムナの師匠、ネクロゴブリコンであった。グリムナは緊張の表情を緩める。しかし、ネクロゴブリコンはまだ顔が少しこわばっている。ヒッテとフィーの存在を警戒しているのだろう。


 フィーの方はというと、やはり矢筒に手を伸ばしたまま警戒している。名前からしてゴブリンだろうということは予想していたものの、ここまで年老いたゴブリンなど見たことがなかった。

 ゴブリンのコミュニティには基本的に共助という考え方が少ない。狩りのできなくなった老いたゴブリンはコミュニティから追放され、やがて野垂れ死にするのだ。よって、通常ゴブリンの寿命は20年ほどと言われているが、それを超えたゴブリンはエサを得ることができなくなって死ぬのであり、彼らの天寿がいくつくらいなのかは知られていない。

 つまり、見識の広いエルフにとっても『老いたゴブリン』というものは大変に珍しい、いや、聞いたこともない物なのだ。


「お久しぶりです、師匠。少しお話を聞きたいことがあってきたんです。こっちの二人は今の俺の新しい仲間で、奴隷のヒッテとダークエルフのフィーです」


 グリムナがそう言うとようやくネクロゴブリコンも緊張を解いて、口を開いた。


「なるほど……風の噂で勇者から追い出されたとは聞いたが、そ奴らが今のお主の仲間か……しかしダークエルフとはなんだ? 普通のエルフとは違うのか?」


「え? 師匠、知らないんですか? ダークエルフってのは、こう……ダークなエルフですよ。ほら、見た感じ普通のエルフよりダークでしょう? 普通のエルフ見たことないですけど。性格とか嗜好もかなり人の道から外れてダークな感じですよ……」


 確かに腐女子のレイシストともなれば、かなりアライメントはDARK-CHAOS寄りであると言えよう。この意味不明なグリムナの説明にフィーも乗ってきた。


「そ、そうよ……闇の眷属を……舐めたらあかんぜよ!」


 ネクロゴブリコンは首をかしげながら「闇……?」とぶつぶつ呟いていたが、とぼとぼと歩いて部屋の端においてある粗末な椅子の上に座ってから言った。


「それで、何の用で来たんじゃ?」


 グリムナは事の顛末を師匠に説明した。主な内容はベアリスから聞いた話、竜と死神は深い関係があるらしい、竜の眠った場所に死神の神殿が作られ、そこで竜を倒すための聖剣、エメラルドソードが作られたか、作ろうとしたのか、ともかく死神の神殿に関することを何か知らないか、ということを彼に尋ねた。


 グリムナの話が終わると、ネクロゴブリコンは腕を組んでううむ……と考え込んでしまった。「竜か……ふむ、竜……」と何やらぶつぶつと呟いている。しばらく考え込んでいたが、やがてグリムナの方を見つめて言った。


「なるほど、竜な……わしも確かにそのことは気にしておる。というか、もともとお主にその技術を与えたのも、お主が世界に平和をもたらすことができれば、竜の復活を防げるのではないか、と思ったからじゃ……しかし、死神の神殿か……」


 ネクロゴブリコンはそう言って再び考え込んでしまった。グリムナは「死神の神殿について何か知らないか」と再びネクロゴブリコンに問いかけた。ネクロゴブリコンはまだ少し悩んでいるようなそぶりを見せたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「死神の神殿に関しては儂は何も知らん。それを探している連中は知っているがな……名を、『ヴァローク』という……」


「ヴァローク!?」


 グリムナとヒッテが同時に聞き返した。急に大声を出したのでネクロゴブリコンは面食らった表情をしている。


「なんじゃお主ら、ヴァロークを知っておるのか?」


 ネクロゴブリコンは額から汗を流し、驚きを隠せないでいる。グリムナにとってはアンキリキリウムの町とターヤ王国の王都カルドヤヴィで二回遭遇した男、その男の名が『ヴァローク』である。果たしてそれは偶然であろうか。偶然名が一致したとでもいうのだろうか。

 二人がこのことを説明するとまたもやネクロゴブリコンは黙り込んで考え事をし出した。何やら独り言をぶつぶつと言っている。一人暮らしが長そうなので考え事をすると口に出してしまう癖が出ているのだろう。


「お師匠様、ヴァロークの事を『連中』と言いましたよね? 俺の知ってるヴァロークは個人名だと思っていましたが、何かの組織なんですか?」


 ネクロゴブリコンはそのグリムナの問いには答えずにまだ考え事をしていたが、しばらくしてやっと口を開いた。それは独り言とも話しかけているとも、何とも判別しづらい言葉ではあったが……


「なぜ……? ヴァロークの連中が、グリムナをつけまわっているとでもいうのか……?」


 しかしその彼のつぶやきに答えたのはヒッテであった。


「ヴァロークが付け回してるのはご主人様じゃなくてヒッテですよ。小さいころから度々ヒッテの前に現れてます。ちなみに、ヒッテに戦い方を教えたのもヴァロークです」


 この言葉にネクロゴブリコンとグリムナは一様に驚きの表情を見せた。グリムナはヒッテが小さいころからヴァロークと知り合いであることは知ってはいたものの、『戦い方を教えた』というのは初耳である。ネクロゴブリコンは驚愕の表情を保ったまま目を見開いて話す。しかしその言葉はやはりヒッテやグリムナに対して語り掛けているというよりは自分の考えを整理するための独り言のように見える。


「どういうことじゃ……?なぜこんな少女に……本当にただの個人的な知り合いなのか? いや、だとしたら『ヴァローク』とは名乗らんはず……」

「どうしたんですか、師匠? ヴァロークの事を何か知っているんですか?」


 グリムナの言葉にネクロゴブリコンは悩んでいるような表情をしてじっと彼の目を見つめていたが、やがて申し訳なさそうに口を開いた。


「……すまん、それは、儂の口から言うことは出来ん。彼らにも何か考えがあってのことかもしれんしな……しかしヴァロークがこの子に目をつけている理由は全く分からんな。この子は一体何なんじゃ?」


 椅子から立ち上がったネクロゴブリコンがヒッテの前に歩み寄ってそう問いかける。ヒッテはグリムナの陰に少し隠れて、彼のシャツをぎゅっと握っている。仲間と分かってもやはりゴブリンの外見が怖いのだろう。ネクロゴブリコンはただでさえ醜悪なゴブリンの外見に深いしわが刻み込まれた恐ろしい相貌をしている。


 ここだけの話だが、この恐ろしい外見のモンスターに舌入れてキスした奴がいるらしい。

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