第306話 そんなの、ないよ

 ノックの音が、静かな洞窟内に響く。


 グリムナ達がベアリスの元を訪れた日の夜、ベアリスの寝室に訪問者がいた。洞窟自体の入り口には歩哨が立って警戒しているものの、その内部には衛兵などはいない。


「どうぞ」


 彼女の寝室だけは王族の女性であり、この亡命政府の元首ということもあり、小さな部屋に戸が取り付けられている。あまり建付けの良くないドアをぎぃ、と開き、ラーラマリアが入室してきた。


「やっぱりラーラマリアさんですか。そろそろ来る頃だと思っていましたよ」


 ベアリスが着席を促すと、ラーラマリアはしおらしい表情で座った。ベアリスはグリムナかラーラマリアのどちらかが、一方には内緒で自分に逢いに来るだろうと予想していた。


 そして、自分の予想が確かならば、来るのはラーラマリアの方だろう、とも思っていた。ベアリスは神妙な面持ちで口を開く。


「グリムナさんは、記憶を失っていますね?」


グリムナが記憶を失っているのならば、王族の寝室に人目を忍んで来室するなどありえないからだ。その言葉を聞いて、ラーラマリアはほろり、と一滴の涙をこぼした。


「まず……謝らなければならないことがあります……あの時、ベアリス様の身柄をさらって革命派に引き渡したことを、謝罪します」


 ベアリスはふっと笑って返す。


「そんな事、気にしてませんよ。私は」


 ラーラマリアはかぶりを振り、少し語気を強めて話す。


「それだけじゃありません! ビュートリットに砂漠でベアリス様を暗殺するよう進言したのも私です!!」


 「知ってますよ……今こうしてビュートリットさんと協力して行動しているんですから、もちろんそのことも気にしていません。結果こうして元気にしているわけですから」


 ベアリスはそう言って両手で力こぶを作る様なポーズをしてにっこりと微笑んだ。彼女の気丈な姿を見て、ラーラマリアはぽろぽろと涙をこぼす。


「あなたと話すと……私はいつも、自分の小ささを思い知らされる」


 ベアリスは優しい表情になってラーラマリアに尋ねる。


「5年前、いったい何があったんですか?」


ラーラマリアはしばらく迷っていたがやがてゆっくりと話し出した。ベアリスはすでにこちらの願いを聞いてくれたのだ。それに対して自分が事情を話さなかったらこれは筋が通らない、ということになるからだ。


「何から話せばいいのか……ともかく、ベアリス様と別れた後、私はローゼンロットでグリムナと決闘をしたの……でも信じて! 私はグリムナを殺す気なんてなくって!」


 面と向かって思いっきり『殺す』と言っていたではないか、とベアリスは一瞬思ったが、しかし言葉を飲み込む。彼女もラーラマリアが天邪鬼な性格なことは知っているし、何より話を聞く、と言ったのは自分なのだ。ひとまず彼女の話を聞くことに専念する。


「戦いの中で、私はわざとグリムナに刺されて死ぬつもりだったの……それは上手くいったんだけど、私が気を失っている間にグリムナが何者かにやられたみたいで……この辺のことは正直どうなったのか私にもよく分からないんだけれど……」


 う~ん、と悩みながらラーラマリアは話す。正直言って誰がグリムナを殺したのかもわからないし、なぜ彼が生き返ったのかもわからない。さらに言うなら致命傷だと思っていた自分が何故生きているのかも不明だ。彼女は水底の方舟の能力を把握しているわけではないのだから。


 そして目が覚めたら二人とも無事の状態で、5年後になっていたのだ。これをうまく説明しろという方が無理がある。


「多分だけど、タイムスリップしたと思うのよね……」


 突然SFになった。


「え?」


 『今は聞こう』と心に決めたベアリスであったが、しかしこれにはさすがに聞き返してしまった。しかし確かにラーラマリア目線で見ると、意識のなかった状態から目が覚めたら五年後だったのでタイムスリップしたように思えるのかもしれない。


「こう……ベアリス様も知っていると思うけれど、私とグリムナは幼いころから結ばれる運命として育ってきたのよね……それが定められた人生だったの」


 ラーラマリアが立ち上がり、洞窟の壁面に一本の横線を引きながらそう説明する。


「はぁ……」


 初耳である。


「それが正しい世界線だったのだけれど、ここに何らかの外乱因子によってパラレルワールドが発生してしまった。私はシルミラか、ヒッテが時空間を捻じ曲げた、未来から来たタイムトラベラーだと思ってるんだけど」


 ラーラマリアは横線の上に×を描き、そこから横線を枝分かれさせた。ベアリスは目をぱちくりさせている。


「これも可能性の世界の一つだと思うのよ。波動関数の収束により本来は消えてしまう世界。私たちは本来あるはずのない世界に迷い込んでしまったの」


「えぇ……?」


 ベアリスはその説明を呆然とした表情で聞き続ける。『横から茶々を入れずにとりあえず一旦聞こう』と思ったものの、彼女の説明があまりに常軌を逸しすぎていて理解が追いつかず、ツッコミすらできない。


「ところが世界には復元力というものがあるわ。無理やり捻じ曲げたいびつな世界は長くは続かない。5年前、おそらくその揺り戻しが、竜という形になって現れたのよ」


 全然違う。


「はぇ~、すっごい……」


 もはや語彙力を失ってしまったベアリス。


「おそらくそれが私のタイムスリップや、グリムナの記憶喪失という形になって現れた、というわけなのね。アンキリキリウムの町であった時、ヒッテも記憶を失っていたみたいだから、多分彼女は無理やり正しい歴史を改変した罪でタイムパトロールに記憶を消されたのかもしれないわ……」


 ラーラマリアの説明は終わったものの、しかしベアリスにとっては大いに疑問の残る内容ではあった。だが本人がそう思って説明しているのだからもはやどうしようもないのも事実だ。


「……グリムナさんは、やはり記憶を……彼は、私の事は……?」


 その問いかけにラーラマリアは首を横に振った。ここへ来る前の兵士との会話からすれば、グリムナはやはりベアリスの事も覚えていない。


「そう、ですか……一緒に冒険したことも、砂漠でおしっこ飲んだことも、全部覚えてないんですか……」


「ふお!?」


 聞き捨てならない言葉にラーラマリアは反応したが、しかしベアリスはそれ以上は語らなかった。


 ベアリスは椅子に座ってうつむいたまましばらく寂しそうな表情をして黙っていたが、そこへ改めてラーラマリアが話しかける。彼女の『本題』はここからである。


「お願いです。今度こそ、私は間違えずにグリムナと共に歩めそうなんです。ヒッテとグリムナの間に何があったのかは知りませんが、そのことはグリムナには黙っていてもらえませんか」


 しばらくの間、長い沈黙が流れた。


 ベアリスからすれば、ヒッテとのことは自分がプロポーズの立ち合いをしたという『義理』がある。あるのだが……


「ふぅ……」


 そうため息をついて、ベアリスはこめかみを押さえた。


「なんだか、疲れました……ラーラマリアさんの『お願い』は分かりました。何とかごまかしますよ……話は以上ですか?」


 ラーラマリアが頷くとベアリスは椅子から立ち上がった。それにつられるようにラーラマリアも立ち上がる。


「すいません、今日はもう疲れたので休ませてもらいます……」


 そう言うベアリスに押し出されるようにラーラマリアは部屋から退出する。明らかに様子がおかしいが、けれども有無を言わせないような空気があった。


 ベアリスはラーラマリアを部屋の外に出すと、ドアを閉め、かんぬきをかけた。


 彼女は先ほどから変わらぬ呆然とした表情のまま、閉めたドアにトン、と背中を寄りかからせ、洞窟の天井を見上げた。


「覚えてない……? 私の事も……」


 彼女は両手で自分の顔を覆った。


「私……頑張ったんですよ……いつか、グリムナさんみたいになりたいって……」


「『頑張ったね』って、褒めて……褒めて欲しかったのに、ひうっ……たとえ国から追い出されようとも、それでも国民のために立ち上がったのは……全部、グリムナさんみたいになりたかったからなのに……ひっ……」


 ぽろぽろと大粒の涙が彼女の頬を伝う。


「それなのに、覚えてないって……そんなの、ひぐっ……」


 ベアリスはその場に座り込み、しゃくりあげて泣きじゃくった。


「ああああ、そんなの、ないよぉ……」

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