第87話 地母神の神殿へ

 翌朝、グリムナはまだ日が昇る前に気持ちよく目覚めた。ここ数日大変に体力を使うことが多かったし、昨日は遠くから歩いてきたうえに夜にはいろいろなことが起こったため疲れがたまっていて、深く眠れたのかもしれない。

 夜に聞いたカルケロの言葉を思い出して少し憂鬱な気持ちにもなったが、身支度をしてからヒッテとフィーを起こして旅立ちの準備を始めた。


 しばらくするとカルケロが何やら朝食の準備をしているらしい音が聞こえてきたので、グリムナはリビングに行ってそれを手伝った。


 ヤーンは二日酔いが残っているのか、少しダルそうな表情をしていたが、朝食を食べ終えるころには元気な表情になっていた。彼に後ろ暗いことなどあって欲しくない、グリムナは強くそう思った。


「じゃあ、気をつけて行っておいでよ、帰るころにはアップルパイを焼いて待っていてやるからね!」


 元気な表情でそう言うカルケロにヤーンは少し気恥ずかしそうな顔を見せた。やはり家族同士の顔を赤の他人に見られるのは少し抵抗があるようだ。しかしその表情からは嫌な気持ちは感じられなかった。


 カルケロの家を後にしてグリムナ一行が森の中を進んでいくと、一時間ほどですぐに神殿の遺跡についた。神殿の入り口は木の根とつたに覆われており、一見しただけでは動物のねぐらか何かかと思うような風情であり、これは道案内がなければ気づくことは難しかったかもしれない。神殿、というよりは祠といった感じである。


 グリムナ達はネクロゴブリコンの巣穴よりは少し大きく、入る分には苦も無くできる大きさの入り口をくぐっていった。ヒッテがカンテラに火をつけて中を照らす。


「入口に比べれば、中はまだ広いわね……」


 フィーがそう独り言を呟いた。塵や土砂、腐葉土が堆積して外からは分からなかったが、中には広い空間が展開しており、少し歩くと広間のようなものがあり、祭壇が見えた。祭壇の後ろにはあまり精工ではないが地母神ヤーベの彫像があった。両手に鎌と麦穂を持っており、今の時代でもよく知られる姿である。少なくともこの姿は神殿がつたと木の根に覆われるほどの時の流れの中でも変わっていないようである。


「これで終わりですか? 意外と狭いですね……」


 地母神の彫像をなんとなく眺めていたヒッテがヤーンの方を振り向いてそう言うと、ヤーンは彫像の裏側に回り込んでいった。奥には幅2メートルほどの通路が見えた。


「もう少し通路がありますよ、彫像の裏側です」


 ヤーンはそう言って皆を招いたが、グリムナはまだ彫像と祭壇の辺りを真剣な顔で何やら調べている。


「彫像の土台に、削れて分かりにくいけどレリーフがいくつかあるな、オオカミとヘビ、それに……鳥……フクロウか……」


 地母神ヤーベは人間に農耕を教えた神であると言われている。レリーフにある動物はいずれも害獣であるネズミを食べる益獣と考えられているものである。オオカミは牧畜が主として行われている地域では悪魔の使いとされることもあるが、そうでない地域ではタヌキやネズミなどの害獣を駆除する神の使いである。他の二種類のレリーフにも同様の由来があると考えられる。


「神話の中でも、オオカミとフクロウはヤーベの使いか、もしくは化身とされることがあるが、ヘビはどうだったかな……?」


「グリムナさん、こっちですよ?」


 ヤーンに呼ばれてグリムナは像の辺りを調べるのをいったんやめて彼の方に歩み寄った。詳しく調べるのは後にして、一旦全体を見ようという心づもりである。


「まるで隠されてるみたいな通路ですね」


 彫像の裏側の通路へ移動しながらヒッテがそう言った。確かに彼女の言うとおりである。普通は神殿に入って祭壇と彫像があったらそれより先があるとは普通思わない。そこが最深部だと思うだろう。


「この通路、もしかして本当に隠してあったんじゃあないのか?」


 グリムナが通路と部屋の境目を調べながらそう言った。見ると、確かに通路と部屋の境目になっている部分に壁を崩したような跡が見えた。


「実はその通りなんです。彫像の裏の通路を見つけたのは、何を隠そう母さんなんですよ」


 ヤーンはそう言って少し自慢げな表情を見せたが、すぐに少し暗い顔になって言った。


「しかし、小さい通路が一つ見つかっただけです。その先には何もない……母さんは、自分がこの通路を発見してしまったから、きっとこの先に大きな謎があるはずだって、期待しているようですが、そんなものは恐らくないんです。母さんは自分が歴史的な考古学の発見をしたい、とその願望から研究結果にバイアスをかけている……」


「通路にはずっとレリーフ……彫刻が続いているな……」


 ヤーンが何かをグリムナ達に語り掛けているが、グリムナは遺跡に夢中のようである。通路の壁面には先ほどもあったオオカミ、フクロウ、そしてヘビのレリーフが彫ってあった。しかしそれはその3種が主役というわけではなく森の中の景色のように多くの柄とともに掘られているような形であった。


 やがて、20メートルほども歩くと突き当りに来たようで、壁の前で振り返ってヤーンがまた話しかけてきた。


「ここで遺跡は終わりです。今のところ他に通路も見当たりません。しょせんこの程度の遺跡なんですよ、ここは」


 ヤーンはこの遺跡、そして見つかった通路についても特に評価していないようである。しかし、母が自分の見つけたこの新しい遺構について固執しているため、何とか諦めて、もう危険な研究はやめてもらいたい、そういう趣旨のことを言っているようだったが、しかしグリムナはこの遺跡に大変興味を持ったようで熱心にレリーフを調べている。


「いや……すごいよ……これは」


 言葉少なに最低限の返答をしながら、もはや遺跡に取りつかれたような状態である。ヒッテはそれを見て「少し気持ち悪いな」とさえ思った。


 実際道が整備されていない世界では遺跡を見に行くことはおろか、何か特別な用事がなければ村人は隣の村に行くことすらない。一生自分の生まれた村から出ずに過ごす人間も珍しくないのである。中世の世界では、一生のうちに出会う人間の数が現代人が一日に出会う人間の数と同じであるという。


 とにかく未発達な文明世界においてそれほどまでに外出とは危険なものなのだ。当然グリムナも遺跡というものを初めて目の当たりにした。それがたとえ小さい祠であろうとも、彼にとっては初体験。本で読んだ知識ではない、『本物』に目をキラキラと輝かせて熱心に嘗め回すように細部まで見ている。


「ああ^~心がぴょんぴょんするんじゃぁ^~……何百年も昔の人が描いたレリーフ、一体何を伝えるために……大した工作機もないのに、こんなに頑張っちゃって……ああ^~かわいいんじゃぁ^~」


 グリムナ、少しトバし過ぎである。


「割と本気でキモイんだけど……」


 通路のレリーフに頬ずりしてよだれを垂らしながら調査を続けるグリムナを前にフィーが、そうぼそりと呟いた。というかこれは調査なのだろうか? ただの変態行為のような気がしなくもない。ヒッテもやっぱりこれを見て感じる気持ちは「キモイ」であっていたんだな、と少し安心した。

 彼女はグリムナのケツを思いっきり蹴りあげて静かな声で言った。


「ご主人様、キモイです。普通に調査してください」


 グリムナは蹴られたケツを抑えながら「ごめんなさい」と小さく呟いた。どうやら興奮しすぎて自分が他人からどう見えているか理解していなかったようだ。


「いや、実際これはすごいことだと思うよ? まずこの通路、表の祭壇よりもかなり古い時代のものみたいだ。もともとあった大きめの神殿を改装して簡易的な祠として後から通路をふさいで祭壇を作ったんだろうね。でかすぎて持て余すからかなあ? ともかく、カルケロさんの『別の神をまつってる』っていう予想は正しいと思うよ」


 続けてグリムナはレリーフの部分を指さして言った。


「特にこのヘビのレリーフ、これはほかの神殿では見られないものだなあ。やっぱり今一般的に知られてる神話とは何か別の由来があるのかも……記録がないみたいだから自分で探すしかないけどね……どこかにさらに奥に通じる路がないのかなあ、もっと調べればいろいろ出てきそうなんだけど……」


「ヘビが……ですか……ヘビが気になりますか……」


 興奮気味のグリムナとは対照的にヤーンは冷静な口調でそう呟いた。何か気分を害してしまったか、とグリムナが考え、少しして「そうか、彼は母に危険な研究を続けてほしくないのだったな」と思い至った。しかしグリムナはもう感情を抑えられる状態ではなかった。それほどまでに生まれて初めて見る遺跡というのは彼にとって刺激的な物だったのだ。


「台座にもある三つのレリーフ……通路にもありますよね、ホラ、ここにオオカミが……」


「そうなんだよね、台座の方でもピックアップしてるってことは、何か意味があるのかな」


 ヤーンの言葉にグリムナが通路の方のオオカミのレリーフに近づく。すると、ヤーンがレリーフを指さして言った。


「オオカミの部分を囲むように、継ぎ目みたいなものが見えますね……」


「言われてみれば……チリと埃で埋まってるけど、何かあるような……」


 レリーフの部分には確かにオオカミの左右に幅1メートルほどの継ぎ目がある。グリムナがそれを熱心に調べ始めると、フィーとヒッテも近くに寄ってきた。フィーは他人事というスタンスを崩してはいないが、何やら見つかりそうだということで好奇心を少しのぞかせたように笑顔になっている。


「なになに、まさか新発見? 私たちの名前が歴史に残っちゃうのかね」


 その時ガコン、という音が聞こえ、地面が動くような感触があった。


「!?」


 グリムナがしゃがんでいた部分の壁が上側に跳ね開くと同時に彼のいた場所の地面が壁側に向かって倒れ、滑り台のようになり、グリムナは幅が1メートルほど、奥は暗くて見えないが、さらに続く通路に落ちてしまっていた。


「いたた、なんだこれ?」

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