第170話 アホはアホのまま

 とにかくである。とりあえずグリムナはこの品性の劣ったエルフのことはいったん棚上げすることにした。


 正直こういうのは気づいたときにその都度注意していかなければいけないような気がするのではあるが、60年以上もこの考え方で生きてきたエルフを更生させることは非常に難しいような気がするし、豊満な胸を反り倒れんばかりに張って自信満々に語る脳足りんに分かりやすく説明できる自信もない。


 そして、このアホが今しばらくアホのままでいても特に旅に支障はない。


 それよりも今はもっと喫緊の課題があるのだ。攫われたメキを助けねばならない。ガラテアファミリーのアジトに……いや、この町の支配者ともいえる者どもだ。アジトというよりは『本拠地』であるか。其処へ行って彼女を助けねばならない。

 図らずも聖騎士ブロッズ・ベプトの言うとおりになったしまった。もはやグリムナはこの町の支配者であるマフィアとがっぷり四つに組んで正面から対峙しなくてはならない事態に足を踏み込んでいたのだ。


「それでは、俺はメキを助けに行きます。決して希望を捨てないでください」


 グリムナはメキの両親からガラテアファミリーの本拠地の場所を聞くと、そう言ってその場を離れた。その足は力強く大地を踏みしめる。これからたった四人で、マフィアとの正面対決である。


「行ったにゃ……本当に……」

「そうね……」


 メキの両親は互いの顔を見あった。グリムナ達の後ろ姿が見えなくなると、すぐに先ほどノウラ・ガラテアから貰った金子きんすを取り出し中身を確認した。二人の顔はその輝きを確認すると瞬時にいやらしい笑顔へと変貌した。


「ひひ……金貨だにゃ……」

「これなら十分元が取れるにゃ……ガラテアもそう悪くない奴らだね……」


 二人がぼそぼそと話し合っていると、彼らの後ろから声をかける集団がいた。数人の屈強な男たちがボディーガードのように一人の小柄な老人を囲むように立っている。


「よぅ……随分と楽しそうにしているじゃねえかい」


 二人はすぐに振り向いたが、そう豪華な服装をしているわけでも高価な服飾品をつけているわけでもない老人の胸についているオオカミの頭部の意匠のワッペンを見て表情を凍り付かせた。


「そのワッペンは……メッツァトル商会の……幹部の方で……?」


 メキの父親が恐怖に顔をゆがませながらもなんとか老人に尋ねる。


「ま、お前らみてえな下っ端どころかうちの息のかかったところで仕事してるだけの奴がボスの顔までは知らねぇか……」


 その小柄な老人こそメッツァトル商会の筆頭、ラウリ・オウナフーであった。


 メッツァトル商会、この国を支配する三大マフィアの一つであり、その名は『森の生き物』を意味する。これはオオカミの隠語であり、古来よりこのオクタストル地方ではオオカミを真名で呼ぶと即座にその姿を現すと信じられていたため、多くの隠語で呼ぶ習慣があり、そのうちの一つがこのメッツァトルである。


 ラウリはメキの父親に近づき、柔らかい笑顔で話しかける。


「話は聞かせてもらったよ……なんでも娘を誘拐されたとか。大変だねぇ。許せないねぇ。ガラテアファミリーの奴ら……おいらの大切な従業員の家族に手を出すなんて」


 メキの父の表情が強張り、額から冷や汗を流す。いくらなんても話が早すぎる。この老人は一連の殺人事件、そしてガラテアファミリーの動きをおそらくずっと監視して、把握していたのだろう。そして事が起きた後で待ち構えていたように彼に接触して、表向きは親切に接してきているのだ。

 それはつまり、メッツァトル商会はガラテアファミリーに因縁をつけるスキを探していたという事になる。自分が、自分の家族がきっかけてこのボスフィンに戦争が起こる。それが分かったからこそメキの父親は恐怖に恐れおののいているのだ。


 ラウリは胸のオオカミのワッペンをメキの父につまんで見せながらさらに顔を近づけて話す。


「オオカミってのはよ……家族を大事にする生き物なんだ……是非おいらに、家族を助け出す手助けをさせて欲しいなぁ~」


 その猫なで声はメキの父にとっては恐怖の対象でしかない。しかし彼は震えながらも、何とか声を絞り出す。


「い、いえ……実は、ガラテアからは金を受け取ってまして……さっ、攫われたわけでは……」


 グリムナにははっきりと『攫われた』と言った彼ではあったが、ラウリには真実を話した。ぽっと出の親切な男とマフィアのボス、相手が違えば話す『真実』も変わってくる。当然の仕儀である。ラウリは大げさに驚いたような表情を見せて話を続ける。


「なにぃ? そいつぁ困るなぁ……ガラテアはお前さんらを脅して娘を攫って行ったんだろう? たとえば……」


 そう言ってラウリは後ろに控えていたボディーガードに目配せし、彼らに話しかけるように大きな声で言った。


「家に火をつけて脅した、とかなぁ……なあ! そうだよな! お前ら!! そんなことされちまったら、メッツァトル商会としても黙ってはいられねぇよなぁ!!」


 ボディーガードの一人が、懐から酒瓶を取り出し、中の液体をメキの家のドアにバラまいて、次に火打石と打ち金を取り出した。


「ひっ、待って、待ってください! どうかお許しを!!」


「許す? バカ言っちゃいけねぇ……おいらはただあんた達を助けたいだけさ……」





 グリムナは歩きながら少し後ろを振り向いた。


「なんだ? 妙に明るいな……火事かなんかか?」


「ご主人様、振り返ってる時間はないですよ。早くメキさんを助けに行かないと」


「そうだな……」


 そう言ってグリムナは歩き始めたが、巨大な黒い影が彼の前に立ちはだかった。その影は、身の丈2メートル余り、丸太のように太い手足に、緑色の毛むくじゃらの体をしており……


「ヤーン、か……」


 その黒い影は、グリムナの問いかけに否定も肯定もせず、ただ静かに、ゆっくりと彼に話しかけるのだった。


「メキが攫われたのは……ヤーンのせい……メキは、ヤーンが取り戻す……」


 グリムナは何も言わず、巨大な影に臆することもなく、ただ無言でその右手をトロールの前に差し出した。するとトロールも右手を出し、強くグリムナの手を握った。


「一人じゃできなくったって、協力すればできないことなんてないさ。俺はお前の味方だ、ヤーン」


 時刻は夜の七時を少し過ぎたころ。しかし町には夕飯の香りよりも、家が燃えるきな臭い匂いが立ち込めていた。もうもうと黒煙が上がり、人々の悲鳴が聞こえる。悪魔が跳梁跋扈し、人を食らう町。果たして悪魔とは、悪魔であろうか。人であろうか。


 町の一角、高い建物の煙突に背を預け、一人の女が煙草を吸っていた。絹の如き光沢の黒髪に、赤い美しいドレスで包んだ煽情的な肢体。両の眼は爛々と怪しい光を放っている。ふぅっと煙を吐き出すと誰に話すでもなく蜂蜜の如き甘くねっとりとした言葉を紡ぎだす。


「今年のトロールフェストは……面白くなりそぅねぇ……」

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