第100話 フィーの過去
「はぁぁぁ……今日は疲れたなぁ~……」
フィーがベッドに寝そべって大きなため息をついた。
明け方突然の母の襲撃、そして世界樹見学からのグリムナと母、メルエルテとの大喧嘩。さらにその後昼飯を挟んで数百年にわたる日誌の中から過去の世界樹のスケッチを見つけ出すことができたため、現状の姿との比較をした。そして比較の結果、幹の大きさはそれほど変わっていないと仮定して、やはり葉の数が明らかに減っていることが分かったのだ。結局一日仕事となってしまった。
「それにしてもあんないい加減な仕事っぷりで食わせてもらってたとは……逃げ出しといてなんだけど、呆れるわ。ねえ、ヒッテちゃん」
フィーは寝返りを打って同室でストレッチをしながらくつろいでいるヒッテにそう話しかけた。現在この二人はフィーの実家にあった彼女の部屋で寝る前に雑談をしている。
二人はエルフの隠れ里にあるこの家に泊まることになり、バッソーとグリムナの男性陣は世界樹の横にあった詰め所のベッドで休んでいるはずである。
「それにしても、やっぱりフィーさん、世界樹に関係ある家系だったんですね。名前の意味が『風の世界樹』って意味だからもしかして、とは思ってたんですけど」
「よく知ってるわね」
ヒッテが喋っていると、そう言いながらメルエルテが部屋に入ってきて、トレイにのせて持ってきた三人分の飲み物を、それぞれの前に置いた。
「そう言えばヒッテちゃん、前に歌を歌ってた時に『フィー・ラ・フーリ』は『風の世界樹』って意味だって言ってたわね」
フィーの言葉にメルエルテが答える。
「元々は北方で使われていた古語でね。『フーリ』は世界樹、『ラ』は場所を意味する単語の前に置かれる前置詞で、『~の所有する場所』、『~が守る場所』という意味になるわ。それで、『フィー』は風という意味。『フィー・ラ・フーリ』は『風が守る世界樹』という意味よ」
フィーはポカンとした顔で「へぇ」と呟いた。やはりこの女、自分の名前の意味も知らなかったのである。
「メルさん、メルさんの一族はずっと世界樹を守っているんですか? 世界樹って一体なんなんですか?」
ヒッテがそう尋ねると、メルエルテは部屋から出て行き、しばらくすると、少し小さめの肖像画のようなものを持って戻ってきた。そこには優しい表情の初老の女エルフの顔が描かれていた。
「これが私たちの一族の始祖、イメージキャラクターのエンフェッシ・ルウムよ。1万年前、まだこの大陸に人間がいなかったころ、古き神々から世界樹の苗木を預かって、この地にそれを植えたと言われているわ。エンフェッシはのちにこの大陸に渡ってきたヒューマンに知恵と魔法を授けて、その発展に尽力した、という設定だと言われているわ……」
メルエルテがそう説明すると、フィーは大層興奮した様子で食いついてきた。
「何それ凄い! なんか誇らしいわね……」
「い、いや、ちょっと待って……」
しかしそれをメルエルテが制止する。ヒッテも何か引っかかることがあるようで、メルエルテに尋ねた。
「イメージキャラクターってどういうことですか? 設定って?」
この質問にメルエルテは観念したように目を伏せ、ふぅ、と小さいため息をついた。
「まあ、その……あくまで『そういう設定』ってことで、フィクションって考えてもらって……あんまり他の部族の前では大声で言わないでほしいのよね……」
「肖像画まであるのに!?」
フィーがまだ諦めきれないようだがメルエルテは恥ずかしそうに手で顔を覆ったまま話す。
「当然そういう話になるだろうから今まであんまり言わなかったんだけど、常識的に考えて一万年前の人間の肖像画なんて残ってるわけないわよね……神から世界樹を貰ったってのもアレだし。まあ、神話の類だから参考までに……特にフィーは本当に、あんまり人の前で言わないでね」
なぜ自分だけ名指しなのか、とフィーは不満顔であるが、その気持ちに気づいたようでメルエルテが続けた。
「いや、だってあなた……思春期の頃にうちが世界樹を守る巫女の家系だって知った時もすごかったじゃない。『私はほかの子たちとは違うのよ』ってオーラで近づきがたかったって、カーノ君も言ってたわよ。雷雲が出るたびに空を睨みつけて『始まったか……お前たちに世界樹は好きにさせない!』とか言って格好つけてたし、右手を押さえながら『くっ……今はまだ早い! 私の体……もってくれるか!?」とか、見ててホント痛々しかったわよ」
腐女子でレイシストで中二病、色々とこの女極まっているな、と思ってから、ヒッテは口を開いた。
「『痛々しかった』というか、多分現在進行形で痛いですよ、この人」
「どっ、どういう意味よ、ヒッテちゃん!?」
「じゃあ『ダークエルフ』って何ですか?」
この言葉にフィーは思わず黙り込んでしまう。
「それ私も気になってたんだけど、なんであんたそんなに日焼けしてんの? 里に住んでた時は普通だったわよね。『ダークエルフ』なんて名乗ってるの? なんで?」
「いや……その……ダークな方が、格好いいかなぁって……」
ヒッテの見込み通り、やはりこの女の中二病は治っていなかった。メルエルテは「はぁ」と、ため息をついてドアの方に歩み寄っていった。
「まあいいや。あなた達それ飲んだら早く寝なさいね。呪いの件は明日診てあげるわ」
「母親って大変だなぁ」そう感じてヒッテは自分のコップのドリンクを飲みほした。
さて、一方こちらは世界樹の脇にある詰め所、そこに寝泊まりしているグリムナとバッソーである。
「それにしても、いい女じゃけど、きっつい女じゃったのう……」
ベッドの上で肩肘ついて横寝の態勢でバッソーが独り言を言った。今日だけで二度も言い争ったグリムナはこの言葉にただただ同意である。本当を言うと彼女には聞きたいことがまだほかにあったのだ。ヒッテの手首の『呪い』の事はもちろんなのだが、実を言うと竜についても聞きたいのだ。
以前に彼女と話したとき竜が現れたのは彼女の両親がまだ小さいころだと言っていた。それが物心つく前なのかどうかは分からないが、もし何か覚えていることがあるのなら教えてほしいと思っていたのだ。
グリムナが今日分かったこと、これからどう動くか、明日メルエルテに聞きたいことをノートにまとめて考えていると、コンコン、とドアを叩く音がした。
「私よ、開けてくれる?」
グリムナがすぐに席を立ってドアを開けると、フード付きのマントを羽織ったメルエルテであった。
「あはは……ごめんな、あの~……やっぱ……ちょっと、世界樹の件納得いかんなぁ、って……」
朝の続きである。グリムナはすぐに表情が暗くなった。メルエルテも彼の表情に気付いたようではあるが、構わず話を続ける。
「あの……何をもって『ちっちゃい』と思ったのかなあ、ってなってな……だって、普通に考えたら……めっちゃおっきいやん?」
妙に理屈っぽい話し方にうんざりしながらもグリムナが答える。
「いや、朝も言いましたけど、その……言い伝えの竜のスケール感で考えてたところがあったんで……それと比べるとちょっと……って」
これを聞いて、メルエルテは大あくびを一つしてから答えた。
「あふ……ごめんな、昼間めっちゃ働いたからちょっと眠くなっててんな……あんなぁ、結局そういうところやん? 世界樹はおっきいよ? おっきいけど、結局竜と比べるから『ちっちゃい』って感じるわけやん? 世界樹の大きさは変わってないのに……そんなん、なあ……」
「悲しいやん?」
知らんがな
非常にうざい。もう終わった話ではないか、いい加減にしてくれ、というのがグリムナの正直な気持ちであったが、そんなことお構いなしにメルエルテは話を続ける。
彼女は「ちょっと歩きながら外で話そか」と言って、バッソーを小屋に置き去りにしてグリムナを連れ出した。
「結局、世界樹の大きさは変わってないわけやんね? あんなおっきい木……普通ないやん?」
歩きながら話すメルエルテであるが、正直グリムナは「この話、いつまで続くのか」と辟易している。
「おっきいリンゴと……ちっちゃいスイカは……どっちが大きいんかなぁ? って……ハハ」
(うっざっっ……!!)
グリムナは心の叫びを、心の内だけに繋ぎ留めておくことに必死である。
(あかんどうしよう……許容範囲をはるかに超えてうざい……)
正直グリムナはエルフの実力を少し舐めていたところがあった、と後悔した。たった一言でここまで事態がこじれるとは。
「でな? この悲しい気持ちを自分にどうしたら分かってもらえるか、って、考えててん」
一言「ちっちゃい」と言っただけで一日中説教される。この時点ですでに相当悲しいが、めんどくさくなること請け合いなので、グリムナはあえて黙って話を聞いていた。
「でなあ、自分……持ち合わせ、ある?」
「も、持ち合わせ?」
「うん、持ち合わせ。持ち合わ……ああ、もうええわ。言うわ。……お金ある?」
「ん……まあ、あるは、ありますけど……」
なんとなく嫌な予感がしながらも、腰に下げていた袋からグリムナがじゃらじゃらと銅貨を取り出す。
「それ……もらおか?」
「はぁ?」
要は、カツアゲである。彼は、以前にヒッテにカツアゲされた苦い過去の記憶が蘇った。
「別にお金欲しいわけちゃうねん。ただな? 自分に、この悲しい気持ちを分かって欲しかってん。 自分が、『ちょっとへこむなぁ~』ってくらいのお金を出して欲しいねん」
「さっき自分も言うてたけど、竜のあるなしで世界樹のおっきい、ちっちゃいが変わるわけやん。ヒューマンの勝手な理屈でな?」
「……泣けるやん?」
だからなんなんだこの女は。
「まあ、ある意味歪んだ人間社会の被害者なわけやん? 世界樹は」
「はぁ、まあ……」
「ゴメンナサイしよか? ほしたらな……謝罪には、賠償がつきもんやん……?」
要は、慰謝料を払えということだ。非常に回りくどいが、そう言うことなのだ。
無茶苦茶な言いようである。しかし、おそらくこれに応じなければ話は進むまい。グリムナは手を出しながら消え入りそうな声でぼそぼそと呟く。
「ちょっと今……小銭ばっかですけども……」
しかしメルエルテは満足したのか、にやにやと笑いながらその小銭を受け取りながら言った。
「世界樹の大きさからしたらめっちゃ『小』銭やけどな……はは」
「ハハ、ハ……」
グリムナが愛想笑いで返す。当然目は笑ってはいない。死んでいる。
「これ……アレやで? あんま、他の人とかには言わんといてな?」
(ホンマ人間がちっちゃいわ……)
グリムナが聞こえないように小さい声で呟くと、メルエルテが今度は訛りのない言葉で続けた。
「でまあ、本題はここからよ……」
本題? この嫌がらせが本題ではないのか? と、グリムナが怪訝な顔を見せる。
「あなただけを小屋から連れ出したいから呼び出したのよ。ついてきてくれる?」
そう言って、眠そうに目をこすりながらメルエルテは歩き出した。「本題でないなら金を返してくれないか」そう思いながらもグリムナはその意図を尋ねる。
「一体本題ってなんですか?」
「夜這いよ……」
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