第320話 浮気

「ぐっ、グリムナも記憶が……?」


「はい。直接的に本人から聞いたわけではないですが、ラーラマリアさんがそう言っていました」


 フィーの質問にベアリスが答えると、全員が重苦しい雰囲気になって沈黙してしまった。


「小説だったら絶対そんなクソ展開にしないって言ってましたよね……」


「じ……事実は小説より奇なりってやつよ……」


 ヒッテとベアリスが何やらボソボソと話しているとメルエルテが呆れたような表情で口を挟んだ。


「へえ、じゃあ二人とも記憶喪失だから互いに会うことがなかったっていう事? にしたってフィーはこの五年間ずっとグリムナを探してたんでしょ?  こんな近くにいたのに全く噂すら聞かなかったっておかしくない?」


 確かに尤もな意見である。ううむ、と全員が考え込むが、ベアリスがおずおずと口を開いた。


「その……たとえば、異次元空間に閉じ込められていて、5年間出られなかった、とか……」


 最近ラーラマリアの変な話を聞かされてSFづいてしまったのか。これにフィーは馬鹿にしたような笑いを見せた。


「 ちょっと異次元って。小説じゃないんだから。いやむしろ小説だったらそんなクソな設定にはしないわね。唐突すぎて読者がついてこれないもん」


(もはやネタ振りにしか聞こえない……)


 思わず微妙な表情を見せてしまうヒッテであったが、しかしここでグリムナの足取りがつかめたのは大きい。


「ベアリス様はグリムナがどこに向かったのかは知っているんですか?」


「あ……いや……まさかヒッテさん達が後から来るとは思っていなかったので、聞き忘れてました。面目ない」


 しかしこのベアリスの言葉にすぐにメルエルテが言葉を返した。


「そんなの決まってるわよ。この先にある故郷のトゥーレトンに帰ったんでしょう。幼馴染が一緒にいて、たまたま出身村の近所をぶらぶらしてただけ、なんてあると思う?」


 これにはフィーも同意を示した。


「それもそうね。ここまで目が揃ってて『たまたまでした』なんて、小説でもない限りあり得ないわ。むしろ小説だったらそんなクソ……」


「もうフィーさんは黙っててください。フィーさんが言うとネタ振りにしか聞こえないんですよ」


「とにかくですよ!」


 話がとっちらかってしまったことに気付いて、ベアリスがまとめようとする。


「ラーラマリアさんは、グリムナさんが記憶を失ったのをいいことに、恋人として振舞おうとしているんです」


 フィーがギョッとした表情になる。おそらくラーラマリアはヒッテが記憶を失っていたことは知らなかったであろうが、しかしその隙をついてグリムナを見事にかすめ取られた、という構図だったからだ。


「以前来た時、彼女に直接お願いされたのと、ヒッテさんとの間がどうなったのかが分からなかったので調子を合わせましたが、ヒッテさんも記憶を失っていてそのせいで二人の仲が引き裂かれたというのなら話は別です!」


 ベアリスはヒッテの両肩をガシッと掴んで言葉を続ける。


「ヒッテさん、私はあなたの味方です。プロポーズの立ち会いもしましたし。今は亡命政府の長としての仕事があるので身動きは取れませんが、協力はいくらでもします。グリムナさんを取り戻しましょう!」


(う……温度差が……)


 ベアリスはヒッテの瞳を見つめたままビッ、とサムズアップする。なんとも言えないいたたまれなさを感じて、ヒッテは口を開いた。


「その……なんでみんな、ヒッテと、その……ケツ穴汚水男をくっつけようとするんですか……」


「はっ? ケツ穴汚水男?」


 メルエルテが半笑いで聞き返すと、フィーが答える。


「私は現場を見てないけどね、なんか、砂漠の真ん中でグリムナがケツの穴から汚水を飲んだらしいのよ。そんな楽しい事があったんならやっぱり別行動なんてするんじゃなかったわ」


 それを聞いてベアリスがサッと右手を上げながら答えた。


「あ、そのグリムナさんのお尻に汚水を流し込んだの、私です」


「一国の王女ともあろうものが何してるんですかぁ!!」


 ヒッテのツッコミの声が洞窟内に響いた。ビュートリットたちは話の輪には参加しないものの、しかし渋い表情でこのやり取りを眺めている。グリムナ関連になると、ベアリスの女王としての品格がどんどん落ちていくように感じられた。いや、もしかするとそんなもの最初から無いのかもしれないが。


「まっ、仕方ないか。私は裁判所でゴルコークにケツの穴いじられてるの見たし、それで我慢するか」


 我慢とは何か。しかし横でベアリスが抗議の声を上げる。


「あっ、ずるい! 私それ見てないですよ!」


「私はどっちも見てないわねぇ……グリムナって男はそんなにしょっちゅうケツの穴出してるの?」

 メルエルテが聞くと、少し考えてからフィーが答える。


「いや、そんなにしょっちゅう出してるわけじゃないんだけど……まあ、あんまり見られないから、レア、なのかな」


 どうやら縁起物の生き物のようである。


「そういえば……」


 フィーがヒッテの方をちらりと見ながら呟く。


「ヒッテちゃんはどっちも見てるわよね。裁判所と砂漠」


「み……見たからなんだって言うんですか……」


 少し落ち着いた雰囲気になって、ベアリスが静かに口を開いた。


「まあ、別にお尻の穴はどうでもいいんですよ。それよりもですね。重要なのは、ラーラマリアさんがヒッテさんの婚約者を、記憶喪失をいいことにさらってしまって、恐ろしい事を企んでいるという事なんです」


「恐ろしい事?」


 ヒッテが聞き返すと、ベアリスは少し声のトーンを落として語る。


「ええ。やはりラーラマリアさんは自分とグリムナが一緒にいなかった期間、ヒッテさん達といた間の溝を埋めたいようです。どうにかしてその期間を埋め、もし彼が記憶を取り戻しても、自分を選んでくれるよう、そのために動いているのかもしれません。そのために……」


「そのために?」


「おしっこを飲ませようとしているようです」


「おしっこ……」


 全員が俯き、一様に沈痛な表情となる。ヒッテは、初めてラーラマリアに会った時の事を思い出していた。細かいシチュエーションを思い出そうとすると頭の中にもやがかかったようになってしまうのだが、しかし初対面の時、勇者は嬉ションをしていたような気がする。


「なんなんですか……勇者ってそう言う職業なんですか……」


 ヒッテがそう呟くと、ベアリスは憤慨した様子で叫んだ。


「ヒッテさんがいるのにそんなことをするなんて許されません!  これは浮気ですよ!」


 そうなんだろうか。


 ヒッテは胸に手を当てて考える。


 ベアリスもフィーも、何とかしてグリムナとヒッテをくっつけようと力を尽くしてくれている。しかし自分はどうなのか。自分の気持ちはどうなのか。確かに彼女はアンキリキリウムの町でグリムナを前にして涙を流した。胸の痛みを覚えた。


 しかし今は何も感じない。


 段々とあの胸の苦しみは幻だったのではないかとさえ思えてきていた。


「ヒッテは、いったい、どうしたいんだろう……」

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