第357話 拷問

「そう睨まないでくれ。私と君の仲だろう」

「拷問する側とされる側の仲だったか? ぺっ」


 ベルドが唾を吐いても、ブロッズは表情を変えず、柔らかい笑顔を浮かべたまま、爪をはがされている彼の指の上に拳を打ち付けた。

 ベルドは思わず痛みに顔を歪める。


「私だってこんなことはしたくないんだ。君が情報をすべて話してくれれば、すぐにだって解放するさ」


 「こんなことはしたくない」……それはおそらく本当なのだろう。ベルドはかつての上司である彼の事はよく知っている。柔らかい物腰と優雅な所作とは裏腹に、その本性は暴力的で身勝手な人間ではあるものの、しかし彼は暴力で無理やり相手を従わせるという事を好まない。


 彼にとって暴力をふるう時というのは、すでに対象が懲罰対象となった時、『殺しても良い』、となった時なのだ。


(その団長が、拷問してまで情報を欲しがるとは……こいつは今何の目的で、誰の指示で動いているんだ? メザンザか……?)


「もう一度整理するよ? 私が君に聞きたい情報は二つだ。君は今バッソーと組んで行動しているようだが、騎士団領でいったい何を調べていた? それと、このボスフィンにいったい何をしに来た? 簡単な質問だろう」


 必要以上に顔を近づけながら、吐息が感じられるほどの距離で話しかけてくるブロッズ。瞳は至近距離で真っ直ぐ、ベルドの目を覗き込むように注視している。


 本当に気が滅入る。もちろんそれは自分が拘束されて拷問されていることもだが、しかしこの男、ブロッズ・ベプトが目の前にいるという事の方が彼にとっては大きかった。


 全てを見透かすような訳知り顔で、余裕を持った対応。自分を絶対的な正義として信じる、自信に満ち溢れた態度。なぜ一般市民たちはこの男の慇懃無礼な態度に拒否感を示さず、むしろ好かれ、敬愛されているのか、理解ができなかった。


 ベルドにとっては美しい外見も含めてそう言った所作の一つ一つが拒否感の対象であった。それは常に日陰を歩いてきた自分の立場と、そして素行の悪さから引き起こされる引け目からきているのだが。


 ベルドが最後に上司部下の関係で彼と話をしたのはラーラマリア襲撃が失敗した時であった。


 あの時もやはりブロッズは同じような余裕を見せた態度でダンダルクを糾弾していた。今回は自分の番というわけだ。こうなればもう生殺与奪の権はブロッズにある。ベルドは自嘲気味にフッと笑った。


「答えるんだ、ベルド」


 ガチン、と、まるで鋼がかち合うような音が室内に響いた。


 キスするのではないかと思うほどに顔を近づけたブロッズの頸部にベルドが噛みつきを敢行したのだが、しかしすんでのところで躱されてしまった。


「フフ、こんな状況でも決してあきらめないか。かつての上司としては嬉しくもあるが、複雑な気持ちだな!」


 そう言ってブロッズはどこに持っていたのか細い、10センチほどの針をベルドの左手の甲に突き刺した。ベルドは少しくぐもった声を上げるが、この程度では悲鳴を上げたりはしない。


「あんたがそれを知ってどうする? メザンザの指示で意味も分からず動いているのか?」


 問われてブロッズは「フッ」と鼻で笑う。


「あんな小物のためには動かないさ。私が動くのは第四聖堂騎士団団長として、聖騎士としての『本来の職務』のためだ」


「『本来の職務』? やはり教会のため……」


「違う。世界を救い、民を守るためだ。本来はグリムナがそれをするはずであったが、しかし彼が亡き今、それは私の仕事だ」


 思わずベルドはブロッズの顔を見返した。彼が『世界を救う』、そんな目的のために動いていたとは初耳であった。そもそもが昔からやたらと『正義』を声高に叫び、独りよがりな行動ばかりとる人間であったが、そんな大層な目的のために動いていたとは。


「君とバッソーが、同じように竜を倒すために動いていることは知っている。だったら私達は協力できるだろう? おとなしく、分かったことを全て教えてほしい。減るものじゃなし、構わないだろう」


 言われてみて、大層な目的は自分も同じだったかと思ったが、しかし同時にこいつには協力できない、とも思った。


 今は亡き、グリムナとならば協力はできる。


 だがこの男は別だ。


 たとえ口ではことを言っても、他の人間が彼の事を誉めそやしても、ベルドはどうしても彼を信用することができなかった。


 彼の酷薄な本性を知っているからだ。


 たとえ悪人だろうが、その悪人が改心していなかろうが、決して命を奪おうとはしないグリムナ。それに対し、自らの内にある法に反すると思えば言い訳も聞かずに即座にこれを誅するブロッズ。


 たとえ同じ理想を掲げていたとしてもこの二人は鏡写しのように正反対である。


「あんたに世界を救うなんて無理だ。荷が重いだろう」


 その言葉を発した瞬間、ブロッズの拳がベルドの鼻っ柱をとらえた。「くっ」と小さい声を上げて顔をのけぞらせるベルドの左手の指を上からぎゅっと押さえて、ブロッズが先ほどの長い針を構える。


「まあ構わないさ。そちらがその気なら拷問を続けるだけだ。話したくなったらいつでも話すといい」


 そう言って針の先を爪と指の間に差し込み、針のを金づちで叩く。


「んぐっ!? ぐううぅぅぅ!!」


 歯を噛み砕きそうに食いしばり、悲鳴を押し込めようとするが、それでもベルドの口からはくぐもった声がこぼれる。


「どうだ? こいつは効くだろう? 私が10年ほど前、オクタストリウムで作戦中にマフィアに捕まって受けた拷問だ。いつまでもつかな?」


 一本を打ち終えれば次の指に。経験のしたことの無いような激痛の上に、終わりの見えない拷問。痛みを脳から切り離すことなどできない。


 痛みの中、自然とベルドは自問自答していた。


 なぜ自分はそこまでして情報を秘匿するのか。手段は違っていても、しかし最終的な『竜を倒し、世界を救う』という目的は同じはず。ならば自分の得た情報を彼に教えても問題ないのではないのか。


 正直に言って、彼の意地もある。そして単にブロッズが気に食わないというのも、ほんの少しだけある。


 しかしそれ以上に、自分の正義を疑わず、他者を悪と決めつけ自分勝手に断罪するこの男に、自分の情報を預けられないと思ったのだ。


「俺は……知っての通り愚か者だ。人の痛みが分からず、自分が傷ついたからと言ってお返しとばかりに何の落ち度もない人間を傷つける悪人だ……」


 静かに、しかし真っ直ぐにブロッズを睨みつけてベルドは話し始めた。額に浮かぶ脂汗は指先の痛みのためであろう。


「だがな、そんな俺でも、自分の事を正義だと思っている悪人よりはマシだ。殺したくば殺せ。大好きな断罪をキメればいい。だがお前にやる情報などない。俺の情報は……」


「君の情報は……誰に? あの老人か?」


 答えの途中でブロッズが聞き返す。


「いいか、グリムナはもういない。この世界にもう、正義を成すものなど誰もいないのだ。ならば誰かが代わりにやらねばならない。たとえそのためには自らの手を汚すことをもいとわない人間がな」


 その時、がちゃりと、ドアの開く音がした。ベルドがブロッズに捕らえられて1週間ほどが経過していたが、この地下室にブロッズ以外の人間が入室するのは初めての事であった。

 


「……ウルクか」



 ブロッズは振り返り、そう呟いた。

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