第305話 クイーンベアリス

 薄暗い洞窟の中、通路を行った先の大広間は他の場所と違って一層明るいかがり火が焚かれていた。天井も3メートル近くあり、中央には大きめの執務机がしつらえてあり、その向こうにある椅子には小柄な女性が座っていた。


「えっ!?」


 グリムナの顔を見るなり女性はガタッと立ち上がり、驚愕の表情を見せた。


「話も通さずに申し訳ありません。なにぶん急なことでしたので、とりあえずお客人をお通ししました……」


 ここまで案内した兵士が恐縮しきりの表情で言い訳するように女性に話しかけるが、しかし彼女にはそんな言葉は届いていないように見えた。キラキラと目を輝かせ、そのまま真っ直ぐグリムナの元に駆け寄ろうとする。


 が、当然間には執務机があるので、ガッ、と足をぶつけてずでんと机の上に突っ伏す。それでも勢いは止まらずに頭から執務机を越えて地面に落下し、そのままぐるんと前転して背中から地面に落ちた。簡素なワンピースからパンツが丸見えである。


 しかしそれを全く意に介することなく立ち上がり声をあげる。


「グリムナさん! やっぱり生きてたんですね!!」


 そう叫んで、ベアリスは今度こそ彼のもとに走り寄って勢いよく抱き着いた。憤怒の形相のラーラマリアが剣の柄に手をかける。


「うわあぁ~ん、グリムナさん! 絶対! 絶対死んでるはずないって! しんじでましたあぁぁ!!」


 そう言いながらベアリスは号泣している。グリムナは手で制止するようなハンドサインを送ってラーラマリアに剣を収めるよう指示する。


 ねちゃぁ、とグリムナの腹部から鼻水の糸を引きながら涙目のベアリスは顔を上げた。


「すん、……あれ? でもなんで他の人はいないんですか? なぜラーラマリアさんが一緒に? 仲直りしたんですか?」


 すぐ横にビュートリットが寄り添い、ハンカチを彼女の鼻に当てると、ぶびぃっと派手な音をさせて鼻をかんだ。グリムナは勢いのありすぎる彼女の登場にまだ自分のペースをつかめないでいる。


「はぁ……で、他の方々は一体どうされたんですか? ヒッテさんは?」


 ヒッテ……その言葉にグリムナがビクッとする。アンキリキリウムで出会ったあの女性……やはり自分にとって重要な人物だったのだろうか、とグリムナは考える。


「その……ヒッテと、俺は一体どういう……関係だったんですか?」


 グリムナのその言葉にベアリスは何を聞かれているのかが分からず小首を傾げる。


「どういうも何も……覚えてないんですか? 砂漠で、私が立会人になってプロポわぶっ!?」


 一瞬のうちにベアリスの口をラーラマリアが手で押さえた。すぐ近くにビュートリットも衛兵もいたのだが、誰も反応すらできなかった。


「ラ、ラーラマリアさん!?」

「すいません、そういう話はプライベートですのでちょっと」

「え? いや、今聞かれたから答えたんですけど!?」

「すいません、事務所を通してもらわないと」


 そのままラーラマリアはベアリスの腕を引っ張って洞窟の壁際まで移動した。


「どうしたんですか? というか、二人に何があったんですか?」


 ベアリスは眉間にしわを寄せて尋ねる。正直言って今のやり取りがなくとも、二人が一緒にいるというだけで彼女からすれば疑問符のつく関係である。


 彼女が最後にラーラマリアに会った時、ラーラマリアは確かに『グリムナを殺す』と言っていた。それがなくともグリムナの目の前で自分をさらったりと、明らかに敵対行動をとっていたはずなのに、今は仲がよさそうに二人旅をしている。


「その……ですね……まあ、色々あったんですが……」


 ラーラマリアはこめかみに指を当てながら考え込む。どう説明したものか。どう説明してもうまく誤魔化せる気がしない。しかし最低でもヒッテとグリムナの関係だけは黙っていてほしいという気持ちはある。彼とヒッテが特別な関係であったろう事は当然ラーラマリアも察しているのだ。


 どうするのか。


 いっそのことここにいる全員一気に斬り殺そうか。


 しかしそんなことをすればグリムナとの関係も終わってしまうことは容易に想像がつく。


 ラーラマリアは覚悟を決めた。小細工はやめだ。有無を言わさず一息で決着をつける、と。


 ザッ


 誰もが予想していなかった事態が起こった。


 ラーラマリアが両膝を地面について土下座をしたのだ。


「え? ちょっ、ええ!?」


 ベアリスは混乱している。あの気位が高く、誰にも屈しないラーラマリアが、まさか自分に土下座をするなど。


 グリムナも少し遠い場所でその光景を見て唖然としている。二人の間にどんなやり取りがあったのかは分からないが、こんな場面に出くわすとは思わなかった。


 ラーラマリアはグリムナ達のいる場所には聞こえないよう、小さい声でベアリスに話しかける。


「お願いです……ヒッテの事は、黙っていてください……今、グリムナとうまくいきそうなんです……本当の本当に」


 ガバッとラーラマリアは顔を上げる。涙を流し、鼻水が垂れていた。そのまま彼女はベアリスの足を両手でつかんだ。


「なんでもします。本当に……靴も舐めます……前は、誘拐してすみませんでした。全面的に、私が悪かったです……」


 そう言ってラーラマリアは本当にベアリスの靴を舐め始めた。


「ちょっ、ちょっとラーラマリアさん! やめてください!」


 グリムナも遠くで目を丸くしてそれを眺めている。


「ぺろぺろ……何でも言うこと聞きますから……私の事は『犬』とお呼びください」


「わ、わかりました! 分かりましたからもうやめてください!!」


(いったい何が起きてるんだ……)


 グリムナは目の前で起きていることが完全に理解の範疇を超えてしまっていて、ただただ立ち尽くしている。


 ようやく立ち上がったラーラマリアの愛想笑いに、ベアリスは寒気すら感じていた。元々彼女は目的のためならば手段は選ばない人種ではあるものの、しかしやはりあの気位の高いラーラマリアがそんなことをするとは全く考えていなかった。


 二人はなんとも言えない表情でグリムナの傍にまで歩み寄って、そしてベアリスがゆっくりと口を開いた。


「何も……ありませんでした」


「は? 何もない!?」


 グリムナは我が耳を疑い、ベアリスに詰め寄る。


「いやいやいや、おかしいでしょう! あそこまで話しておいて『何もない』って! ヒッテがどうのこうのとか言ってたじゃないですか!」


「言いましたっけ? そんな事?」


「え……」


 あの流れから突如としての『何もない』……如何にグリムナがにぶちんと言えどもさすがにこれはラーラマリアが土下座して口止めしたのだということは見て取れる。


 しかし見て取れるものの、所詮はそこまでだ。それ以上の追及はできない。


 ラーラマリアがそれを望まないのは分かるし、何よりベアリスは王女。記憶のないグリムナにとって尋常であれば口をきくこともはばかられる存在。それ以上の尋問などできようはずもなし。


 ラーラマリアがグリムナの記憶を取り戻すことに積極的でないことは察していたが、しかしこれでグリムナはその疑いを一層強くしたのだった。


「その、一旦お開きにして、少し休憩してからお話ししましょう」


 ベアリスがそう言うと隣にいたビュートリットもそれに付け足して話す。


「ベアリス陛下は5年前より体調が思わしくないのだ。察してくれ、グリムナ殿。貴公らも旅の疲れがあろう。一旦休まれるがよい」

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