第177話 アンケート

── 力が 欲しいか ──


── 己の内なる言葉に 答えよ ──






「ご主人様、目を覚ましてください!」


 ヒッテの言葉にも、気を失ったままのグリムナは目を覚まさない。


「どう? ヒッテちゃん、まだダメそう?」


 バッソーの手当てをしていたフィーがヒッテとグリムナの方に近づいてそう尋ねた。


「呼吸と脈拍は正常ですけど、まだ目を覚まさないです……もしかして、頭を打ったのかも……バッソーさんの方は大丈夫ですか?」


 ヒッテがそう問い返すと、振り向いて、フィーはバッソーの方をちらりと見た。彼は胡坐をかいて地べたに座り込んでおり、辛そうに呼吸を荒くしている。


「肋骨と足が折れてるけど、問題ないわ。グリムナが意識を回復してくれれば、けがの治療もできるんだけど……」


 辺りを見回してから、フィーは倒れているグリムナを見下ろした。周辺は町の広場のような場所であり、家を焼け出され、ヤーンから逃げてきた人たちが多く避難している。多くの人がけがをして倒れたりうずくまったりしており、それに交じってグリムナ達も避難しているのである。

 グリムナ自身も意識を失っているだけでなくけがをしている。彼が意識を回復させれば、自身のけがも回復させられるのだが、目を覚まさないことにはどうにもならない。


 「はぁ」とため息をついてヒッテが頭を押さえた。やはりまだ頭が痛むようである。彼女はこの町に来てからずっと頭痛を訴えていた。曰く「この町にいると、人の悪意が流れ込んでくるようだ」と。同じくコルヴス・コラックスの血を濃く受け継いでいるヤーンはもっとひどい状態だった。

 最後に人の姿をしていた時、感情を爆発させていたメキとは対照的に、すでに正気を失っているように見えた。メキの両親を殺したのは、間違いなくヤーンではなく、メキの衝動であった。あの時すでにメキとヤーンの精神は重なっていたのだ。


「コルヴス・コラックスの精神感応力の高さが、あの変身に何か影響を与えてるのかしら……? ヤーンはトロールの力もリヴフェイダーに貰っていたし、それで、メキや町の人たちの恐慌状態に感応して化け物になったのかも……ヒッテちゃんは何も変化はない?」


「頭痛以外は特に何も……でもやっぱり、悪意だけじゃなく、悲しみや絶望感……人々の感情の波が激しく感じられるようになった気が……」


 そう言ってまたこめかみのあたりを押さえた。フィーは小さくため息をつく。ヒッテも心配だが、グリムナのことも心配である。あまりにも目を覚まなさすぎる。もしや共感力の高いグリムナも何か影響を受けているかもしれないと思ったのだ。


 ズズン……と遠くで音がした。その方角を見て、避難している民衆が口々に不安の言葉を漏らす。


「おお……」

「魔人がまだ暴れておる……」

「……大丈夫、遠くで起こっていることよ……」

「まるで……竜が現れたようだ……」


 その様子を見ながらまたフィーがため息を漏らした。


「グリムナも心配だけど、私たちを逃がしてくれたアヘ顔トコロテンおじさんも心配ね……まだ戦ってるのかしら……」

「誰がアヘ顔トコロテンおじさんだ」


 ちょうどその時、ベルドが姿を現した。大分疲弊してはいるが、けがはしていないようである。さすがは大陸最強の暗黒騎士団のコマンドである。


「ベッ、ベルド! 無事だったの!?」

「ちゃんと名前覚えてるじゃねぇか。どう考えてもアヘ顔トコロテンおじさんの方が呼びづらいだろうが」


 ベルドはそう言うと、しゃがみこんでグリムナの顔を覗き込み、「まだ目を覚まさないのか」と呟いた。ヒッテは相変わらず不安そうな表情をしている。




 暗く、深い水の底に漂っているような感覚だった──


 彼の声はヤーンには届かず、全ては圧倒的な力の前に無力であった──


 それと同時に、ヤーンの悲しみも、苦しみも手に取るように分かった──


(俺は……なんて、無力なんだ……)


 まだ覚めない意識の底で、グリムナはそう呟いた。


── 力が 欲しいか ──


 彼の意識に、何者かが語り掛けてきた──


(力……俺に力があれば……みんなを助けられるのに……)


── 力が 欲しいか ──


(力! 力が欲しい!! 俺に力さえあれば!!)


── 己の大事なものを捧げてでも 力が 欲しいか ──


(欲しい! 力があれば! それが得られるなら、なんだって捧げてやる!!)


── アンケートにご協力いただき ありがとうございました ──



「アンケートかよ!!」


「キャッ!」

「うわ! 起きた!!」


 急に上半身を起こしたグリムナにヒッテとフィーが驚いている。グリムナも少しして、自分が意識を失っており、目を覚ましたことに気付いた。


「あんたすごい起き方するわね……何? アンケートって?」

「あ……? なんか今、己の内なる声が……」


 フィーの問いかけにもなんだかよく分からない返答をするグリムナであるが、辺りを見回して、町の状況と、そしてそれがまだ解決していないことに気付いた。そしてすぐ目の前に以前に対峙した強敵、暗黒騎士ベルドがいることにも気づいた。


「随分お疲れだったようだな……町はえらい状態だぜ? あの魔人はまだ向こうで大暴れしてる……俺は何とか逃げてこれたがな……」


「ベルド……なぜここに……?」


 グリムナが問いかけると、ベルドは一度ヤーンがまだ遠くにいることを確認してから、ゆっくりと話し始めた。


「そりゃこっちのセリフだ……お前はこの町で何をしている? このご時世どこも似たようなもんだが、この町は特にひどい。人の悪意を集めて、凝縮したようなこの町で、お前は何をするつもりだ」


 ベルドの言葉にはどこかで聞いたことのあるような印象を受けた、グリムナよりも先にその問いに答えたのはフィーであった。


「私達は人を探してここへ来ただけよ。それにしてもブロッズみたいなこと言うのね? 暗黒騎士ってみんな考え方が似てくるのかしら?」


 『この町で何を為すのか』それは確かに数日前、聖騎士ブロッズがグリムナに問いかけた内容と同じであった。ベルドはその名を聞くと、大剣を支えにして寄りかかると、そのまま考え込んでしまった。フィーは話が止まってしまったことに少し戸惑っていたが、ベルドに提案を持ちかけた。


「……ねぇ、あんたと、ブロッズと、私達であいつを協力して倒さない? 確かにヤーンは規格外の化け物だけど、暗黒騎士二人と私達とで力を合わせれば殺せるんじゃないの? どう?」


「ブロッズに会ったのか……」


 ベルドはフィーの問いかけには答えずに、そう呟くとまた黙り込んだ。フィーが再度協力を仰ごうとしたが、その前にベルドは口を開いた。


「あの男のことを信じるな。あいつは独善的で自分勝手な男だ。協力なんてしねぇよ。……それに、俺は聖堂騎士団を抜けたんだ。今はしがない下っ端貴族の三男坊さ」


 その粗野な風貌と野卑な言動からは想像もつかなかったがこの男はどうやら貴族だったらしい。意外な過去である。現在でもあるが。


「あの男がこの町にいるってんなら俺はここからはおさらばするぜ……いいか、あの男にはくれぐれも気を許すなよ」


 そう言って身を翻し、背中を見せたベルドにグリムナが声をかける。


「待て! もう行くのか? なぜおれを助けてくれたんだ!? お前はいったい何をしにここへ来たんだ?」


 ベルドは顔だけをグリムナに向け、小さい声で呟くように答える。


「俺の罪を、誰かが許してくれそうな気がしたからさ」

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