第304話 殺すのはいつでもできる

「ん?」


 兵士が振り向いた瞬間、視界を何かが覆ったように思われた。


 コッ


 顎先を何かがかすめた。『敵だ』そう感じて兵士は剣の柄に手をかけたが、そのまま意識を失って頭から崩れ落ちた。


 残りの二人は慌てて剣を抜き、スッと乱入者を挟むように移動する。ところが乱入者は微動だにせず、兵士に焦点すら合わせず、何もない空中を見つめたままである。


 『こいつは素人だ。最初のはラッキーパンチにすぎん』兵士はそう考えた。だが彼らの間にいるのは『勇者』ラーラマリアである。


 ラーラマリアはそれぞれ体の右側面と左側面を兵士に抑えられた状態で棒立ちである視線はやはり何もない空間をとらえている。


 『まずい』、そう思ってグリムナは藪から駆けだしたが、それよりも早く右の兵士は上段を横薙ぎに、左の兵士はその剣とかち合わないように下段を横薙ぎに切り付ける。


 一方ラーラマリアは


 グリムナにはまるで彼女の動きがスローモーションのように感じられた。それほどまでに無駄な動きの一切ない、最小限の動きだったからだ。


 ほんの少しの跳躍、いや、実際には跳んですらいなかったかもしれない。ともかく彼女の身体は宙に浮き、空中で体を水平に寝かせ、上下の横薙ぎを躱す。それと同時に足を開脚、両側の兵士の顎を時間差無く蹴り飛ばし、それで決着がついた。


 そのままラーラマリアは地面に手を突くことなく空中で姿勢を制御して着地する。グリムナが彼女のところにたどり着いたのはそれから5秒ほど経ってからであった。


「これでいいんでしょ? 全員気を失っただけよ」


 グリムナはそのあまりに見事な動作に言葉を失っていた。


「ごめんね。グリムナの言うことがやっと理解できたわ。つまり殺すのはいつでもできるけどその逆は無理だからすぐには殺すな、ってことなんでしょう?」


 これを成長と言ってよいのか、グリムナにはなんとも判断がつかず、その問いかけに応えることはできなかった。


 グリムナが回復魔法をかけてから三人を起こし、ここで何をしていたのかを尋問する。ちなみに三人とも全く拘束などはしていないが、正直ラーラマリア一人いればその必要は全くないからだ。



――――――――――――――――――――



「ターヤ王国亡命政府?」


 グリムナがそう聞き返すと兵士たちは一様にうなずいた。グリムナはしばらく考えてラーラマリアに質問する。


「何か、思い出しそうなんだけど、俺達ってもしかして旅の道中でターヤ王国に訪問してる?」


「え? うん、そうね。盗賊の討伐かなんかだったかな? グリムナは王女のベアリス様に家庭教師したり、その後もなんか懇意にしてたみたいだけど……」


 少し気まずそうな表情をするラーラマリア。それもそのはず、彼女はその王女ベアリスを誘拐したことがあるからだ。


「そうです、そのベアリス様を暫定君主とする亡命政府です!」


 兵士が正座したままそう答えた。しかしグリムナはまだ腑に落ちない顔で考え込んでいる。


「亡命政府?」


 つい口にしてしまう。何かやらかして国を追い出されたということだろうか。それはいい。それはまず置いておいてだ。

 しかし、それはそれとして、誰にも知られずにこんな山奥でひっそりと亡命政府をやっているということがまず腑に落ちないのだ。


 普通亡命と言えば国にいられなくなった人間が他国に逃げることである。一般市民であれば異国の地で食い扶持を得てひっそりと生きていくことになるが、政府の要人や貴族、王族ともなれば友好的な国の政府や貴族に保護してもらって雌伏の時を過ごす、というのが通例である。ましてや亡命政府ともなれば。


 国を追放され、野山で野生生活……どこかで聞いたことがある様な、無い様な。


 グリムナが思い悩んでいると兵士の方が声を先にあげた。


「あの、もしやグリムナ様ですか?」


 兵士に『様』付けされるような身分ではないものの、グリムナが肯定の意を示すと兵士は表情を明るくして言葉を続ける。


「良かった! ずっと探していたのです。どうかベアリス陛下の元に一度来ていただけませんか。詳しい話はそこで致します」


 事情は分からないものの、どうやら亡命政府の長が彼に話があるようであった。いきなり襲い掛かって暴力をふるったこともどうやら有耶無耶になりそうということもあり、二人は素直に兵士の後についていくこととなった。



――――――――――――――――――――



「ここっスか……」


 グリムナは困惑していた。


 人も通わぬ山奥とはいえ。


 亡命政府であるとはいえ。


 一国の元首のいる場所なのだからそれなりの建物か何かであろうと思っていたのだが、来てみれば、それは集落や建物というよりは……


 ダンジョン


 まさにその言葉がしっくりくる作りであった。


 岩肌に空いた穴は、幅は詰めれば3人ほどが通れるか。高さは少しかがまねば危うい気がする。


 冬眠用のクマの巣穴か何かではないのか、そう思えるものであった。一応そのダンジョンを中心として周辺には中に入れずあぶれた者たちの住処であろうか、いくつかの掘立小屋も見て取れる。近くにはごみ捨てようの穴もあけており、一応最低限の生活の痕跡はある。


 しかしやはり、亡命政府というよりは。


山賊。


圧倒的山賊感。


「どう思う? ラーラマリア……」


 グリムナの心配は洞窟に入れば袋小路、剣も扱えない狭所にて両側から挟み撃ち、というものであったが、しかしラーラマリアは何事もないかのように答える。


「問題ないわ。どんな場所だろうと私は負けないし……」


 周辺を少し見まわして言葉を続ける勇者。


「規律が取れている」


 ん? と、片眉を上げてグリムナが聞き返す。


「つくりは全体的に雑だけど、ごみも落ちていないし、見張りもしっかりしている。私たちが通りがかっても不用意に集まってきたりしないし、軍隊としての規律が取れているわ。少なくとも山賊にはこんな動きは取れない。訓練された人間の動きよ」


 『訓練された人間』ということはひとたびそれが自分達に牙をむけば大きな脅威となるのではないか、とも彼は思ったが、しかしラーラマリアが『大丈夫』と言えばそれは『大丈夫』なのだ。


こと戦闘においては彼はラーラマリアを信用しているし、彼女の判断力はグリムナが絡みさえしなければ決して間違うことはない。グリムナが納得すると、二人は導かれるままダンジョンに入っていく。


 ダンジョンの内部は一定間隔でかがり火が焚かれており、十分に明るく存外に広かった。また奥の方からも空気が流れてきており、どこか別の場所からも外に繋がっていることが窺われる。支えの木で補強もされており、炭鉱の様に人の手が入って整備されていることがよく分かる。


(ベアリスがこの奥に……)


 グリムナも緊張の表情を見せているが、しかし本当の意味で緊張しているのはラーラマリアの方であった。


(どういうスタンスで接するべきだろう? 誘拐の件はもう時効、かなあ?)


 彼女の性格であれば終わったことは気にしない。誘拐の事などもはや気に病んでいることもないだろうが、しかしそれを知らないラーラマリアは判断がつかない。


 しかしそれ以前になぜベアリスがグリムナに会いたがっているのかが分からなければどうにも立ち位置が決まらないのだ。さらに言うなら亡命した経緯も分からない。


 『考えても仕方ない』……彼女がそう思いいたるころ、ダンジョンの通路はいくつかの分かれ道を通り過ぎて、ひときわ大きな部屋にたどり着いたのだった。

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