第355話 蒸留水

「ふぅ……疲れた、喉が渇いた……」


 月が輝く闇の下、グリムナ達はやっとの思いで遺跡の外に出てきた。空には満天の星空。冷える夜風に臆することなく、グリムナは両手を開いて深呼吸をする。


「遺跡もいいが、やっぱり外だな。狭い部屋に閉じ込められるのはもうたくさんだ」


「お疲れ様、グリムナ」


 ラーラマリアがそう言って渇ききったグリムナの口元に小瓶の水を注ぎこもうとする。


「うお危なっ!?」


 のけ反ってブリッジの体勢になってそれを躱すグリムナ。


「なんで!?」


「お前! それ本当に水だろうな!」


「何言ってるの、水以外の何物でもないわ」


 二人が言い争ってると後からフィーとヒッテも遺跡から出てきた。何を騒いでいるのか、とフィーはラーラマリアの傍に近寄る。


「あ、お水あるの? 気がきくわね」


 ラーラマリアの持っていた小瓶をサッと取って中身を一口飲む。


「あっ……」


「え? なに?  飲んじゃまずかったの? これ」


 グリムナが警戒していたこと、それは砂漠に入ったばかりの時に、ラーラマリアのお小水を飲まされそうになったことである。彼女の行動原理はいまいち意味を測りかねることが多い。だからこそ、不用意な行動をとった時は注意が必要なのだ。


「フィー、それ飲んでなんともないのか?」


「え? なんかまずかった?」


「まずかったって言うか……」


 ちらりとグリムナはラーラマリアの方に視線を送る。しかしそれだけでフィーは『その水』が何であったのか、ふんわりと察して、顔が青ざめる。彼女は砂漠に入る前に『喫尿』の事をラーラマリアから聞いているのだ。


「グリムナ、よく聞いて」


 このパターン二度目である。


「砂漠での渇水は命に係わるわ」


「予備の水、まだいっぱいありますよ」


 ヒッテがすでに寝ている走竜の方を指さしてそう言ったが、ラーラマリア小さく「チッ」と舌打ちして話を続ける。


「いつか水が無くなった時、その時にできるかどうか試していたんじゃ遅いの。この水は、ラーラマリア印の聖水から水魔法で水分を抽出した、いわば蒸留水よ。グリムナが前のおしっこには難色を示したから、私一生懸命考えたのよ」


(飲んでしまった……)


 フィーが頭を抱える。その彼女をグリムナは指さしてラーラマリアに答える。


「まあでもそれはさあ、フィーが飲めることを実証したから問題ないよね? 今は水があるんだし、もうこれで終わりだよね?」

「あなたが飲まないと意味がないのよ」

「なんでだよ!」


 グリムナが激しくツッコミを入れて反論する。


「いや、蒸留水を飲めるかどうかを事前に試しておきたかったんだろ? で、なんも知らんフィーがアホ面下げてぐびぐびそれを飲んだじゃん!」


「ひどい言われよう」


「じゃあもう飲めることは実証されたよね? この話これで終わりじゃないの?」


 ラーラマリアは青白い月明かりの元、顔を紅潮させながら、瞳に涙を浮かべながら切実に訴える。


「私は……あなたに飲んで欲しいの……」


「ラーラマリア……」


 それは、まさに彼女にとっては愛の告白であったのかもしれないが、


「だからなんでだよ!!」


 グリムナには通じなかった。


「え? なんなん? 嫌がらせなん?」


「いいから飲んでよ! ほら、くいっと! そこのアホエルフみたいにくいっと飲めばいいのよ!」


「折に触れて私の事ディスるのやめて欲しい」


 ぐいぐいと小瓶をグリムナの顔に押し付けてくる。


「ちょっ、ほんとやめて! 汚い!」


「汚くないわよ! ていうかなんでそんなに嫌がるのよ! さては……はは~ん、グリムナ、もしかしていろいろ理屈つけてるけど、なんだかんだ言って私のおしっこ飲みたくないだけなんじゃないの?」


「当たり前だろ!!」


 グリムナは冷静であった。上手く誘導して流れで「そんなことない」と言わせるラーラマリアの作戦は失敗した。


 砂漠での渇水は恐ろしい。グリムナも記憶はないが以前にこれのせいでケツの穴から汚水を飲むという憂き目に逢っている。だから水分の摂取は大事だ。そして、比較的安定的に水分を補給できる場所が、膀胱である。


 そこで事前に水魔法で尿から水分の抽出ができるのか、そしてそれが飲用に耐えうる品質なのかを試しておきたい。ここまでは分かる。


 そして、それはラーラマリアはどうしてもそれをグリムナにやらせたい。これが分からない。


「ホントにやめて、汚い! こっちに押し付けないで! 汚いから!!」

「汚い汚い言うなあぁぁ! 女の子にそんなの連呼したら傷つくでしょうが!!」

「普通女の子は幼馴染みにおしっこ飲ませようとなんかしないわ! 汚いんじゃボケ!」

「汚くないもん~! うわああぁぁ~~ん」


 『汚い』『汚い』言われたのが相当ショックだったのか、ラーラマリアはとうとう大声を上げて泣き出してしまった。でも仕方ない。だって汚いんだもん。


「あ~あ、泣かしちゃった……」


 しらじらしい視線を送りながらフィーがそう言った。


「グリムナさん、それは酷いですよ」

「えっ?」


 なんと、ヒッテも攻撃に加わって来た。


「ヒッテとラーラマリアさんはですね、自らの危険を省みずに遺跡の中に入ってグリムナさん達を助けに行ったんです。それなのに、この仕打ちですか?」

「ぐすっ、ありがとう……ヒッテちゃん……」

(おしっこ飲まされるのは仕打ちじゃないのか……? なんでみんなして俺におしっこ飲ませようとしてくるんだ)


 グリムナはどうしても納得がいかない。そもそもなぜ自分がこの天然水を飲まねばならないのか、それが分からないのだ。ラーラマリアは涙を拭いて、グリムナに再度話しかけてきた。


「グリムナ……前回私のおしっこを飲んでくれなかったから、私もいろいろ考えて、最大限譲歩した結果がこの蒸留水なの。それを分かって」


「次はグリムナさんが譲歩する番ですよ」


 思わずグリムナは眉間にしわを寄せる。そもそもだ。『おしっこを飲め』というのが無茶な要求である。その無茶な要求から少し譲歩したからと言って『こちらも譲歩したのだからそちらも譲歩しろ』とは無法にもほどがあるのだ。


「グリムナ……私達はパーティー、つまりは家族みたいなものよ……その家族が、あなたの体調を心配して水を飲んで、って言ってるの……」


 フィーが教え諭すようにグリムナに優しく語り掛ける。


「ね、グリムナ。これが……ラーラマリアの気持ちだと思って……さあ」

「いや飲まねえよ」


 グリムナはラーラマリアの手から瓶を取り上げて中身をとぽとぽと捨てた。


「今のは飲む流れだったでしょーが! なにすんのよボケー! あんた本っ当にそういうところよ!!」


「だってお前、自分が飲んじゃった腹いせに俺にも飲ませたいだけだろう」


「…………」


 目を逸らすフィー。


 しばらくそうやって遺跡の入り口でぐだぐだしていると離れた場所にいたリズが話しかけてきた。


「ラブコメやってるところ、悪い」


「今のがラブコメに見えたのか」


「メルエルテ、捕まえてる。こいつ、どうする?」


 リズは確かに後ろ手に縛られているメルエルテを引っ張りながら歩いてきていた。彼女は完全に不貞腐れたような表情をしている。


「ちっ、乱暴なことしやがって。年上を敬いなさいよ、この人間ガキが!」


「グリムナさん、やっぱり全然反省してないですよコイツ。裸にしてふんじばってサカリのついたリザードマンと一緒に遺跡に閉じ込めましょう!」


 ヒッテのその言葉にメルエルテは顔が青くなって、グリムナに助けを求める。


「ちょっ、本気? 私はただ行き遅れの娘に相手を見つけてやろうと思っただけなのに! ちょっとヤリ方に問題があっただけじゃない! もう二度とこんなことはしないから!」


 確かに反省はしていないように見える。しかしグリムナはため息を一つついて手のひらを顔で覆う、ただそれだけであった。結局怪我もなく外に出てこれたのだ。これ以上メルエルテを同行しようという気にはなれなかった。


「本当に、もう二度とあんなことやめてくれよ?」


 彼はまだ、メルエルテとヴァロークが繋がっていることを知らない。

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