第323話 エルフ仕草

「なあ、ラーラマリア」


「ん?」


「いつまでこうしてる気なの?」


「ん~……」


 レニオの家のリビング。テーブルの上に上半身をごろんと投げ出した姿勢でグリムナの顔を眺めているラーラマリアと、居心地悪そうに座っているグリムナ。


 シルミラはせわしなく内職の機織りを続けている。


 レニオは昼間のこの時間は実家の靴屋で靴の修理を手伝っている。


「もう……一か月になるんだけど……まだ心の準備が?」


「うっ……」


 そう。


 グリムナとラーラマリアがトゥーレトンの村に到着してからすでに一か月の時が過ぎていた。


「きょ、今日はその……なんか空が曇ってて、雨が降るかもしれないし……」


 ラーラマリアの言い訳を聞いて「はぁ」とグリムナがため息をつく。


 幼馴染のレニオとシルミラを訪ねて故郷に帰って来た二人。記憶を取り戻す一助になるやもしれぬと故郷に帰り、ついでに両親への挨拶、二人は婚約者という『設定』に(ラーラマリアの中で)なっているのでその報告をしようという話になっていたのだが。


 しかしラーラマリアは動かない。


 踏ん切りがつかないのだ。


 いざグリムナの実家に行こう、という段になるとやれ胃が痛いだとか、やれ凶兆ありだとか、なんやかんや言い訳をつけ、動こうとせぬ。普段の横柄な態度とけた外れの戦闘能力に見合わず、色恋沙汰になると、とんでもないチキンハートの持ち主である。


「も、もうさ……親に挨拶なんかしなくっても、このままでいいんじゃないかなぁ~? って……」


「このま」

「このままって、このまま私の家に居候し続けるってこと?」


 機織りの手を止めてシルミラが会話に参加してきた。


「いくら幼馴染で、お金も入れて貰ってるからっていってもさあ、いつまでもいられるのは困るんだけど?」


 ラーラマリアはテーブルの上に顎を乗せたままぷくっと頬を膨らませて抗議の姿勢。代わりにグリムナが謝る。


「す、すみません。私からも言って聞かせますんで……」


 その時ドンドンドン、と家のドアを叩く音が聞こえた。ラーラマリアがバッと立ち上がる。


「ちっ、来やがったわね! グリムナ、部屋に戻るわよ! シルミラ、対応をお願い!」


 そのままラーラマリアはグリムナの手を引っ張って、将来子供用に、としつらえてある部屋に退避。それを見届けてから、シルミラは大きなため息をついてドアを開ける。


 ドアを開けた先には中年の男性がいた。黒髪に少し白髪が混じっており、まあ、ぱっとしない、取り立てて特徴のない男だ。


「やあ、シルミラちゃん。……その、前にも聞いたが、本当にグリムナ達を見てはいないのか? もしかしたらこっちに来てないかなぁ? って思ったんだけど……」


 その問いかけにシルミラは逡巡したが、落ち着いた表情で答えた。


「さあ。見てないですよ、おじさん。その人たちがグリムナとラーラマリアを見たっていうのも、もう一か月くらい前の話ですよね? もうどっか行っちゃったんじゃないですか?」


 中年男性は「ん~」と唸ってぽりぽりと頭を掻くと苦笑いをしながら話す。


「それにしたって普通帰って来たなら親に挨拶くらいするだろうに……悪いが、もしグリムナを見たら顔を出すように言っといてくれ。頼むな」


 そう言って男性は帰っていった。


 シルミラが彼を見送ってからバタンとドアを閉めると、ラーラマリアが部屋から顔だけを出して「行った?」と確認をとり、グリムナの手を引いてリビングに戻って来た。


「ぺっ、やっと行ったかあの暇人野郎め。一昨日おとといきやがれってんだ!」


 ビッ、とラーラマリアが手の甲を向けて中指を立てる。これはエルフの里に伝わる『エルフ仕草』と呼ばれる所作の一つであり、『犯すぞこのボケ』という意味がある。近年人の里にも伝わり、静かな広がりを見せている。


「部屋の中で唾吐かないでよね」

「というかその暇人野郎に挨拶に来たんじゃないの?」


 シルミラとグリムナがそれぞれ眉をひそめながらツッコミを入れた。ラーラマリアは「へへ」とへつらうような半笑いの笑みを返すのみ。かつての勇者ともあろうものがここまで落ちぶれるものか。とはいえ現役の勇者だったころから精神的にはダメダメだった気がしないでもないが。


 しかしそうこうしているとすぐに再びドアがドンドンと叩かれた。何かあったのか、なぜ戻って来たのか、とグリムナが考えていると、ラーラマリアが「チッ」と舌打ちをして、キッチンにあった包丁を取り出し、乱暴に扉のかんぬきを外す。


「ちょっ、ラーラマリア! 隠れてるんじゃないの!?」


 グリムナが慌てて彼女を止めようとするが、しかし構わずドアを開けて外の人間に怒鳴りつけた。


「いい加減にしろこの暇人野郎! まだなんかあんのか、ああ!?」

「ひっ!?」


 首筋に包丁をたてられて、思わずのけ反ったのは……レニオであった。腰が抜けたのか、トン、と地べたに尻餅をつき、瞳には涙を浮かべている。以前の旅から5年の時が経ち、結婚もして二十歳を過ぎたが、相変わらずの小動物を思わせる可愛らしい外見が恐怖に染まった表情は、なんとも言えない罪悪感をその場にいる者たちに植え込んでいた。


「な、なに……? アタシ、何かした?」


「……なんだ、レニオか……おどかさないでよね」


「こ、こっちのセリフよ」


 レニオがぶぜんとした表情で立ち上がって尻をはたくとグリムナが問いかける。


「随分早いな、レニオ。何かあったのか?」


「そうそう! なんかね、広場に見世物が来てるらしいのよ! ね、グリムナ! 一緒に見に行かない?」


 花が咲いたような。


 まさにそんな言葉がふさわしく感じられるように、ぱっとレニオが笑顔になって、まるでグリムナに抱き着くかのように近づいて、上目遣いで彼の顔を覗き込みながらそう言った。


 同時に、ぎり、と歯噛みする音が聞こえる。ラーラマリア、それにシルミラ両名である。


「あ、あのさぁレニオ、グリムナは私の婚約者なわけよ……」

「そしてあなたレニオは私の夫なわけよ……」


 レニオはグリムナの体に抱き着きながら頬を膨らませて抗議する。


「なによぅ、男同士の友情を確かめあってただけじゃない! グリムナはラーラマリア一人だけの物じゃないんだから! それに結局両親へのあいさつもまだしてないんでしょ? だったらなおさらよ!」


 ラーラマリアは「ぐぬぬ」と唸ってしまって黙る。さすが元斥候だけあって口の上手さは一流。可愛らしく人に取り入る技術も錆びておらず。


 レニオはそのままグリムナの腕を引っ張りながら懇願する。


「ねぇ、グリムナ、一緒に見に行こうよ。こんな片田舎に見世物小屋が来るなんてめったにないんだから! なんか珍しい動物もいるらしいしさ!」


 レニオはラーラマリアの方をちらりと見てニヤニヤ笑いながら言葉を続ける。


「あ、別にラーラマリアもついてきてもいいわよ。グリムナはアタシだけのものじゃないから。まあ、『外に出られるなら』の話だけどねぇ~」


 ここでどうやらグリムナがレニオの意図に気付いたようでわざとらしい口調でレニオに同調した。


「そうだな、俺ももう一か月もこもりっきりで限界だし、そんな珍しい見世物が来てるんなら外に見に行きたいな……ラーラマリアが来ないなら、レニオと2人っきりで行くか……」


 ラーラマリアは顔を真っ赤にして、眉間にしわを寄せた。


「むぅぅ~~……」

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