第390話 理解力バトル

「アヌシュだって!?」


 その名前にグリムナとヒッテが驚いた。


 フィーがローゼンロットに捕縛されていた時、グリムナが救助に向かった時に何者かに殺されていた男、その名が、確かにアヌシュであった。グリムナは沈痛な面持ちとなる。


「その……同一人物かどうかは分かりませんが、私は、その……ええと、アニャルさんの最期を看取りました」

「アヌシュです」


 グリムナは特に間違いを気にせずそのまま言葉を続ける。ヒッテは段々と顔色が青ざめ始めた。それと同時にアムネスティも脂汗を額に浮かべ始める。


「う……恨んではいないんですか……? その、アヌシュさんを殺害した人を」


 ちらり、とヒッテはアムネスティの表情を窺う。彼女はものすごい形相でヒッテを睨んでいた。リカウスは笑顔を崩さない。


「もちろん悲しいですが、しかし恨んでなどいませんよ。きっと犯人も、やむにやまれぬ事情あってのことでしょうし、何より恨んだところで得られるものなどありません」


「俺は……彼を殺した人間に心当たりがありますが……せめてが反省してくれていることを祈るのみです……」


 グリムナが思い浮かべている『彼女』とはレイティである。だが実際には。リカウスの弟、アヌシュを殺した人物とは。


「や、やだ、なんか湿っぽい話になっちゃたじゃない! せっかく久しぶりに会ったのに、そんな話やめましょうよ!!」


 アムネスティである。


「別に湿っぽくなってなんかないさ。もう過去の話だ」


 リカウスのこのにこやかな笑顔での返しにも、アムネスティは半泣きで笑うのみである。バレないでくれ、気付かないでくれ。彼の最大の魅力でもある理解力も、今だけは鳴りを潜めてくれ。その一心である。


 その微妙な空気を打破すべくヒッテが口を開く。


「あ、あの! 明日も早いですし、今日はもうお開きにしましょう! えっと、ミシティちゃんの部屋を貸してもらえるんでしたっけ? ありがとうね、ミシティちゃん!」


「どういたしましてー!」


 ミシティが食べ終わった食器の中からスプーンを振り上げてそう答えた。ヒッテはグリムナの腕を引っ張って部屋に下がっていった。



――――――――――――――――



「急にどうしたんだ? ヒッテ?」


 部屋に入ったグリムナはベッドに座って、隣に座っているヒッテに尋ねると、ヒッテは額の汗を拭いて、逆にグリムナに問いかける。


「気づいていないんですか、グリムナさん……」


 何の話だろう、とグリムナは首を傾げる。


「アヌシュさんを殺したのは……アムネスティさんですよ」


「なに!?」


 もとより人を疑うということを知らない性格、グリムナは気付いていなかったが、しかしヒッテは察していたのだ。アヌシュ殺害の犯人を。


 グリムナは驚愕の表情に変わってドアの方向を見る。


「う……うそだろ……? じゃあ、アムネスティはアヌシュを殺しておいて、何食わぬ顔でその兄と結婚して、二人も子供を作ったと……? そんな馬鹿な……」


 ヒッテはこくりと頷く。


「そうです。信じられないですけど……もはや信じられな過ぎて何が信じられないのか分からなくなりかけてますけど、5年前の状況、それに今日のリアクション。全てが彼女が犯人だということを物語ってます」


 二人の額に恐怖のあまり冷や汗が浮かぶ。人間の狂気というものに触れた気がした。


「リカウスはそれを、知って……? いや、少なくともアムネスティはそのことを彼に話してはいない。もしそれがバレたら、家庭崩壊なんてレベルじゃないぞ」


 そう言ったきりグリムナは頭を抱え込んでしまった。


 とんでもないところに来てしまった。


 『絶対ろくなことにはならない』……それは分かっていたはずであったが、まさかこんな超絶修羅場のお膳立てが全て整ったところに迷い込んでしまうとは。こんなことならば力づくで手を振り払ってでも逃げるべきであった。このまま何事もなく朝を迎えられるとは到底思えない。胃が痛い。



「あのババア、5年越しのとんでもない爆弾残してやがった……」


 その時コンコン、とドアがノックされた。


 何事か。ビクリとグリムナとヒッテが跳ね上がるように顔をあげる。嫌な予感がする。


 どうか、ノックの主がリカウスでないことを祈る。正直このシチュエーションでは誰が来ても修羅場は確実であるが、しかしどうか渦中の中心人物、リカウスだけは来ないでくれ。二人はその思いだけである。


「リカウスです。……様子がおかしかったので……少しよろしいですか」


 ゲームセット。


 グリムナが返事を返すと、ドアを開けてリカウスが入室してきた。


 まずい。今の話を聞かれていないだろうか。この『理解ある彼くん』はいったいどこまでを理解しているのだろうか。アムネスティの先ほどの態度も相当不審だったと思う。そんな考えがグリムナの頭の中をぐるぐる回る。胃に穴が開きそうである。


 リカウスはドアを静かに閉めてからゆっくりと話し出した。


「アヌシュの話をしだしてから様子がおかしかったようでしたので、余計な心配をさせていないかと思いまして」


 ビンゴである。余計な心配で二人とも胃に穴が開きそうだ。


「アムネスティがアヌシュを殺したことなら、私はので悪しからず」


「えぁ!?」


 二人は思わず変な声を上げてしまう。理解している、とは。


「アムネスティは私に知られていないと思っているようですが、彼女は考えが顔に出るタイプですからね。すぐにわかりましたよ。確信したのはヒッテさんのリアクションからですが」


 なんとこの男、全てを上でアムネスティとの生活を続けているというのだ。弟を殺した女と、夫婦として過ごし、そして二人の子を為したと。


「それを知ったうえで……? なぜ? 平気なんですか? 家族を殺した人間と生活するなんて!」


 思わずその問いかけがヒッテから出た。自分の事に置き換えてみれば、もしグリムナを殺した人間を恨まないことなどできないし、ましてやその人物と結婚など不可能である。


 それ以前にたとえ誰も殺していなくてもあんなキチガイ女と生活するなんて絶対に無理である。


 リカウスは静かに微笑んで、静かな声で答えた。


「私だって、確かにアヌシュが死んだのは悲しいですよ。でも、さっき言った通り何をしてもアヌシュが帰ってくるわけではありませんし……」


 リカウスはドアの方を振り返って、それからまたヒッテ達に視線を戻してから言葉を続けた。


「こうすることが、皆が幸せになる方法なんだと理解しています。

 ……彼女、変わったでしょう? 5年余り前、私が出会ったばかりの頃は酷かった……上手くいかない自分の人生を、全て世間のせいにして、目につく者、幸せそうにしているものを片っ端から攻撃して、ナイフみたいに尖ってて、触れるもの全て傷つけてました」


 だからチェッカーズか。


 グリムナはごくりと生唾を飲み込んだ。


 恐ろしい。


 アムネスティは恐ろしいが、しかしこの男は別の方向でもっと恐ろしい。そう感じたのだ。


「でも、確かにあの状態のアムネスティさんを野に放っているよりはずっといいのかも……」


 ヒッテが口を開いた。


「実際あの悪魔がこうやっておとなしくなってるわけですし、本人にも、なにより人類にとってこれが一番いい方法なのかも……」


 人類レベルで語らなければならないような人物だったか。


「理解してもらえたようでよかったです。今日はそんな心配事などせず、ゆっくり休んでください。あなたは竜をどうにかしようと考えているようですが……」


 リカウスはグリムナの方を向いてゆっくりと語りだす。


「竜は、人の心から生まれる物。必要なのは『戦うこと』ではなく『理解すること』です」


 この男はどこまでを理解しているのか。グリムナ達が大陸中を駆け回って辿り着いた『答え』をまるで全て理解しているかのような語りだった。


「あなたに何が分かるって言うんだ! 竜は、人々の悲しみ、苦しみ、憎しみ、その全てだ! たった一つの簡単な答えなんてない。その苦しみを理解することなんてできない!」


 グリムナはこれまでの旅を全て否定されたような気がして、思わず語気を強めて反論してしまった。


「自分達が苦労して知ったことを何も知らないはずの一般人に理解されたのが悔しくて怒っているんですか?」


 まさにその通りである。


「竜はもっと単純です。あれはきっと、子供が拗ねて暴れてるようなものですよ。それが悪いことだと分かっていても、誰かに怒ってほしくて悪いことをする、みたいなね」


 グリムナは恐怖に震えた。一体目の前の男はどこまで知って……いや、どこまで理解しているというのか。『理解力』というバトルフィールドで、この男に勝つことは出来ないのか、と。


 リカウスはニコリと微笑んで話す。


「参考までに。わたしの理解力は53万です」


「!?」


「ですが、もちろんフルパワーであなたを理解する気はありませんからご心配なく……」


 しかもあと三回の変身を残しているのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る