第191話 落とし穴
「この辺りなのか? その不審な人物の目撃情報があったっていうのは?」
グリムナがいぶかしげな顔でそう尋ねると、ヒッテはこくり、と頷いた。
現在グリムナ達はネオムの村から東に約10kmほど離れた岩場に移動して辺りの確認をしている。ヒッテが屋台の親父から得た情報によると、この辺りに最近住み着いている何者かがいる、という事である。さらにこの方角はグリムナが『占い』で割り出したベアリスがいるという方向とも合致する。二つの情報が同じ場所を指し示した、という状況は信ぴょう性を増していた。
グリムナ、ヒッテ、バッソーの三人は注意深く周囲を確認し始める。そこには高さ2メートルほどの巨大な岩を中心にいくつかの中程度の岩が集まるように存在する岩場になっており、風よけとしては申し分ない環境である。しかし水場などはなく、素人が路上生活をするというのならやはりここよりはネオムの村でホームレスをした方がよほど環境が良いように思える。
「ところであのバカエルフは?」
「役に立たないので置いてきました。説得はしたがハッキリ言ってこの闘いにはついていけない……」
ヒッテの明確な答えにグリムナは一切の疑問をさしはさむことなく受け入れた。
グリムナがしばらく岩場の辺りを見回っていると、土の上に黒い煤のようなものを見つけた。
「う~ん、こりゃ焚火の跡だな……もっとよく探せば何か見つかるかもしれないけど、これだけだと、旅人が野営しただけなのか、それともここに生活基盤のある人間がいるのか、ちょっと微妙だな……それがベアリス様だって確信も持てないし……試しに今日はここに野営してみるか?」
グリムナがヒッテとバッソーにそう話しかけていると、「お~い」と、遠くから彼らを呼ぶ声がしてきた。振り向くと、少し遠くの場所で、銀髪の悪魔がこちらに声をかけている。
「お~い、こっちよ~ グリムナ~」
フィーが手を振ってこちらを呼んでいる。
「チッ」
「チッ」
「チッ」
全員が舌打ちをしながらのそのそと仕方なしにフィーの方に歩み寄っていく。しかし彼女のいる場所の5メートルほど前でグリムナは立ち止まって足元を見ている。
「…………」
「な、なによ? もうちょっと近づいてくれないと話できないじゃない?」
何かを察して立ち止まって黙しているグリムナに半笑いでフィーが話しかけてくるが、グリムナ達はそれ以上近づこうとしない。
「ここでも話しできるだろ? ここで話せよ」
そう言ったまま頑として近づこうとしないグリムナ。見ると、グリムナとフィーの間には他のステップ地帯と同じように足首程度の高さの草が生えているが、その場所だけが草が寝ている。抜いた草を地面に覆いかぶせるように敷き詰めた感じになっていた。
「ちぇっ、せっかくサプライズしようとしたのにつれない奴ぅ~」
仕方なくフィーは二人の間の地面を避けて大回りにグリムナの方に近づいてきた。やはり、どう考えても落とし穴である。なぜそんなものを、いつの間に作ったのか、とグリムナが問い詰めると、フィーは何でもないことのように話し始めた。
「いやあね、もし、目的のベアリスが見つからなかったら、この罠にかけて捕まえてやろう、と思ってね? その前にグリムナで試してやろうと思ってたんだけどさ」
彼女の言葉にグリムナはちらり、と横目で明らかに不自然に草の盛られた落とし穴を見てから答える。
「あのなぁ、普通罠っていうのはそんな何もないところに漠然としかけるもんじゃないんだよ! 狩人とかが獲物を捕まえるために設置する罠だって、普通は動物の足跡をたどって、よくとおる場所に仕掛けるもんだ。人間が道を歩くのと同様に、動物だって普段使ってる安全な道以外ってのは通りたがらないもんなんだ。それとか、両側を壁に挟まれたそこを通るしかない場所とか……」
グリムナのお説教が始まると、フィーは露骨につまらなそうな表情をして目をそらす。なんとも自由な女である。
「ちゃんと聞いてるか? だからこんなところに漠然と罠を張ったって普通はかからないんだよ! ましてやこんな不自然に草を持った落とし穴なんて、よっぽどの間抜けかあほじゃないとかからないんだよ」
しかしフィーはこの程度でへこたれるようなぬるい精神はしていない。逆にグリムナに対して説教をかましてくる始末である。
「はぁ……大人な発言ねぇ、グリムナ。いい? 確かに確率としては低いかもしれないわよ、でも、ゼロではないわ。……やってみなければ、ゼロなのよ……」
「なんなのそれは、格好付けてるつもりなの?」
「わぎゃあっ!!」
しばらく二人が押し問答していると不意に横で女性の悲鳴が聞こえた。見ると、先ほどまできれいに草を持ってあった場所に穴が開いていた。
「ん……? ご主人様? 誰か落ちたのでは?」
「え? まさか? こんな不自然な落とし穴に落ちるアホな奴なんているわけないだろう……」
ヒッテの問いにグリムナはそう答えたが、実際落とし穴の入り口は今現在は大きく口を開けている。現実問題として、何かが落ちたのだ。戸惑いを隠せない三人を前に、フィーだけが自慢げに鼻の穴を大きく膨らませている。
そんなやり取りをしていると穴の奥から細い声が聞こえてきた。グリムナ達は1メートルと少し穴から離れているので穴の底は見えない。この女、どれだけでかい穴を掘ったのだ。
「誰か~……」
その声を聞いて、ひってはボソッと呟いた。
「落ちたのは……女性、ですね」
女性……まさか。いやまさか。そんなことはあるまい。そんな偶然はあるまい、とグリムナは頭の中に浮かんだひらめきを払拭する。彼の持ったひらめき、とはもちろん、「穴に落ちたのはベアリスなのでは?」という考えであるが、この小説がコメディであるからと言っていくら何でもそんな偶然は起こるまい。そんなご都合主義なことが起これば読者が黙っていないだろう。
「そ、それにしても、フィー、お前どうやってこんなでかい穴一瞬のうちに掘ったんだよ……」
「あはは……ま、土属性の魔法を使ってね……ホラ、エルフだし、私……」
フィーも穴の底から聞こえた声に誰かを思い出したのか、半笑いで答える。「エルフだし』の意味はよく分からない。
「誰か、助けてくださいよぅ……そこにいるんでしょう?」
またもや穴の底から声が聞こえてくる。やはり聞き覚えのある声だ。一同は思わず押し黙ってしまう。
「わかりました、じゃあ助けなくていいですから、そこにあるスコップを投げ入れてください」
ちらりとグリムナは穴のそばに転がっているスコップを見て、そして思わず片手で顔を覆って天を仰いだ。見覚えのあるスコップである。そしてロープで脱出するのではなく、スコップを使って脱出するという発想。こんな考え方をする人間をグリムナは一人しか知らない。
「階段でも掘る気ですか、ベアリス様……」
「ふえ!? その声はグリムナさん?」
穴の底にいる女はかわいらしい、鈴の音が鳴るような声でそう驚いた。ビンゴであった。読者の皆さんすいません。
「珍しいところで会いますね。グリムナさん、なぜこんなところにいるんですか?」
珍しいところで、と彼女は言ったが、しかしぶっちゃけて言ってグリムナ達と彼女はいつも意外なところでばかり会っている。いつもベアリスは何の予兆も、脈絡もなしに現れるのだ。しかし今回は違う。グリムナ達は彼女を探し、彼女に会うためにここへ来たのである。
「ベアリス様、実を言うとですね、我々はあなたを探すためにここに来たんですよ……」
「え? 私を探すために? って言っても、私がここにいることなんて誰も知らなかったと思うんですけど……? 何しろここ一か月くらい人間とは一言も会話を交わしてないですし」
どういう生活をしているのだ、この女は。『人間とは話していない』という表現にも少し引っかかる。それ以外の生き物とは会話しているのだろうか。それとも空想上の友達でも作って、それと会話しているのだろうか。しかしそれはまあ今はどうでもいい。とにかく、グリムナ達は見事目当ての人物を見つけることができたのだ。
「まあ、占いでベアリス様がいる場所を占って、それを頼りに探してきたんです。それよりも少し大変なことが起こっているんですよ。あなたの母国でですね……」
「のぅ、グリムナ……」
グリムナとベアリスが会話を続けているとバッソーがおずおずと会話に割り込んできた。
「とりあえず、穴から出てからにせんかのう……?」
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