第171話 恋は盲目

 ガシャン、という大きい音と共に牢屋のドアが閉められ、南京錠でカギがかけられた。


「わたしは……どうなるんですか……」


 メキが恐る恐る尋ねると、ノウラは手にしたキセルに口をつけ、ふうっと煙を吐いてからゆっくりと答えた。


「まあ、それはアンタ次第でもあるし、あんたのお友達次第でもあるかな……アンタがうまく人質として機能してくれれば、あのトロールを使ってロイコンボとメッツァトルを潰して、あたしたちがこの町の支配者になれる。」


 そういうとノウラ・ガラテアは自分の後頭部に手を回し、ゆっくりと眼帯を外して右目を見せた。その眼窩には怪しく輝く緑色の宝石が嵌められている。メキは噂に聞いたことがあった。ガラテアファミリーの女ボス。その右目の眼窩にはめられた魔石の力により真実を見抜く力があり、決して嘘は通用しない、と。


「あんた、さっきアタシが質問した時、決して嘘は言ってないけど、必ずしも本当のことも言ってはいないわね……?」


 ノウラの右目が怪しく輝く。


「答えなさい……ガラテアファミリーの構成員を襲っている奴……あんたは心当たりがあるんじゃあないの?」


 メキはうろたえながらもその怪しい輝きを放つ右目から目をそらすことができない。小さいうめき声を漏らしながら苦悶の表情を浮かべている。


「答えるんだ! 心当たりがあるんだろう!?」


「う……ヤーン……最近家に転がり込んできた、ヤーンがあやしい……」


 メキは目の焦点も合わず、膝もわらっている。しかしそれでも両の目を見開き、彼女の右目から目をそらすことができない。その光景は、とても正気の沙汰であるようには思えなかった。


「いい子だ……ヤーン……そいつは何者だい? たった一人でうちらを襲ったっていうのかい?」


「ヤーンは……トロールの力を持って……ううぅぅ……」


 メキはとうとう自分の体重を支え切れず、膝をついてしまった。しかしそれでもまだノウラの右目を見続けている。口はだらしなく半開きになり、その口の端からはよだれが垂れている。


「ボス、それ以上は……魂が、なくなっちまいます」


 傍に控えていたボディーガード兼秘書の男がノウラにそう語りかけると、彼女は「フフ」と笑ってから眼帯をつけ、右目を元の通りに隠した。メキはそのままドサッと倒れ、荒く呼吸をしている。一連のやり取りの間ボディーガードは極力ノウラの方を見ないように顔をそらしていた。


「それにしてもトロールだと? 噂通りとはいえ、そんな生き物が町に紛れ込んで暴れているっていうのかい……」


 ノウラはしばし考えこむ。この国は南側を魔族の国、ウェンデントートと接している。国の中にそう言った人ならざる魔の者が紛れ込むことも、実を言うとそこまで珍しい事ではない。実際目の前にいる少女、メキは半魔半人の獣人の少女である。しかしそういったものが大きな事件を起こすというのはあまり聞いたことがない。彼らはこの国では『お客さん』である。あまり派手に問題を起こしてはいけない、というのが暗黙のルールであるのだが、今回の事件は明らかにその範疇を逸脱した行為だ。


 なぜ問題を起こしたがらない魔の者がこれだけの騒ぎを起こすのか。しかしノウラにはそのことにもある程度の目星はついている。


 ノウラは改めて牢屋の中で息も絶え絶えの状態で倒れ込んでいるメキを見下ろした。年のころは15歳くらい、成熟しきっていないが、少女とも言い難いなんとも言えない魅力を持った若々しい体。今は閉じられているが、アーモンドのような、大きい瞳に丸い顔。柔らかい起毛で覆われた大きな耳。なんとも庇護欲をそそる存在である。

 ただ傍にいるだけで『守りたい』と思わせる。そしてそれは同時に自分がいかに優れた存在であり、強い力を持っているかという事を実感させてくれる存在でもある。

 人は、すぐそばに弱く、愚かな差別対象がいると安心するのだ。

 だからこそ獣人は北の連中の貴族や金持ちにも大変に人気があり、高く売れる。それが今回の事の発端となっていることでもあるのだが。


「恋は盲目、か……」


 そう呟いてノウラはニヤリとその口角を上げた。


「男ってのは頭のいい女や強い女ってのが嫌いなのさ……自分よりも圧倒的に弱くてバカな……こいつみたいな、自尊心を刺激してくれるような女を欲するのさ……」


「だからボスはいい歳こいて独り身なんですね……」


 鈍い音と共に、ノウラのサイドキックが男にめり込んだ。パンプスのヒールには血がついている。


「くだらないこと言ってないで襲撃に備えな! こいつの話が確かなら今からそのトロールがここを襲いに来るはずだよ!!

 時間さえあればこの娘の魂をゆっくりと吸い取ってゾンビーみたいにして言うことを聞かせるって手もあるけどねぇ……まあ、そううまくはいかないか」


 ノウラ達が今いる場所はガラテアファミリーの本拠地のある建物の地下にある牢であったが、わき腹を抑えながらボディーガードが部下に指示をしに行こうと、よろよろと立ち上がると同時に、部屋のドアがバンッと開けられて慌てた様子の構成員数人が入ってきた。


「ボス! まずいことになりました!!」


 かなり焦った様子である。まさかもうトロールが襲撃してきたのか、予想外の早さであったことにノウラは驚いたようであったが、すぐに冷静さを取り戻して何があったかを尋ねた。しかし男たちの報告は全く予想だにしなかったものであった。


「メッツァトル商会の奴らから各拠点が一斉に攻撃を受けてるらしいです! 構成員の家族を攫ったガラテアファミリーを許すな、って息巻いてるらしくて……」


 さすがにこの報告にノウラは驚きを隠せなかった。この事態を恐れたからこそ、メキの家がメッツァトル商会の構成員ではなく、ただ系列の職場で働いているだけの従業員という事も事前に調べていた。この事態を恐れていたからこそ、十分な金を払って穏便にメキを『購入』した。それでもなおメッツァトル商会は攻撃を仕掛けてきたのだ。

 万全を期して慎重に行動したつもりであったが、それもすべてあの老獪なメッツァトルのボス、ラウリ・オウナフーの手のひらの上であったというのだ。


 法に触れないように、言質を取られないように、隙を見せないように行動しても、マフィアは穴をこじ開けて無理やり通ってくるのだ。元々マフィアの世界に身を置いておらず、『常識』の世界で生きていた彼女には、そこがすっぽりと抜け落ちていた。道理など通っていなくとも、因縁をつける理由があれば何でもいいのである。


「すぐに兵力の半分を支援に向かわせろ! 半分は残してここの防衛だ! トロールが攻めてくる可能性が高い!」


 ノウラは自身のボディーガードの男にも、すぐに準備に向かわせると、一人だけ牢屋の部屋に残ると言った。ボディーガードが「この部屋の防衛は?」と聞いたが、ノウラはそんなもの必要ないと言う。この階層は階段から降りて、幅の広い廊下のような縦長の部屋の両脇に牢屋が展開しており、その一番奥にメキが囚われている。


「この部屋なら、たとえ何百人入ってこようが、アタシは撃退できるさ。それより火を放たれないようにだけ注意を払いな」


 その言葉を受けて部下たちは上の階層に上がり、ある者は外へメッツァトル商会との戦いに、ある者は館の防衛についた。ノウラは全員が部屋の外に出て行ったことを確認してから、奥に置いてあった木箱に腰を掛け、大きなため息をついた。


 彼女は、そのまま体をくの字に曲げ、頭を抱え込んでしまった。


「もおおおぉぉう~~ やぁだあぁぁぁ~……」


 静かな牢屋の中、彼女の嘆き越えだけが響く。


「やだやだやだやだやだやだ……なんでマフィアってやることなすことみんな無茶苦茶なのぉ~……こっちゃ揉め事にならないように細心の注意を払ったっていうのにぃ……」


 いつの間にかメキは意識を取り戻しており、戸惑った表情で突然本音を吐露したノウラの方を見ている。


「え……えと、大丈夫、ですか……?」


 ノウラは顔を少し上げて、ちらりとメキの方を見た。


「あんた……彼氏のヤーンってのはイケメン……?」


 メキは顔を赤くして答える。


「い、いや、まだ彼氏ってわけじゃ……まあ、イケメンというか、こう……柔らかいっていうか、優しい感じの……まあ、イケメンですね」


 もじもじしながら答えるメキにノウラは若干イライラしたような表情で冷たく言い放った。



「あんたは絶対ド変態の貴族に売ってやるわ」

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