第356話 ボスフィンの街
もう秋口に入っていたが、大陸の南部に位置するオクタストリウム共和国の首都ボスフィンは、まだその日差しは乱暴さすら感じられるほどに、強い。
オクタストリウムは政治形態こそ共和国制度であるが、実際にはこの国に巣くう三大マフィア『ガラテアファミリー』、『メッツァトル商会』、『ロスコンボ』のいずれかの意向をくみ取って政治が進められる。
これまでは絶妙なバランスでこのマフィアが火花を散らしており、ある種、闇社会の民主政治のように機能していたのだが、5年前、トロールフェストでの暴動をきっかけに抗争が激化、内戦状態に突入したまま、現在に至る。議会も司法も機能不全を起こしており、事実上の無政府状態にある。
首都ボスフィンも、元々治安のよい町ではなく、一歩路地裏に入り込めば地元民でも夜は一人で出歩いてはいけないと言われているような場所であったが、ここ数年はたとえ昼間でも安心できる場所ではない。
そんな町の一角、気弱そうな男と、その娘だろうか、二人の人間が三人の大柄な男に囲まれていた。
「別に命まで取ろうってんじゃねぇんだ。今日のところは娘を差し出せば我慢してやるってんだよ」
「そうそう。今の時代、娼館より安定した職場なんてないぜぇ?」
にやにやと下卑た笑いを顔に浮かべながら余裕の態度で男を軽く小突き回しながらそう言う。男はろくに反論できないが、しかしそれでも背中側に隠すように娘を庇っている。
「その通りだなあ。公務員なんかよりよほど安定してるぜ?」
「もちろんだ。少なくとも暗殺されることはねぇからな」
「ガハハハハハ!」
何がおかしいのか大笑いする三人の無頼漢。しかし当然その前にいる小市民の親子は恐怖におびえるばかりである。
「ま、お前も娘も、俺達ガラテアファミリーの下で安全に暮らせるんだ。悪い話じゃねぇだろう」
そう言って不意にマフィアのうちの一人が、男を手で撥ね退けながら娘の肩をむんず、と掴み、自分の方へ引き寄せた。
「ご、ご勘弁を! 娘はまだ14なんです!」
そう言い終えるか負えないかのうちに別の男の拳が父親の顔をとらえ、彼は無様に吹っ飛んで地に伏した。
「調子に乗るなよ? お前が意見できる立場にいると思うのか? この町では力こそが正義だ。弱き者は去れ!」
「ならば君たちも去るのだな」
「!?」
唐突に後ろから男の声が聞こえマフィアの男達三人が振り向くが、その一挙動を終える前に娘の肩を押さえていた腕が剣で切り落とされた。
「ぐああああぁぁ!?」
まるで噴水のように腕からは鮮血がほとばしり、マフィアの男達と少女を紅く染め上げた。
「てめぇ! なにもんだ!? 俺達をガラテアファミリーと知っての所業か!!」
残りの男たちがそう言いながら懐からナイフを取り出すが、しかし後ろから声をかけた男は彼らの話など聞かない。まだ戦闘態勢の取れないマフィア達の頸動脈を一瞬で切断し、町の一角を紅い花で飾った。
「怪我はないかい?」
男は剣についた血を懐から出したハンカチで拭いながら、落ち着いた声でそう、少女に尋ねた。
「あ、ああ……」
「あ、ありがとうございます。あなた様は、いったい……?」
放心状態で言葉を発することのできない少女に代わって父親が感謝の言葉を述べた。二人を助けた男は白銀の全身鎧に薄い色の金髪を湛えた美丈夫である。オクタストリウムの強い日差しに彩られ、キラキラと輝く様は絵画の中の聖人のようであった。
「私は……第四聖堂騎士団のブロッズ・ベプトだ。顔を殴られていたようだが、大丈夫かね?」
「第四聖堂騎士団……あの有名な……本当にありがとうございます」
「あの有名な」……男は『暗黒騎士団』という言葉を言いかけ、その言葉を飲み込んだ。ベルアメール教会に属する聖堂騎士団の中でも暗殺や破壊活動、諜報など表に出せない任務に就くことが多いためにそう呼ばれる。どちらかと言えば不名誉な呼び方である。
「ありがたいのですが、しかし、マフィアを三人も殺して……今度はあなたが奴らに狙われるかも……」
男は怯えた表情のままそう言った。
正確には今死んでいるのは二人。しかしもう一人も腕を切り落とされて、手当をする者がいないのでじきに失血死するであろう。ブロッズは彼らを一瞥してから先ほどのハンカチで顔に付着した血を拭い、笑顔で男に応える。
「お気遣いなく。無辜の民を騎士が守らずして、いったい誰が守るというのですか」
そう言ってブロッズはいたわる様に男の手を自分の両手で包み、そしてにこやかに笑って語り掛けた。
「たとえこんな状況でも、『悪徳の街』でも、希望を捨ててはいけません。もし己の中の正義が折れそうになったら、私の事を思い出してください。この町にも、正義を成すものがいるのだという事を……」
華美な賞賛も、労働の対価も、そして感謝の言葉すら彼は欲しない。
絵になる男である。
マフィアの男三人が惨殺された現場ではあったものの、しかしそんな酸鼻を極める事件があったことを感じさせないほどに優雅な立ち振る舞いであった。
そう。まるで狂気を感じさせるほどに。
ブロッズの鎧は血に汚れたままであったが、まるで土埃でもついただけかのように、全くそれを気にすることなく、大股で街角を進む。悠々と歩き、町を眺めながら。
この町の、いや、この国の警察機構は既に機能していないが、その街の中でブロッズはもはやちょっとした有名人になりつつあった。マフィアの男たちは遠巻きに彼の姿を見つけて心の中で舌打ちをする。
無法を働いているところに出くわせばしゃしゃり出てきて、行き過ぎとも思える私刑を執行するからだ。マフィアからすれば目の上の瘤である。
やがてブロッズは、この町の建物はほとんどがそうであるが、小汚い建物の中に入っていった。
――――――――――――――――
「う……」
薄暗い部屋の中でベルドは目を覚ました。
曖昧な記憶の中、心臓の脈動に合わせてじくじくと指先が痛む。身をよじる様に動かしてみるが、手すり付きの鋼鉄製の椅子にベルトで手足と、それに腹を固定されており動くことはかなわぬ。
さらに椅子の足には床のモルタルへとアンカーが打ち付けられており、びくりともしない。
なんという事だ。まさか『あの男』がこの町にいるとは。
こんなことならばサガリスの事についての情報を一旦バッソーに持ち帰るべきであった。
コルヴス・コラックスの捜索をするならばバッソーと打ち合わせをしてもっと作戦立ててから来るべきであった。
大掛かりな捜索ならばターヤ王国の貴族である兄のビュートリットを頼るという手も取れたはずであった。……何もかも、詰めが甘かった。
薄明りの中、痛む右手の指を見る。
そこにはすでにすべての指の爪がなく、痛々しく肉が見えている。
「あの男、いったい何のつもりだ……」
ベルドがそう呟いた時、ぎぃ、と彼のいる地下室へ降りるドアが開けられ、カツカツ、と階段を下りる音が聞こえてきた。
「お加減いかがかな?」
涼やかなる声であるが、表情にこそ見せないものの、今のベルドにとっては恐怖の対象でしかない。
その恐怖心を押さえつつ、階段を下りてきた男を睨みつけながらベルドは憎々し気に応える。
「いいわけねえだろう、
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