第141話 評決のとき
「うむむ……うぅ……」
裁判長が小さくうめき声をあげている。それも無理はない。なんと難しい裁判か。
とにかく、通常の裁判では考えられないほどに規格外れの出来事が起きすぎる。ついさきほどもヤクザよりも怖い人権屋が突然被告にプロポーズして被せ気味にフられるという規格外の出来事が起こった。これがリビングでポテチでも食いながらテレビの中で起きている出来事なら爆笑であろうが、当事者はたまったものではない。
アムネスティはその場にうずくまっている。
(う、うそ!? 私、今、フられたの……?)
アムネスティは顔を少し上げてグリムナの方を覗き見たが、彼はもう裁判長に注目している。彼女の方には視線さえ向けていなかった。
(いや、待て、おかしいぞ! 一世一代の公衆の面前でのプロポーズ……それを被せ気味に「ノーサンキュー」なんてありえないわ。……もしかしたら私の聞き間違いかも……いや、そもそも私のプロポーズがちゃんとグリムナに聞こえていなかった可能性もある……)
アムネスティはバッと顔を上げる。なかなかに精神力の強い女である。
(そうだ、きっとグリムナにちゃんと聞こえてなかったんだ! だって、短い間だったけど旅の間グリムナは私の話にあんなに楽しそうに答えてくれてたんだもん! 間違いなく私に気があるはず!)
その旅の間グリムナはお前に手枷をはめられていたのを忘れているのだろうか。アムネスティは決意のまなざしを見せた。
(よし! もう一度言おう! きっとさっきのは裁判で気が動転しててグリムナはちゃんと聞き取れていなかったのよ! もう一度プロポーズすればちゃんと答えてくれるはず)
この女は数分前の記憶がもう無いのだろうか。大変に気が動転していて挙動不審だったのはアムネスティの方であったというのに。
「グリ……ッ」
しかしもう一度プロポーズをしようとして、彼女は言葉を飲み込んだ。その瞬間グリムナも振り向いたが、裁判長のリアクションが一番大きかった。「本当に勘弁してくれ、もうこれ以上事態を引っ掻き回さないでくれ」という心持である。
(いや待て、落ち着けアムネスティ……もしも、万に一つではあるが、もし『聞こえていたら』どうする?)
ひとかけらだがアムネスティにも理性が残っていたのだ。彼女はさらに考えを巡らす。
(聞こえていてあのリアクションだったとしたら……もう一度プロポーズしても結果は同じ……それどころか今度は私の正気が疑われる状況。5分間で二度同じ相手にプロポーズを断られた女として歴史に残ってしまう……)
そのままアムネスティはドスッと床に膝をついて崩れ落ちた。何度目なのかは知らないが、彼女の敗北である。
(いいんだよな……続けても……)
裁判長は不安そうな表情でアムネスティを見ていたが、動きがないようなので場を見渡した。随分と話が逸れて、バッソーの弁護も中途半端な状態で終わってしまったが、これ以上茶番が続くことはさすがにあるまい。あれ以上しつこく尋問したら今度はバッソーが別の罪で訴えられそうだからである。名誉棄損とか。
しかし、ということは、である。判決を下さねばなるまい。
先ほどのバッソーの弁護は途中までは素晴らしいものであった。確かにこの状況でグリムナを訴えること自体が無理筋なのだ。しかし……
裁判長は傍聴席の最奥にいる巨体をなるべく見ないようにしながら、しかしそれでもどうしても意識してしまう。大司教メザンザを。
彼の意向を無視して判決を下すことなど出来ようはずもない。それほどまでにベルアメール教圏で、特にことヤーベ教国においては彼の力は絶大なのだ。……裁判史に残る無茶苦茶な判決。しかし自分一人が泥を被れば済む話なのだ。知らず知らずのうちに彼は息が荒くなっていた。
「判決を下す……判決を下すんだ……」
小さい声で自分に言い聞かせるようにぶつぶつと呟いている裁判長にグリムナが声をかけた。
「法に基づいた判断を……望みます。……法の番人である、あなたに」
真剣な目で見つめるグリムナを見ると裁判長は思わず机に肘をつき、うなだれるような姿勢になってしまった。この上さらに良心に訴えかけるような事をしないでくれ、自分はもう限界なのだという気持であったのだろうが、しかしグリムナもただの田舎の青年ではない。その感情を読み取ったからこそ言葉をかけたのだ。
「ヒッテは、乱暴なんてされてませんよ……ご主人様には、良くしてもらってます……」
さらにヒッテも裁判長に声をかける。被害者であるはずの少女が被告をかばっているのだ。通常の強姦罪ならば親告罪なのでこれだけで話は終わりだが、しかし今回は非常に複雑な事情が絡み合っている。裁判長はさらに追い詰められた。
「良くしてもらってる……? よがらせてもらってる、じゃなくて? ふひひ……」
床に座り込んだまま、力なく顔を上げてアムネスティがそう呟いた。彼女は今正気なのだろうか。裁判長は「そもそもこの女が面倒な話を持ってきたりしなければこんな難しい判断をせずに済んだのに」と少し怒りが込み上げてきた。
しかし誰がなんだろうと、この『場』を支配しているのはグリムナでもアムネスティでもヒッテでもない。大司教メザンザなのだ。
判決を下すときが来た。
法など関係ない。証拠がなければ何とでもなる。グリムナは神の法に背き、年端もいかない少女を犯した。記録として残るのはそれで全てである。そう自分に言い聞かせながら、裁判長は震える声を上げた。
「は……判決を言い渡す……」
ようやく声を絞り出すと、法廷は静寂に包まれた。一同が固唾を飲んで見守っている。裁判長の視点はもはや定まっておらず、あちらこちらと震えている。
「被告……グリムナは……偉大なる預言者ベルアメールの教えに背き……」
グリムナの表情に絶望の色が走る。
「しょ……初潮も来ていないような、年端もいかない子供を……」
その時であった。法廷のドアがバンッ! と大きな音を立てて開けられた。
「異議あぁりッ!!」
ドアを開けて入って来たのは、駄エルフ、フィー・ラ・フーリであった。
「ふぅ、何とか間に合ったわね。あぶないあぶない」
そう言いながらフィーは証言台に移動し、壇の上に数冊の本をドサッと置いた。
「何事か! 証人を呼ぶなどと言う話は聞いていないぞ!」
検事が声を荒げる。実を言うとバッソーもグリムナもそんな話は聞いていない。ここ数日陰で何やらこそこそやっているな、とは感じていたが、それが何かまでは分からなかったのだ。
「文句を言うのは話を聞いてからにしていただこうかしら? グリムナがロリコンではないという決定的証拠を持ってきたのよ! それともエルフの話なんて聞くに値しないって? それはヘイトスピ……」
「宜しい、話を続けなさい」
裁判長が許可を出したのだ。しかしそれは人権ゴロを恐れての発言ではない。もしかしたら、この美しいエルフが如何ともし難い状況を打開してくれる女神となるのではないか、と、そう思ったのだ。
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