第137話 次は法廷で会うわよ

 コンコンッ、という木づちの音によって法廷が開かれた。内容はもちろんグリムナが児童福祉法に反し、ヒッテに対してわいせつ行為を働いたという旨のものである。しかしこの国には、いや実を言うとどこの国にも『児童福祉法』などという法律は存在せず、裁判長もなんとなく雰囲気で語っているだけであり、基本的に大筋の書かれた台本によって進む茶番劇である。


 この世界には基本的には『人権』という概念はほとんどなく、つい最近ぽっと出てきた新しい考え方である。その急先鋒がアムネスティ人権騎士団を中心とするムーヴメントなのであるが、実際考え方に対し法整備が全く追いついておらず、この手の裁判が持ち込まれる度関係者は大いに混乱している。


 なにしろ人を裁こうにもそのバックボーンとなる法律が全くないのだ。仕方なく裁判官たちは原告側の主張する内容に合わせて現存するものや過去の法律に照らし合わせ、時には宗教の法典にまで当たって罪に触れる事をしていないかどうかを精査してゆく。


 しかしそんな実態のないものの裁判など一人の裁判長に判決が下せようものか、当然そう言った場面では『大いなる意思』が働くのだ。


 裁判の傍聴席には被告人関係者としてヒッテとフィーがいるが、バッソーの姿は見えない。さらにそのすぐ近くにアムネスティ、メルエルテなどの関係者が並んでいる。しかしその最奥に一際巨大な椅子があった。豪華な作りではなかったが細い人なら二人は座れそうなベンチの様な椅子である。


 開廷してすぐにズン、ズンと思い足音が聞こえる。


「間に合い申したか」


 野太い低い声を響かせて、身長2メートルはある大男がその特別にしつらえられたであろう椅子に座るとめしり、ときしむ音が聞こえた。グリムナ達以外の場にいた全員がその存在感に恐怖していたし、実際彼が誰か知らないグリムナもその圧倒的な威圧感にのまれていた。傍聴人席にいるということはこの裁判と直接的には関わっていないというのにだ。


 着席した男は大司教メザンザ。このヤーベ教国の元首であり、ベルアメール教会のトップでもある。さらにこの裁判を通じてグリムナを有罪にし、身柄を拘束しようと目論んでいる黒幕である。


 グリムナ達は知らないが、基本的に裁判はこの男の筋書き通りに進むこととなる。つまりはよほどの無理筋でない限り、彼の有罪は決まっているのだ。


 しかし裁判長はぼりぼりと禿げ頭をかきむしって汗を垂れ流す。今回の件ははっきり言って『かなりの無理筋』なのである。彼の手には余る代物であった。


 さらに突っ込んで言うと、法廷という物はあまり個人の罪をとことんまで追求する場でもないのだ。この裁判長もそう言った経験は少ない。


 法廷とはもめ事を仲裁する場である。決して『真実を追求する場』ではないのだ。もめ事が起こった場合、古い時代では基本的に慣習法による『私刑』により事は納められる。そうでなければ『フェーデ』これは『復讐』とも訳すことができるが、基本的には個人間、民間での解決がまず図られる。


 それでも解決しなければいよいよ裁判の出番である。


 日本では大抵の場合事件の被害者や遺族は「裁判で真実が明らかになるということを望む」というが、科学捜査の発達した現代日本ならともかく、野蛮な中世世界でこの考え方は通用しない。これは真実を明らかにする『実体的真実主義』と言われるが、古い時代や、アメリカの裁判では『当事者主義』が重んじられる。


 これはあえて誤解を恐れず乱暴な言い方をさせてもらうが、「まあ、真実は置いておいて、当事者同士納得のいく範囲で丸く収めましょうや」という考え方である。そのため司法取引なども頻繁に行われる。


 それでも解決しなければ判断の場は『決闘裁判』や『神明裁判』の場へと持ち越される。これは非常に野蛮なのでみんなやりたくない!


 よく『勝率9割越えの弁護士』などという者が頻繁に出てくるが、「こんなに9割越えの弁護士が大勢いるならどこかに『勝率1割未満の弁護士』の集落でもあるのでは?」と思う方もいるかもしれないが、そんなものは無い。なぜなら彼らは負けそうになると『示談』するからである。示談は引き分け、勝ちでも負けでもないから勝率には含めない。精神的勝利である。


 さて、話が逸れてしまったが基本的に『合意は法律に、和解は判決に勝る』のである。裁判所とは和解のための助言をしたり、法的根拠を裏付ける場所であって、決して判決を下す場所ではないのだ。


 しかし今回は事態が複雑だ。被告人のグリムナは徹底抗戦の構えを見せているし、原告側、被害者のはずのヒッテがなぜか被告人側の関係者席に着席している。その上でメザンザの威圧的な視線。裁判長は弱りに弱っていた。


 ともかく、法廷は開かれたのだ。始まってしまったものは進めねばならない。原告側、検事が罪状と求刑を読み上げる。


「ええと、ですね……そう言うわけで被告グリムナはですね。アムネスティ人権騎士団からの告発にある通り、自身のええと……奴隷? 奴隷であるヒッテ嬢に性的暴行を加えたという疑惑が……あれ? 奴隷? 奴隷なら別によくない……?」


 思わず検事が罪状を読み上げながら自分の発言に疑問を持ってしまった。事前に目を通していないのか。しかしその様に激怒したのはアムネスティである。ガタン、と大きな音を立てて立ち上がった。


「女性が! 小さな女の子が性的虐待を受けてるっていうのよ!! 今『よくない?』って言った!? あなた、名前と所属は!?」


「ひぇ、良くないです! 聞き間違いです!死刑に相当する大変非人道的な犯罪であります!」


 アムネスティは面会の時には確か「グリムナの無実を信じてる」とかなんとか言っていた気がするのだが、いったい誰の味方なのか。おまけに求刑も勢いに任せて死刑になってしまった。裁判長が頭を抱えて「はぁ」とため息をつく。ますます無理筋である。


 検事は委縮したまま恐る恐る続きを話した。


「そ、そんなわけで、そちらのグリムナってクソロリコン野郎が小さい女の子にしか発情しない変態野郎だって話で、そんで自分の粗末なつまようじをを小さい女の子に触らせたり、握らせたり、突っ込んだりしている疑惑がある、と……」


 開幕早々グリムナへの凄まじいセカンドレイプである。ヒッテは他人事のような感じで足を組んだまま聞いている。まあ実際そんな事実はないので他人事なのだが。


「……と言うわけらしいが、被告人側は何か反論はあるかね?」


 唐突に裁判長から話を振られてグリムナは焦る。何の準備もしていなかったのだ。というか、バッソーが連れてくると言っていた『腕利きの弁護士』はどうなったのだろうか。エルフ弁護5段の使い手という、いや違った、それはメルエルテの話であった。

 ともかく、このまま反論がなければ原告側の主張が丸のみになってしまう。ほぼ欠席裁判と同じ様相である。裁判長としてはこの難しい裁判を一番簡単に終える方法として渡りに船ではあるがグリムナは当然受け入れられない。仕方ない、自分自身の弁護をぶっつけ本番でするしかない、と覚悟を決めたが、その時バンッとドアが開かれた。


「遅くなりましたな、グリムナ側の弁護人です!!」


 そう言って入室してきたのはバッソーであった。しかし開けられたドアからはしばらくしても誰も入ってくる気配がない。裁判長が困惑していると、再度バッソーが口を開いた。


「失礼、紹介が遅れましたな。弁護士のバッソー・ヤーレウです」


「チェーンジ!!」


 バッソーが言い終えるか終えないかの内に即座にグリムナが拒否の意向を示した。しかし裁判長の反応は冷たい。


「そういった制度はありません」


「それでもチェンジで!!」


「被告は不規則発言を慎んでください。退廷させますよ」


 この言葉にグリムナは思わず黙り込んでしまう。ここまで来て欠席裁判などとんでもない。今はこの色ボケじじいに期待するしかないのだ。

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