第336話 女の戦い

 恐れていたことがついに来てしまった。


 まさに今、審判の時が来てしまったのだ。


 ラーラマリアは絶望していた。


 ここはレニオの家、朝が来て、傭兵団の強襲の明くる日の午前中。リビングのテーブルを挟んでフィーとヒッテ、反対側に共に顔色の悪いグリムナとラーラマリアが着席している。


グリムナの顔色が悪いのは血を多く失って、まだ体力が回復していないためであるが、ラーラマリアが青ざめている理由は周りの人間には分からなかった。


 いつか来ると思っていた。


 その時が来てしまった。


 グリムナとヒッテが出会ってしまえば、自分の冒険は終わる。幸せだった、グリムナとの二人の時間も終わってしまう。そしてそれを暴力で覆すようなことは、きっとグリムナは望まないのだから、自分は去るしかない。


 覚悟を決めても、決めきれない。刑の執行を待つ死刑囚。まさにそんな言葉がぴったりだった、のだが……


「その……ヒッテには、グリムナさんの記憶がないんです……」


「!!」


 奇跡が起きた。少なくともラーラマリアはそう感じた。


 『運命と戦え』と、誰かが言った気がした。それは己の内なる声なのか、それとも天の声だったのか。ともかく、ラーラマリアはこの強大な敵と戦う勇気を心の内に持ったのだ。


 ちら、とグリムナの方を見てからラーラマリアは椅子から立ち上がる。だらだらと冷や汗が流れる。


(勇気を。戦う勇気を! 私は勇者なんだ。どんな強大な敵だろうと、勇気をもって戦う。それが勇者のさだめなんだから)


 オーガを素手で屠り、100人からなる傭兵団を蹴散らし、大司教メザンザと肩を並べる強さを持つラーラマリア。その彼女がたった一人恐れる存在。それが今、彼女の目の前にいる、長い前髪で目の隠れた、何の特徴もない少女なのである。


 ラーラマリアはゆっくりと深呼吸をして、スッと右手を差し出した。


「よ……よろしく。グリムナの婚約者の、ラーラマリアです」


 ヒッテはこれに、ものも言わず静かに立ち上がり、手を取って握手した。その表情は杳として知れず。


「よろしく……」


「うう……」


2人の無言の圧力に気圧されてフィーが思わずうめき声をあげる。ヒッテは握手したままラーラマリアに問いかけた。


「お二人は、どこに向かって旅をしているんですか?」


 ヒッテの先制攻撃である。ラーラマリアはヒッテの手を握ったまましばらく考えていたが、やがて手を引いてから答える。


「グリムナの、失った記憶を取り戻すために当て所ない旅をしているわ」


 悩んだ結果、二人の共有している目的を話すことにした。ここで嘘をつくことは悪手である。グリムナが自分の肩を持つとは限らないのだから。


 そして、ラーラマリアの真の目的は、存在しない。


 二人が一緒にいること。それだけがラーラマリアの望みなのだ。


 ヒッテとラーラマリアは着席し、そして今度はラーラマリアが尋ねる。


「お二人は何の旅を?」


 ヒッテは逡巡することなくこの質問に答える。おそらく最初から答えを用意していたのだろう。


「竜の謎を解き明かし、世界を救うために旅をしています」

「えっ!?」


 思わず声を上げてしまったフィーが慌てて口を押える。


「当て所ない旅ならどうです? ラーラマリアさん達も一緒に行きませんか? どうやらヒッテ達は記憶をなくす前、知り合いだったようですし、何か思い出せることでもあるのでは?」


 衝撃が走った


 ように感じられたのはラーラマリアだけで、実際には沈黙と静寂の支配する世界であった。


 汗が噴き出す。鼓動が早まる。危機を脱する情報を求めて眼球が上下左右にせわしなく動き回る。ラーラマリアはピンチであった。しかしどこにも逃げる場所などないのだ。


(のれ……のるんだ! ラーラマリア! 他に選択肢などない。グリムナと一緒にいたいなら目の前にいるこのメスガキに勝たなきゃ道なんてないんだ! お前は勇者だ! ラーラマリア! 勇気を振り絞れ!!)


 ラーラマリアは必死で自分を叱咤激励したが、結局踏ん切りがつかず。ではどうするのかというと。


「ぐ……グリムナはどう思う? このパーティーのリーダーはグリムナだもんね!」

「え?」


 結局グリムナに振ることにした。


「いいんじゃないかな、凄く素晴らしいことだと思うよ。むしろこっちからお願いしたいくらいだ」


 正直言ってこうなることは分かっていた。グリムナの性格ならば。結論を数秒先延ばしにしたに過ぎない。しかもグリムナはこのヒッテという少女に大部分心奪われているところがあるのだ。再び窮地に陥るラーラマリア。


 荒い息遣いが部屋に響いている。他の者は声を出すことすらできない。この部屋の中で何が起こっているのかが分からないからだ。ただ二人、ラーラマリアとヒッテを除いて。


(はぁ……はぁ……言え! ラーラマリア! 簡単なことだ。「よろしく」、この四文字でいい! たったそれだけが何故言えない!! よく見ろ、身長も私よりも20センチも低い。筋肉もない、魔法も使えない。オーガに一撃でのされるような貧弱なガキだ。こんなメスガキが怖いっていうのか!?)


 長い間があった。音を出さず、しかし何かもぞもぞと口を動かしているので、何かを喋ろうとしてそれができないのか。周りの人間にもそれだけは分かったのだが、しかし一体ラーラマリアが何に躊躇しているのか、それは誰にも分からなかった。


「よろ……」


 そこまでは口に出たものの、言葉が続かなかった。


 過呼吸気味のラーラマリアはテーブルの上にずん、と伏し、顔だけを上げてヒッテを睨みつける。


「ラーラマリア!?」


 レニオとシルミラが思わず声をあげる。


(こわいよ……)


 彼女の瞳から涙が溢れ出た。


(こわいよ……人を好きになるって、こんなに怖い事なの? みんな本当にこんな怖いことやって生きてるの? グリムナ、私に勇気を!)


 震える脚に力をこめ、テーブルについている腕を支えに上体を起こす。


「はぁ、はぁ……」


 荒い呼吸と流れる汗が尋常でないことを周りの者に知らせるが、しかし誰もがそれに言及できない。たった一人を除いて。それほどの迫力が彼女にはあった。


 ヒッテが再度右手を伸ばす。


「よ、よろしく……」


 差し出された右手をラーラマリアが握った。

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