第140話 法廷バトル
コンッ
という木づちの音と共にグリムナの性的虐待についての第二回公判が開かれた。第一回の時はおどおどとしていたグリムナも、今度は堂々たる態度である。以前のようなおっかなびっくりの心細そうな表情はもうそこにはない。前回は初めての裁判ということでの緊張、そして準備不足感が否めなかった。
今回はしっかり対策を立ててきたのだ。
そもそも、基本的に犯罪やもめ事が起きてもこの世界ではよほどの重い犯罪でなければ当事者間で解決してしまうのが普通である。『合意は法律に、和解は判決に勝る』……それはこの世界では常識なのだ。そこに『真実』などが介在する余地はないし、必要ない。そんなこともあって一般庶民にとって法廷とは何か別世界のように感じていたのだが、今のグリムナには、もうそんな気負いはない。『真実』を明らかにするのだ。
裁判長にとっても、法廷にとってもこの『真実』を求める被告たちは大変に厄介なものに映っていた。裁判長はちらりと傍聴席の奥を見遣る。そこには前回と同じく、やはり巨大な椅子が設置されており、やはり同様に山のように大きな体躯の、大司教メザンザが鎮座していた。
そして今回何度も打合せを通じて戦略を練った弁護士バッソーが最初から弁護人席にいる。彼もやはり自信に満ち溢れた表情をしている。グリムナと同じである。何故かフィーの姿が見えないが、ともあれ以前のグリムナ達ではないのだ。
……しかし、ヒッテだけが暗く沈んだ表情をしていた。
コホン、と検事が咳をしてから発言を始める。
「基本的にこちらの主張としては特に変わるところはありません。グリムナ氏はアンキリキリウムの町でそこにおられる、奴隷の少女、たった12歳の少女です。そのヒッテさんとシングルルームに宿泊し、朝チュンを迎えた。この事実は変えようのない事であります」
日本の民事裁判、浮気の調査などでも男女がラブホテルに宿泊すれば、たとえ中の様子が分からずとも不貞の事実はあった、と認定される。『朝チュン』はともかく、先日呼ばれた宿屋のメーラウの証言はグリムナにとって大変に痛手であった。
しかし、バッソーは果敢に反論を試みる。
「グリムナ氏とヒッテ氏の間に男女の関係があった、という事実はありません。しかしそれを証明する方法がないため、別の方向からの反論をいたしますが、そもそも未成年との性交を禁じた法律がこのヤーベ教国にはありませんな? もちろん検事殿が行為が行われたと主張するピアレスト王国にも、じゃ。これについてはどうお考えかな?」
バッソーの発言が終わるとグリムナはニッと笑顔を見せた。正直打ち合わせ通りにこの色ボケじじいがちゃんと喋れるか、かなり不安だったのだ。しかし対照的に検事は「むむ」と唸って額に汗をにじませる。裁判長に発言を促されて、彼はようやく立ち上がった。
「……確かに法律には記載されていません……」
彼はちらりとメザンザの方を見る。ベルアメール教会のトップが見ているこの場で醜態は見せられない。
「これは法律ではなくベルアメール教会の聖典に記されている記述を根拠としています。地母神ヤーベは豊穣の神。すなわち子を成さない児童との性交や同性の性交は豊穣神ヤーベの教えに背くものであります。人として生きるものが神の教えに背くなど、許されるはずがありましょうか!」
「むぅ……」
それは、地響きのような唸り声であった。一瞬法廷全体がざわついたが、それが大司教メザンザの発した声であることに気付いて、一同は「気づかなかった振り」をした。一体何が彼の気に障ったのだろうか。何に唸ったのであろうか。全員に緊張が走る。
しかしメザンザの恐ろしさを知らないバッソーは気にせず話し始める。
「なるほど、法ではなく神の教えと……言いたいことは分かりましたぞ。神の教えと法律をごっちゃにするなど前後不詳もいいとこじゃが、しかしヤーベ教国内の出来事ならそれも勝手にすればよいでしょう。しかし事が起こったのは……いや、お主が『ことが起こった』と主張しとるのはピアレスト王国での話じゃったな? それについてはどうお考えか?」
ぎり、と歯を食いしばる音が聞こえた気がした。もはや検事は眉間に皺をよせ、焦りの表情を隠せない。ろくに弁護士としての活動の履歴もない、ただのじじいにここまでしてやられるとは思っていなかったのだ。さすが、腐っても『賢者』と呼ばれる男である。前回の少女の体の美しさをとうとうと語っていたスケベじじいと同一人物とはとても思えない。
検事は脂汗を額に浮かべながら、ゆっくりと答え始める。
「その……ピアレスト王国にも、我らがベルアメール教会の拠点があり、ベルアメール教圏と……言える……神の教えとは……国境に縛られることはない。もっと、普遍的な物なのだ。生きとし生けるものが、それを守らねばならない……はずだ……」
検事は自分の発言が終わるとドン、とすぐに席について項垂れたが、バッソーは余裕の表情でさらに話始める。
「なるほどなるほど、無理筋の主張だとは思いますが、おっしゃりたいことは分かりました。ところでさきほど、『子を成さない性交は神の教えに背く』とおっしゃりましたな……」
検事が顔を上げる。「いったいこのじじいは何を言い出すのか?」と不思議に思ったのである。バッソーは彼の方をちらりとも見ず、ヒッテの方を向いて大声で問いかけた。
「ではヒッテ殿、これは重要なことですぞ! 貴公は! 初潮は!! 来ておりますかなッ!?」
全員の視線がヒッテに集まる。ヒッテは顔を真っ赤にして、膝の上に乗せたこぶしを血が出るほどに握りしめているのが遠目でもわかる。怒り心頭である。恐らくであるが、ここはバッソーのアドリブであろう。再度バッソーがヒッテの答えを促す。
「どぉですかな!! 初潮は!?」
「異ィ議あぁありぃッ!!」
バッソーが調子に乗って自分の実益を兼ねた質問をヒッテに投げかけていると、稲妻の如き爆音で異議が唱えられた。アムネスティである。眉間に皺をよせ、般若のような表情をしていた。
「ぼ、傍聴人に発言は認められ……」
「あぁ!?」
発言を咎めようとした裁判長を一撃で恫喝して仕留めた。ヤクザでももうちょっと慈悲があろう。アムネスティは怒りの表情のまま声を荒げる。
「法律がどうとか、神の教えがどうとか……それ以前の問題なのよ!! この国では『人は人らしく生きる権利がある』という人権宣言が議会で採択されているわ!! 大人が少女を手籠めにすることも! 大勢の前で初潮が来てるかどうか尋ねる事も! そんな年端もいかない少女を辱める行為が『人らしく生きている』と言えるかぁっ!!」
しぃん、と裁判所は静まり返った。グリムナは絶望した表情をしている。
「アムネスティ……俺の無実を信じてるんじゃなかったの……?」
にわかにアムネスティは顔を赤くして狼狽え始める。
「あ、いや、それとこれとは別の話で……いや、その……そこのエロじじいがヒッテさんを辱めるような発言をするから、そのぅ……」
完全に裁判の主旨から離れてしまっているのだが、裁判長はそれを咎めることができない。アムネスティが怖いのだ。
「その……私はグリムナの事を案じてるのは、変わってなくって……」
メス顔でアムネスティが言葉を続ける。
「要は、グリムナがロリコンじゃないことが証明されればいいわけで……つまり、」
アムネスティはたどたどしく話しながらつかつかと、傍聴人席の最もグリムナに近い所まで行って、彼に右手を差し出しながら告白した。
「わ、私と結婚してください!!」
「ノーサンキュー」
被せ気味の返答であった。
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