第358話 熱々おでんの季節
「どうだ? 何か喋ったか?」
ウルクと呼ばれた男性はブロッズに話しかける。ブロッズはその言葉には答えず、ベルドの方に顔を寄せ、静かに、彼だけに囁いた。
「いいか、何か話す気になっても奴ではなく私に言うんだ。彼は協力者ではあるが、信用はできない」
そうとだけ言い、ブロッズは姿勢を正し「まだなにも」とウルクに答え、入口の方に歩いていく。ウルクが「どこへ行く」と問いかけると今日の拷問はもう終わりにすることと、食事の準備に行ってくる、と伝えて部屋の外に出て行った。
訝しげな表情でベルドはウルクに問いかける。
「貴様は何者だ?」
「そんなことを知ってどうする? 俺はお前に拷問するつもりもないし、最初からそんなに期待もしてないしな」
一旦言葉をそこで区切ったが、しかし思い直してウルクは再度口を開く。
「だが、袖振り合うも他生の縁、何者かくらいは教えてやろうか……
……俺はな、ヴァロークだ」
その言葉にベルドは思わず体が強張った。
バッソーから聞いていた、最も注意するべき集団。人の世の滅びを願い、竜を復活させようとする者達、そのうちの一人が、今目の前にいるのだ。
「この事を奴に言っても無駄だ。もはや正気ではないからな」
「何!?」
「フン、お前は随分前にローゼンロットを離れたから知らないのだろうがな。今現在、聖堂騎士団は第三までしかない」
「なんだと」
ウルクは再度鼻を鳴らすように笑い、得意顔で講釈を垂れ始めた。
「やはり知らんか、教えてやろう。5年前、第四聖堂騎士団の団長は体調不良を原因に団長の座を降りた。かねてからの団員不足もあって第四聖堂騎士団、通称暗黒騎士団は解散となり、残った騎士団員は他の団のコマンド
ベルドは言葉を失う。一瞬、言っていることが理解できなかった。
全身鎧というものは平時には身に着けている理由というものはほとんどない。あれは戦場で、どこから攻撃が飛んでくるか分からない状態で身を守るためのものだからだ。
ブロッズは敵などいないこの地でもなお、白銀に輝く全身鎧を身に着けていた。
騎士団が解散?
体調不良で職を辞した?
だがブロッズは確かに自分の事を聖騎士と言っていた。彼は以前から、戦場に在らずとも、自らの存在を誇示するために全身鎧を纏っていた。当然今も、騎士であるからそれを着ているのだと思っていたが、一体どういうことなのか。
「もっとも……」
先ほどのブロッズのように、ウルクは顔をベルドに近づけて話す。
「奴自身は、どうやらまだ自分の事を聖騎士だと思い込んでいるようだがな」
呼吸を忘れてしまうような衝撃であった。
前から危うい人物だとは思っていたがまさか……
すでに正気を失っているとは。
ブロッズ・ベプトが既に、自らの妄想の中に捕らわれた哀れな囚人に過ぎないとは。
その時、またがちゃりと上階へのドアが開いた。現れたるは不気味な微笑みを讃える聖騎士。そしてその狂人が、自分を拷問している最中なのだという事実。
ベルドは彼の異様な姿に目を剥いた。
先ほどと同じ全身鎧。その上からエプロンを羽織り、三角巾を頭に巻いている。両手にはミトンタイプのガントレットをつけており、そのガントレットで熱を遮断して、煮えたぎり、まだごぽごぽと音を立てている土鍋を両手で持っている。
その異様な出で立ちと相貌に張り付いた薄ら寒い笑み。そして全身鎧に土鍋という組み合わせにベルドは思わず息をのんだ。
すでに正気を失っていると知った今となってはその事実も恐怖心にスパイスとして凄みを増している。
「な……何を……」
思わずベルドの口から言葉が漏れた。だが愚問である。
「食事にするといったじゃないか」
そう。確かにそう言って部屋を出た。土鍋にもエプロンにも何も不思議はない。不思議はないのだがある種全身鎧とのミスマッチから来るアンバランスさに恐怖を感じる。
ウルクもこのブロッズの服装に危ういものを感じたのか、かに歩きで背後を見せないように回り込んで入り口に、いつでも逃げられる場所に位置取りする。
そのままブロッズはベルドの椅子のすぐ横にある、拷問道具が無造作に並べられているテーブルの上にドン、と、土鍋を置いた。やはりまだぐつぐつと煮えたぎっている。相当熱そうだ。もしかしたら
中には根菜を輪切りにしたものやゆで卵など、それに何なのかはよく分からないが、おそらくは肉か魚をすりつぶして丸めたようなものが入っている。魚介系の出汁のいい香りがする。
しかし、やはり少し……いや、かなり熱そうだ。
「さあ、食事の時間だ、ベルド……ちなみに食事の途中でも喋りたくなったらいつでも喋っていいぞ」
その言葉にベルドはハッとした。
秋口に入ろうという季節ではあるものの、外はまだ暑い。なのに温石まで使って異常なほどに熱々に温められた土鍋。わざわざそれを食事として持ってきているという事実に、ある『可能性』に思い当たった。
これは、休憩ではない。もしや、拷問はまだ続いているのではないか、という可能性に。
「これは、海を越えた、とある島国の食事で、『おでん』という……」
「ちょ、ちょっと待て」
ブロッズはペンほどの太さの二本の長い棒を片手で器用に操って中身の具をまさぐっている。
「ちょっと……熱々すぎないか……もうちょっと冷ました方が……」
ぴたりと、ブロッズの動きが止まり、静かな口調で答える。
「いらないなら私がもらってもいいかな?」
するとそれに呼応するように部屋の隅にいたウルクも口を挟んだ。
「俺も少し小腹が空いていてな。分けてもらえるか?」
なんと二人が揃って食べると言い出した。しかし正直言ってベルドもかなり空腹である。二人の態度に少し焦りを覚えた。
拷問に耐えねばならぬ。そのためには一にも二にも体力だ。体力をつけるためにはやはり食事だ。
「ま、待て! 俺が食べる!」
「「どうぞどうぞ」」
ウルクとブロッズがハモった。
ブロッズはその長い棒……菜箸で太い根菜を取り出す。出汁が十分に染みていて美味そうではあるが、しかしそれは同時に熱い汁が十分に含まれているという事でもある。
「ホラ、口を開けて」
「
口に触れた瞬間ベルドが叫んで暴れたため、その根菜……大根はベルドの股間の上に落ちた。当然だが、その熱々の汁が染み染みの大根が、股間に、である。
「あつっ! あつつつつ!! とって! とって!! 」
ベルドは身をよじるが手足だけではなく腰もベルトで椅子に固定されているため少ししか動かせない。ウルクとブロッズは爆笑である。
やっとのことで股間から大根を落とすことができた。(大根はスタッフがおいしくいただきました)しかし熱い汁がズボンに染みてしまい、まだ身をよじる様に熱さに耐えている。だが無情にもブロッズはその動きを止めることはなく、次の具を物色し始める。
次に彼が取り出したのは暗い灰色の、ぶつぶつとした粒が中に浮いている半透明の、プルンとした大きな三角形の物体であった。
「はぁ、はぁ……それは、いったい……?」
「これは『コンニャクイモ』というそのままでは毒があるイモを加工したものだ……」
「なに!? 毒物を食わせて情報を引き出すつもりか?」
「フフ、そのままでは毒があるから、先ずはイモを乾燥させてすり潰して粉にし、次に水と混ぜて練った後で石灰水と炭酸水を混ぜることでアルカリ化し、練って固めたものだ」
「そこまでして食う意味があるのか!? 物凄く栄養価が高いのか!?」
「いや、栄養は全くない」
「意味が分からん!!」
何とか会話を引き延ばしておでんを冷まそうとしたベルドであったが、当然の事であるが無駄な足掻きであった。
「ほぅ~れ、熱々だぞ~」
ブロッズが菜箸でコンニャクをつかんでブロッズの口の中に放り込む、と見せかけて頬にペチンと張り付けた。
「あづああぁぁぁぁぁ!!」
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