第67話 裏切りのフィー

 ゲンに問いかけながらも、内心グリムナは緊張の態度を隠せているか自信がなかった。彼に『術』が効いているのかどうか自信がなかったのだ。いや、正確に言うと術は効いていると間違いなく断言できる。あの暗黒騎士のベルドにさえ効いたのだから。

 問題はその効力が思うような力を発揮できているかどうかである。


 何しろあれだけのぶっ飛んだ倫理観を持った連中である。自分たちのしていることが無法であり、悪である、それを理解していない可能性すらあると彼は思っていたのだ。グリムナは心配そうな表情でずっと彼の目を見ていたが、やがてゲンはふう、とため息をついてから話し始めた。


「依頼者はベルアメール教会だ……それ以上の事は俺みたいな下っ端は知らん。賢者バッソーを捕縛して教会に引き渡す、それと出会ったら、でいいが、グリムナを捕まえろ、とな。グリムナの方は捕まえた後どうしろこうしろの指示は出てない、が、とにかく金払いの良い仕事だったんでな……」


 下っ端と言ったか。戦士ではないとは言え、武装した村人20人を虐殺した男、その男を手槍の一撃で仕留めたこのゲンという男が騎士団では下っ端に過ぎないというのか。

 そしてまたもやベルアメール教会である。一体何のうらみがあるというのか、しかし聖騎士ブロッズ・ベプトの報告がいっていればもうラーラマリアの事は狙っていないはずである。いったい何故グリムナを狙っているのか、そして捕縛した後の指示がない、というのもおかしい。


「これじゃ全く分からないですね……国境なき騎士団は今この山にどのくらいいるんですか?」


 次にヒッテが質問した。目的はゲンから聞けなかったので、ならば敵の規模を知ろうとする。これは順当であると言えよう。しかしこれにゲンは腕を組んで黙り込んでしまった。


「さすがに仲間を売るようなことは言えねえよ……カンベンしてくれ」


「やっぱりな……この程度の力なんだよ、俺の術なんて……」


 グリムナが自嘲気味にそう呟いた。しかしあれほどの暴力の塊をおとなしくさせただけでも十分な脅威であると言えよう。フィーはしばらく考え込んで視線を泳がせていたがまだその場にいた村人に話しかけた。


「よくよく考えたらあんたらに聞けば大体の規模は分かるわね。『国境なき騎士団』っていえば確か本隊は千人規模の集団だと思ったけど、まさか二人捕まえるだけで全員が来てるわけないし……あんたたち、村を襲ってきたのはどのくらいの人数だったの?」


 フィーがそう尋ねると、村人たちはせいぜい1~200人程度の規模だったと答える。軍隊としては確かに小規模である。しかしグリムナ達三人で戦うには荷が勝ちすぎる相手だ。しかも山賊とは違い、錬度も高い。その上で人の命を枯れ葉よりも軽く考えているようなイカれた集団である。


 その時、フィーの灰色の脳細胞が高速回転を始める。左手で右ひじを抱え、右手の指は顎に当てる。沈思黙考の構えである。


(正面からぶつかって勝てる相手じゃない、なら取る方法は限られてくる……一つ、正面から行って説得する。一つ、敵の頭目をブチ倒す。一つ、潜入して目的のみを達成して離脱……一つ一つは無謀な作戦に思える。でもこれら三つを組み合わせた作戦ならどう……?)


 そのまま動かなくなってしまったフィーを放っておいてグリムナはゲンにさらに質問をする。


「さっきオカシラがどうって言ってたけど、今の隊を指揮してるのは騎士団のトップなのか?」


「ああ、指揮を執ってるのは騎士団長のイェヴァンだ。しかし、バッソーの方は分からんが、あんたを捕縛しろって理由は憶測なら言えるぜ?」


 どういうことか、とグリムナが尋ねると、ゲンはまじまじとグリムナの顔を覗き込んでからゆっくりと口を開いた。


「グリムナ、あんた有名人だぜ? あんたと関わった人間はどんな悪人のダメ人間でも別人のように生まれ変わって溌溂とした朗らかな善人になるってな……」


 グリムナは首をひねる。確かに善人……にはなっていると思う。しかし溌溂とした朗らかな……というのがよく分からない。大分話が歪んで伝わっているような気がする。


「噂じゃあな、あんたが特殊な人間で、キスをすることで精気を吹き込まれてるって話だ……」


 それも微妙に歪んで伝わっている気がする。確かにキスもしたし、色々吹き込んだ気もするが、何か噂の尾ひれのつき方がおかしい気がする。グリムナの脳裏にはある一人の女性の顔が浮かんでいた。ラーラマリアの幼馴染、クソ腐女子のシルミラである。そもそもあの女がラーラマリアに『グリムナはホモ』と吹き込んだりしたから追放の憂き目にあったのだ、と、彼は思っている。


「それで、お前と『交われ』ば、己の秘めたる力が目覚める、って噂だ」


 最後に付け加えられたゲンのとてつもないうわさ話にグリムナは思わず目を見開いた。『交わる』……『交わる』とはもちろん友達になるとか、こぶしを交わすとか、そういった意味ではないだろう。『交わる』というか、『まぐわう』の方が表現として正確な可能性が高い。


 なぜそんなひどい噂を流すのか。あまりにあんまりではないか。


「あ」


 考え事をしていたフィーの口から声が漏れた。その瞬間グリムナはフィーの方を見たが、すぐさま彼女は気まずそうに視線を逸らした。


「そんなわけで、今世界中の冒険者や腕自慢の男たちがあんたのケツを狙ってるのさ……力を求めてな」


 グリムナの額からは脂汗があふれ出ていた。まさかそんな非常事態になっていたとは。グリムナのお菊様、人生最大のピンチである。いったい誰がそんな噂を……もしこれもシルミラだとしたらかつての仲間に対して酷すぎやしないか、と憤慨しているグリムナにフィーが声をかける。


「まあまあ、今それはいいじゃない。そんなことよりどうやって賢者バッソーを取り戻すかよ! ね、ヒッテちゃんもそう思うで……」


 そう言ってフィーがヒッテのいる後方に振り返った時であった。ヒッテはフィーの荷物から何やら手帳を取り出して読んでいた。ここまでの道中でグリムナが読み書きを教えていたので、難しい文章でなければ彼女は既に十分理解できる。


「『グリムナの体内にエネルギー体が……』『性交することで力を得る……』『愛するブロッズの為に貞操を守ろうとするが、肉欲に流されて』……これは一体?」

「だ、だめぇ!! それ見ちゃ!!」


 手帳の内容を音読するヒッテにフィーがそれを取り戻そうと、慌てた顔で間合いを詰めて手を伸ばす。しかし、ヒッテはその右手を自身の右側にパリィしながら手首をつかみ、そのままフィーの左側に沈み込むように重心を移動、さらに手首をつかんだまま自身も右回転して、彼女の腕を地面に叩きつけるように振り落とす。


 フィーは関節を極められながら「うぎゃっ」と声を出し、そのまま仰向けにずでん、と倒れこんだ。四方投げである。


「これ、小説のプロットですね?」


「いや、その……私なりに……グリムナのあの技は一体どういう仕組みなのかな~、と……仮説を……」


「『愛するブロッズ』っていうのも仮説ですか?」


 フィーはヒッテに問い詰められて「むぐ」と、言葉に詰まってしまった。


「夜遅くまでなんか書いてるからおかしいとは思ってたんですよ。ご主人様をネタに趣味のBL小説書いてましたね? しかもいつの間に郵送したのか知らないですけどそれを出版してた、と……で、その小説が予想外に売れすぎて一般層の知るところにまでなった。そこから噂に尾ひれがついてこんなことになったんじゃないですか? どうです? ヒッテの予想は当たってますかね?」


 そのヒッテの言葉に戦闘後ずっと立ち上がれないでいたグリムナもさすがに憤怒の形相で立ち上がった。怒りを足に込め、ずしり、と足踏み出す。その足取りは鬼神の如き力強い威容である。フィーもその姿に圧倒されて「ひぃ」と小さく悲鳴を上げて、仰向けのまま後ずさりする。


「お前の仕業かこの駄エルフ……」

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