第321話 オーガ

「妙な気配、ですか……?」


「そうよ。それもかなり質の悪い手合いね」


 ベアリス達と別れてから5日ほど。山を越え、もう少し行けばグリムナ達の出身地、トゥーレトン、というところでヒッテ達は足止めを食らっていた。


 ヒッテの質問にメルエルテは深刻そうな表情をして考え込む。


「ねぇお母さん、それって野盗とか傭兵団の類ってこと?」


「まあ、そんなとこね」


 足止めの理由。それはメルエルテが気づいた『気配』であった。通常であれば山の中の人の気配などにはそこまで留意しない。だが5人以上の大人数となれば山賊の類を警戒する。


 山の中に人目を隠れて潜んでいる集団など、ろくなものではないからだ。ベアリス達亡命政府は例外中の例外である。彼女たちは子飼いの兵士たちだけではなく難民たちも受け入れてさながら小規模な国家集団の様相を呈していた。


 それでも平和的に、他人から『略奪』等をせずに生きていけていたのはベアリスの『サバイバル術』が功を奏したからに他ならない。あの親子が虫を食べていたように。


 ばさり、とヒッテが地図を広げる。


「もう少し進めばトゥーレトンですよね……」


 そう。村まではもはや一日程度の道程。しかし……


「今行くべきじゃないわね……」


「え? なんで?」


 メルエルテが渋い顔でそう言うとフィーは疑問を呈した。『そんなことも分からないのか』とでも言いたげにメルエルテはため息をついて説明を始める。


「あのねぇ、地図見てみなよ。この周りに他に村なんてないでしょう? だったら標的は決まったようなものじゃない。そんな危険な村にわざわざ行くアホがどこにいるのよ!」


(そう言われても……私地図の見方なんて分からないし……)


「とりあえず情報を集めましょう。何者なのか、どのくらいの規模なのか、そして練度はどの程度なのか」


 地図を畳みながらヒッテがそう言うと、メルエルテは腕組みをして何かを考えているようだったが、しかし納得はしてくれたようであった。



――――――――――――――――



 暗くじめつく、かび臭い山小屋。


 中にはむくつけきごろつきどもの中に一人、可憐……とまではいかないものの、赤毛の、まあそれなりに整った顔立ちの女性がたたずむ。山小屋の外にも大勢の男どもの気配がする。


 小屋に入りきらない男どもが外にテントを張って待機している。むやみに騒いで人に気取られるような間抜けはしないものの、その邪悪な存在感は小屋の中にいてもはっきりと感じられる。


 レイティは少しの緊張と、そして侮蔑のこもった眼差しで口を開く。


「村の名はトゥーレトン。村人とその財産はどうしようと自由ッスけど、こっちの依頼だけは確実に守ってもらうッスよ」


「へっ」


 中央で椅子に座していた眼帯の男が鼻で笑う。チョー感じ悪い。


「そのためにあんなものまで用意したんスから」


 レイティは小屋の外に視線をやる。山小屋は当然ガラスの窓など使われておらず、木窓のため外など見えないものの、しかし『それ』の存在感は十分に感じられた。ずしんずしんと響く重低音。そしてごろろろ……と聞こえる、何かの唸り声。


「その前に取り分の確認だぁ……」


 眼帯の頭目はだるそうにそう呟くと、レイティは緊張の表情を見せる。彼女は依頼主ではあるものの、しかし彼らが翻意して彼女を傷つけないとも限らない。そうなったときに反撃するほどの武力はレイティにはないのだ。


「そう緊張するなぃ。俺達ゃ山賊じゃねぇ。れっきとした傭兵団、『ベスティルの妖精フェアリー団』だ。仕事はきっちりやるぜ。今からするのは紳士的な交渉ネゴシエーションってやつだぁ」


 この世界で傭兵団と山賊は、同義である。


「村にあるものは『例の剣』以外は全て奪おうが殺そうが自由。これはいいな?」


 こくり、とレイティは頷く。頭目は親指で外を指さしながらさらに尋ねた。


「表のは?」


「あっ、アレはだめッスよ! あれはあくまでもヴァロークからの貸し出しッス! あんなもん本来は人間が扱えるものじゃ」


 すべて言い終える前に頭目の男は、ずい、と立ち上がってレイティの肩になれなれしく手を置いてにやにや笑いながら言う。


「かてぇこと言うなよ。そんなかてぇ事言われると俺の体のどっかも硬くなっちまいそうだぜ」


 そのままレイティの首に腕を回し、ぐいと引っ張る。レイティは思わず嫌悪感にのけぞってしまう。周りの男たちは下卑た笑いを上げている。ここには彼女の味方など、いない。


「わ、分かったッスよ……その代わり、なにがなんでも緑色の石のはめられた宝石、それだけは渡してもらうッスよ!」

「緑色の宝石のはめられた剣、だろ? 焦りすぎだぜおじょうちゃん」

「とっ、とにかく頼んだッスよ!!」


 そう言ってレイティは慌てて小屋の戸を開けて外に出た。


 彼女自身、自分の貞操をそう価値のあるものと思っているわけではない。奴隷だった時代に、何度も辱められ、すでに何の価値もないとは思っているものの、しかしこんな下賤な者達に弄ばれるのは我慢がならない。


 なぜなら彼らはレイティの嫌悪する、自分の利益の事しか考えない野蛮な人間の最たる例の一つであるからだ。悪の自覚がある分、例の女よりはマシではあるが。


 レイティは小屋の外に出ると、思わず『それ』を見上げて恐怖の声を上げそうになったのを堪える。自分が連れてきたものなのだから、『それ』が外にいることはよく知っているはずだったのだが、しかし分かっていてもやはり恐ろしい。


「ぐろろろろろ……」


 威嚇をしているわけではない。ただ息を吐いているだけなのだ。それでもすさまじい圧と、迫力を感じる。地面に座っていても3メートル以上ある巨躯。トロールの亜種であると言われ、トロールよりはるかに低い知性と、残忍で凶暴な性格。人の生肉を食うといわれる化け物、オーガ


 真っ直ぐに立ち上がると5メートルほどの身長になるが、通常はゴリラの様にナックルウォークで移動する。体形としてもゴリラに近く、長い手と短い脚を持ち、こん棒程度の武器を持って戦うこともできるが、やはり知性の低さから人に飼いならすことは出来ない。


 どこで捕まえてきたのか、ヴァロークでこしらえられた隷属の首輪をはめられて、ベスティルの妖精団に二頭、預けられているのだ。


 隷属の首輪は通常は奴隷に使用する物であり、最初にヒッテがはめられていたものである。(そして即日外された)

 その呪いを強化した、大型の物が首につけられている。


「おい姉ちゃんよぉ、こいつらは何を食わせればいいんだぁ?」


「知らないッスよ動物園の飼育員じゃないんスから。牛でも食わせときゃいんじゃないッスか!」


「牛ぃ……?」


 レイティの投げやりな態度に男は眉をひそめる。彼女の態度にもイラついたが、しかしそれ以上にポンと牛一頭をくれてやる財力など貧乏な傭兵団にはないからだ。しかもこの体躯では平気で一食で牛一頭くらいは食べそうである。


「牛よりは……」


 男はにやりと笑みを見せる。


「人を食わせた方が金がかからなさそうだな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る