第319話 森林魔法

「ふ~ん、それじゃあそのコルヴス・コラックスの秘術を使ったせいでグリムナの記憶をなくしたって言うの?」


「と、言われても、その術の事も覚えてませんので……」


「それなのよね~……誰もその場にいなかったから結局何が起こったのか誰にも分からないのよ! 当の本人は忘れちゃってるし!」


 山道の中を三人の女性が進む。


 かなり珍しい組み合わせである。


 人間の少女と、エルフの母子。一人は褐色で、一人は中年。女性だけの旅など不用心極まりない危険な行為ではあるものの、しかしエルフという種族は修練を積まずとも、生まれつき妖術、幻術の類が扱える上に肉体も人間よりほんの少し頑強である。


「グリムナの奴さえ出てくれば話は早いっていうのに! どこでなにしてんのよ、あいつは」


 フィーが憤慨した表情でそう言うが、ヒッテとメルエルテは冷静な表情である。


「あんた……グリムナに会いたい?」

「なっ……」


 唐突にメルエルテに問いかけられてフィーは赤面して言葉を失う。


「わっ……私は、別に、そ、そういうんじゃ……」

「会いたくないんですか?」

「会いたいわよ!」


 ヒッテに尋ねられると即答するものの、しかし言い訳するように言葉を続ける。


「会いたいけど、ヒッテちゃんとは違うわよ? ヒッテちゃんはその、恋愛的なアレだけど、私は、仲間としてねぇ!」


「いや、私は記憶がないので何とも……会いたいのかどうかもよく分からないですけど」


 思わぬ塩対応にフィーは驚きの色を隠せないようだった。


「くっ、ドライね。所詮は過去の男って事? これだから男女の関係は……やはり男同士こそが至高ね……」


 二人が盛り上がっていると、メルエルテが道の先を見つめながら、スッと手を挙げて二人の騒ぎを収めさせた。


 誰かいるのだろうか、と2人は耳をそばだてる。


 そろそろと音のする方に近づき、遠くから様子を見てみると、それはまだ年若い母子のようであった。茂みにしゃがみこんでは何やら話している。


「怪しい奴じゃなさそうね。何してるのかしら?」


 フィーはそう言うが、かなり山深い場所、ピアレスト王国とフェラーラ同盟の国境付近である。そんな場所に小さな、6歳くらいの少年と母親がいる。その時点ですでに怪しい。


 しばらく見ていると、子供が地面から何かを拾い上げた。


 それは大人の親指ほどの大きさの幼虫であった。


 「虫を捕まえにこんな山奥まで?」そう三人が考えていると、少年は虫の尻の方からぎゅっと握り、しごくようにして内臓を吐き出させると、それを食むしゃむしゃとべてしまった。


「!?」


 全員が息を呑む。


「どこかで、見た光景ね……」

「そうですね……」


 フィーとヒッテが眉をひそめながらそう話す。


「うそでしょ? ヒューマンの生活が最近苦しいのは聞いてるけど、虫を食うほど困窮してるっての?」


 メルエルテ一人だけが驚愕していたが、しかし二人はその問いかけには答えず、目を見合わせてこくり、と頷くと、無造作にその親子の方に歩み寄っていった。


「ちょっと、お話しいいかしら?」


 にこやかな表情でフィーが話しかけると、親子は初めて見るエルフの美貌に見とれているのか、ぽかんと口を開けたまま固まっている。声をかけたのが若い女性ということもあり、あまり警戒はしていないようだ。


「ベアリスって知ってるかしら?」


 ド直球で攻めた。親子はビクリ、と竦んで、その後すぐに母親は後ろに振り向き、子供の手を引いて走り出す。それを見て即座にフィーは胸の前で両手を使って複雑な印を組み、呪文を詠唱する。


「森は生きている、森は暖かい……喰らえっ! 蔦絡みC・W・ニコル!!」


「キャアッ」


 走り出したばかりの母子の脚につたが絡みつき二人は腐葉土のクッションの上にぼそりと倒れこんだ。


「ふふふ、森の中でエルフの森林魔法から逃げようったってそうはいかないわよ」


「怖がってるじゃないですか、やめてくださいよフィーさん」


 ヒッテが刺激しないようゆっくりと近づいて、二人の体に付着した枯葉をぱんぱんと払って改めて話しかける。


「この辺りに、ベアリス様がいるんですか? 私達はベアリス様の友人です。案内してくれませんか」



――――――――――――――――



「驚いた、本当にフィーさんと……ヒッテさんですか? 一人知らない人もいますけど」


「私のお母さんよ」


「なぜお母さん」


 尤もな質問である。が、ともかく八割がた偶然であったものの、しかしベアリスとヒッテ達は再会を果たすことができたのだ。ターヤ王国亡命政府のアジトの洞窟の中、ベアリスはヒッテの両手をぎゅっと握って涙をにじませる。


 ヒッテはベアリスの事は思い出せない部分も多くあったものの、しかし大抵の記憶は取り戻していた。ここに来るまでにフィーと同行して三か月ほどが経っている。その間、道中フィーから旅の記憶をずっと聞かされており、グリムナ以外の事については大分記憶が戻っていたのである。


「なぜ、グリムナさんと別行動をしているんですか?」


 何か嫌な予感があったのだろうか、ベアリスのまず最初の質問はそれであった。


「ヒッテには……グリムナの記憶が……」


 そこまで行ってぱっとヒッテは顔を上げた。彼女の言葉が引っかかるところがあったからだ。


「なぜ、ヒッテ達とグリムナが別行動をしていると分かるんですか? たまたまここにいないだけなのかもしれないのに」


 しかしベアリスは視線を逸らすことなくまっすぐヒッテの目を見て答える。


「1か月ほど前にここに来たからですよ。グリムナさんが」


「ええっ!?」


 フィーが思わず大声を上げる。しかしヒッテは冷静であった。その事実よりも、ベアリスの言葉に不審な点があったからである。


「『達』とは、誰ですか?」


「それは……」


 視線を落として逡巡するベアリスであったが、しかしそれが誰を指すのか、実はヒッテには予想がついていた。


「ラーラマリアですね」


「えええええああ!?」


「うるさいのよあんた」


 大声を上げるフィーの横っ面をメルエルテが押す。


「正直確信が持てていなかったんですが、ヒッテは、アンキリキリウムの町で、グリムナと、ラーラマリアを見ました」


「だったらなぜ! その時に声をかけなかったんですか! ヒッテさんはグリムナさんの事を……」


 ベアリスのその言葉の先を聞く前に、暗い声でフィーが止めた。


「ヒッテちゃんには、グリムナの記憶がないのよ……」


「ええ!? どういうことです!?」


「あんた達ずっとそんなテンションなの? よく疲れないわね」


 ベアリスのリアクションにメルエルテがツッコミを入れた。確かに先ほどからみんなやたらと叫んでいる。


 事情が全く呑み込めずに固まっているベアリスにフィーが一つ一つ説明をした。コルヴス・コラックスの歌の秘術……人を蘇らせる代わりに大切な人の記憶を失ってしまう事、5年前、ヒッテがグリムナを助けに行ったきり行方不明になったこと、そしてフィーと再会を果たしたヒッテがグリムナの記憶を失っていることを。


「ええ……ヒッテさんも……記憶を?」


……?」


 フィーが聞き返し、ベアリスが半笑いで応える。


「その……一か月前、ここに来られたグリムナさんも……記憶を失っていて……」


「はぁ!?」

「ええ?」

「だからうるさいって」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る