第143話 まさかの時のスペイン宗教裁判
「どうも、ピアレスト王国で代官をしている、ゴルコークと言います……」
証人として呼ばれたのは、ピアレスト王国の町、アンキリキリウムを治めている代官、ゴルコークであった。グリムナの顔が青ざめる。物語の序盤で代官として悪逆の限りを尽くしていた彼をグリムナは『キス』で改心させたのだ。(第13話参照)
めんどくさい奴がめんどくさい奴を連れてきた。ゴルコークはグリムナの『キス』によりそれまでの悪政を改め、現在では良き為政者として領民から大変に慕われている。それ自体は良い事なのであるが……彼はグリムナのケツの穴を狙っているハンターでもある。そしてグリムナと彼が『キス』をしたのは覆しようのない事実。フィーによる足場固めは進んでいたのだ。
「あれほど……邪魔だけはするな、って言ったのに……」
グリムナが小さい声で呟きながらフィーの方を見ると、彼女はウィンクしながらビッとサムズアップした。当然彼女はこれが『邪魔』であるとは認識していない。むしろ超ファインプレーだと思っているほどである。
ゴルコークがゆっくりと証言を始める。
「彼がホモであるかどうか、という話でしたが……人の心の中をのぞくことはできません。それはたとえロリコンであろうとホモであろうと同じ事……」
静かな口調でゴルコークが続ける。その低く、落ち着いた声に傍聴人たちは静まりきっていた。グリムナ一人だけが「ふざけるな」とか「ひっこめ」とか野次を送っている。
「しかし私は彼の、燃えるような口づけを受けて、以前のような悪代官ではいられなくなったのです。彼の『愛』をうけて、私は真人間になることができたのです」
魔人間である。
「彼がホモであるかどうか、その事実は分かりかねますが、私の口は、確かに彼の口づけを、絡ませ合った舌の感触を、唾液の味を覚えています」
傍聴人席からは「うっ」「オェ……」といううめき声が聞こえる。もしかしたらこれを読んでいる読者の口からも同じような嗚咽が漏れているかもしれない。
「それと、夜中に、彼にケツの穴に指を突っ込まれたこともあります……(第55話参照)」
なんとも言えない陰惨な雰囲気と共に法廷は静かな無法地帯と化した。話し終えたゴルコークはうるんだ瞳でグリムナを見つめている。何を期待しているのか。
フィーはというと満足しきった表情で目をつぶり、鼻の穴を膨らませている。
裁判長がコンコンッと木槌で台を叩くとグリムナは顔を上げた。とうとう判決が出るのだ。
「判決を……」
「それでは次の証人の方、どうぞ!」
判決を下そうとする裁判長をよそにフィーがさらにたたみかける。「まだいるのかよ!」そう叫んだグリムナのことを顧みる者などここにはいない。
いったい誰が……聖騎士ブロッズか、それとも彼の必殺技をその身に受けた同じく聖騎士のベルドか、グリムナはそう考えていたが、法廷のドアが開けられ、入室してきたのは、まさかのレニオであった。
「えへへ、来ちゃった……」
レニオは傍聴人席に下がったゴルコークの代わりに証人席に立つと、小さく舌を出しながらグリムナの方に微笑みかけながらそう言った。そのあまりに愛らしい笑顔に傍聴人たちは思わずうっとりとし、柔らかい笑みを浮かべるが、グリムナだけは青い顔をしている。勇者ラーラマリアと同じくグリムナの幼馴染みで、グリムナの一番の親友、そしてゴルコークと同じく彼のケツを狙っていると目される、少女のような外見だが『オネエ』の男、レニオ。
「失礼ですが、被告人とはどういった関係で……?」
「まあ……友達以上、恋人未満、ってトコロかな……?」
検事の質問に小首をかしげて上の方に視線を泳がせながらレニオがそう答える。傍聴人席からは少しのざわめきが起きたが、「友達だろう……」と小さく呟きながらグリムナは片手で顔を覆う。
「グリムナとは以前に勇者ラーラマリアと共に旅をしていて、ずっと煮え切らない関係だったけど、旅の途中で同衾するくらいの関係ではあるかな……」(第61話参照)
「なんと……」
「おっさんだけじゃなくあんなかわいい男の娘とも……!」
「本当に男なのか?」
「あんな可愛い子が女のわけないだろう……」
レニオが話し終えると傍聴人席からは無責任な声が漏れ聞こえた。レニオはそれだけ証言するとすぐにさがって傍聴人席に引っ込み、グリムナに熱い視線を送る。
フィーはますます自信満々にその豊満な胸を張る。彼女的には「どうだ、私がグリムナを救ったぞ」という心持なのであろう。自分の頭脳プレイで見事に仲間の窮地を救った英雄のつもりなのであろうが、グリムナは被告人席で項垂れている。小さな親切大きなお世話、いや、スーパーキノコを取りに行って穴に落ちるマリオのような感じであろうか。しかしまさにその通りの事が起きようとしているとは、この時はまだ誰も思ってもいなかったのだ。
グリムナが祈るような視線を裁判長に送る。ここまでの精神的ダメージを受けたのだ。よもやこの期に及んで「やっぱりロリコン!」などという判決は下るまい。しかし不安であった。フィーがアムネスティから聞いた情報ではこの公判には大司教メザンザの意図が強く絡んでいるという。それを覆せるほどであったのか。
「判決を下す」
法廷が静かになるのを待ってから裁判長は静かにそう宣言した。
「もはや疑いようもあるまい……彼、グリムナはロリコンではない。よって、ヒッテ氏との間に性的関係はなかったと推測される……」
「むぅ……」
唸り声が響いた。以前にも聞いた、これは傍聴人席の最奥に鎮座している大司教メザンザの声だ。裁判長は今まさに彼の意向を無視して判決を下そうとしているのだ。グリムナはその唸り声におびえながらも、ようやっと安心した表情を見せた。
「グリムナ氏は無罪とする」
「やっ……」
グリムナ達が喜びの声を上げようとしたが、裁判長はまだ言葉を続けていた。
「但し、彼にはホモの疑惑が残る。引き続き、異端審問会を行う!」
「え? えっ?」
裁判長はそう言うと、さっさと自分の荷物をまとめて退廷してしまった。それに続いて他の裁判官や検事も引き上げていく。傍聴人も我先にと退廷していき、あとに残されたのは一部の関係者とゴルコーク、大司教メザンザとアムネスティなど関係者だけであった。
しばらくするとドカドカという足音と共に真っ赤な衣装に身を包んだ数名の人間が入廷した。頭にはKKK団のような尖った頭巾をかぶっており、表情を伺い知ることはできない。どこかで用意していたのか「ジャーン」という管弦楽の音と共に中央の男が叫んだ。
「まさかの時のベルアメール宗教裁判!!」
審問なのか裁判なのかイマイチはっきりしない。グリムナ達が呆気にとられて彼らを見ているとリーダーらしき男がさらに言葉を続ける。
「我らの武器は二つ、唐突、それに恐怖、そして冷酷……ん?」
数が合わないような気がするが、リーダーは言葉の途中で傍聴人席の奥にある巨大な影に気付いた。
「おああっ!?」
情けない悲鳴を上げて審問官達は一旦入口のところまで戻って円陣を組む。
「ちょっ、どうなってんだって! なんで大司教がここに!?」
「そ、それだけの大人物ってことでは?」
「何も聞いてないッスよ!」
「と、とにかくヒメネス枢機卿、猊下の前でみっともない姿は……」
突然ヒメネスと呼ばれた男が自分の名を呼んだ男を殴りつけた。
「てめぇ! 名前言うんじゃねぇよ! 何のために頭巾つけてると思ってんだ!」
初っ端からぐだぐだである。
「と、とにかく、一旦入廷からやり直しましょう」
ヒメネスを宥めながら、横にいた男が外に出ようとしたが、その時ドンッという音が聞こえた。それは、大司教メザンザが人差し指で椅子のひじ掛けを叩いた音であったが、ただでさえ人が少なくなり、音の響くようになった法廷では裁判長の木槌の音のように聞こえた。「何をもたもたしている、早くしろ」という意思表示である。
頭巾の男たちの表情は杳として知ることができなかったが、それでも彼らが恐怖していることだけは誰の目にも明らかであった。無理もない。ベルアメール教会のトップの目の前で異端審問をしろというのだ。彼らにとっても半端ないプレッシャーであろう。男たちは法廷の中央に戻り、中央の、先ほどまで裁判長が座っていた場所には着席せずにヒメネス枢機卿が立った。
「えっと~……そのぅ、アレだ。えっと、貴様……グリムナにはそのぅ……ロリコン容疑?」
「ホモです」
「そうそう、ホモ容疑がかかっているため、これより異端審問を開始する」
横にいる補佐の男に助けられて、ようやく罪状が読み上げられた。もはや徹頭徹尾ぐだぐだである。先ほどの裁判も酷かったが、これは輪をかけて酷い。おそらく他の業務で使えない役立たずたちが集められて異端審問官をやらされているのではないであろうか、そう思えるほどの体たらくであった。
「ちょ、ちょっと待って! このまま続けてやるのか? ていうか令状とかそういうもんとか何もないの? こんないきなり始まるもんなのか!?」
しかしグリムナはまだ状況が把握できていないようである。無理もない、先ほどまで自身のロリコン容疑の裁判が開かれていて、やっと判決が下ったと思ったら突然のこの事態である。しかしヒメネスは今度は自信満々に答えた。
「ふはははは、先ほども言っただろう、我らの武器は三つ、突然、恐怖、冷酷、そして大司教への忠誠……あれ? 四つ?」
「ゴホン」
メザンザの号砲の如き咳払いが響いた。これ以上の茶番はもうたくさんという意思表示である。実際これ以上本家のスペイン宗教裁判をなぞっても仕方あるまい。ヒメネスは気を取り直して、改めてグリムナに語り掛けた。
「このベルアメール教会においてホモは禁忌。グリムナ、貴様は異端審問にかけられ、有罪となれば厚生施設へと送られることになる。神妙に神の裁きを受けよ!」
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