第88話 オオカミの部屋

「大丈夫ですか、ご主人様」


ヒッテが足元に気を付けながらグリムナに近づく。グリムナはカルケロが新しき見つけたという通路からさらに横方向に現れた、1メートルほどの段差がある通路に落下してしまっていた。ヒッテがグリムナのいる所まで行くと、フィーも通路の外から覗くように彼を見る。


「何今の……なんかの仕掛けが作動したのかな?」


 その瞬間である、フィーの脳裏にカルケロの言葉が思い出された。


『ヤーンに気をつけろ』


(まずい、全員がヤーンに背を見せてしまっている……)


 彼女がそう思った時にはもう遅かった。ドンッとフィーは背中を蹴られ、新しい通路に押し込まれてしまった。


 「キャア」と悲鳴を上げてフィーはヒッテとグリムナに激突してしまう。


「残念です……」


 驚くほど冷酷な声でそう言ったのはヤーンであった。カルケロに注意されていたにもかかわらず、隙を見せてしまった、グリムナは一瞬そう思ったが、それよりも今は体勢を立て直さなければ。しかし、ヤーンが外で何かまた操作をしたのか、跳ね開いたオオカミのレリーフが閉じようとしていた。


 開くときと違って、重い石の扉が閉まるのは早い。それでも手をかけようとしたのだが、ヤーンの後ろに見えた人影に思わずグリムナは硬直してしまった。


「ヴァローク……ッ!?」


 ヒッテが驚愕の声を上げる。ヤーンの後ろから顔をのぞかせていたのは、30代くらいの中肉中背の男、以前にグリムナは二度遭遇している、ヒッテの後を付きまとっている男、ヴァロークであった。なぜヤーンと彼が、一瞬の思考のスキをついて、石の扉はバタン、と閉まっていった。


 ヒッテは慌てて体勢を立て直し、カンテラの火が衣服につかないように注意する。グリムナは未だ呆然としており、考えがまとめきれていないようであった。


「なんでヴァロークがこんなところに……」


 ヒッテがそう呟いたが、実のところを言うとそこはそれほど重要ではない。以前に彼はヒッテ達の前に度々現れていた時があったが、その時、町どころか国も違うのに絶妙のタイミングで姿を見せていた。

 方法は分からないが恐らくはグリムナ、いや、ヒッテを監視していると考えた方がいい。重要なのはむしろ『ヤーンと一緒にいた事』である。


 「前に師匠が言っていたが、ヴァロークは個人名ではなく組織の名前だと……となると、あの男はヴァロークという個人名ではなく、ヴァロークの組織の一員……そして」


「ヤーンも、ヴァロークの一員の可能性が高いわね……」


 フィーが察して、そう合いの手を入れた。はっきり言って最悪の事態である。これまでの情報を総合すると、ヴァロークはかなり古くからこの大陸に存在する組織で、一般に名は知られてはいないが、おそらく竜を倒すための武器、聖剣エメラルドソードを探している。その目的は分からないが。ここまで考えてグリムナは一つの答えに行きついた。


「……ってことは! やっぱりここは死神の神殿に何か関係があるんだ!!」


「あのねぇ、今そんなこと言っている場合じゃないでしょうが!」


 思わず笑顔になってしまっていたグリムナをフィーが窘めた。確かに彼女の言うとおりである。こんな人里離れた遺跡の奥に閉じ込められてしまったのだ。下手すればここで餓死するか、いや、それよりは脱水症状で死ぬ方が早いか。そして、カルケロの事も考えなければならない。尤も、ヴァロークの目的がはっきりと分からないので、ヤーンが説得可能なのかどうか、それが分からないのでまだ結論が出せないが。


「まあ、内側から開ける方法がないからここに閉じ込めたんでしょうね……」


 ヒッテが先ほどの岩壁に耳を当てながら小さい声でそう呟いた。彼女が言うにはもう外には人の気配はないという。ヤーンとヴァロークの……名前は分からないがヒッテを付け回していた男は既に姿を消したようである。


 さて、ここからどうするべきなのか、それをグリムナ達は意見を出し合いながら考える。通路の幅は細く、1メートルほどであるが、先にはまだ確認してはいないが通路がそのまま続いてどこかに行けるようだ。しかし実際にこの通路の先に行っても出口がないであろうことは容易にわかる。もし出口があるなら、仕掛けを作動させられるほどこの遺跡を熟知しているヤーンとヴァロークが閉じ込めただけで放置してどこかに行くはずがないからである。


 一見すでに手詰まりのようにも感じられたが、意外にもすぐに答えは出た。


 賢者バッソーである。


 ヤーンは知らないのだが、この遺跡で賢者バッソーと合流する予定なのだ。なぜ、仲間で、出発地点と目的地点が同じなのに別々に行動しているのか、そう言われると正直言って誰もうまく答えることができないのだが、ともかくヤーンの知らない情報、バッソーに救助を求めるのが最善の手であろうという結論に落ち着いた。


「じゃあ、悪いけど、ヒッテはここで外の様子、誰かが来ないかを確認しててくれるか? 誰かが来たらバッソー殿の可能性が高いから大声で呼び止めてくれ」


 ヒッテはこくり、と頷いてすぐにまた岩戸に耳を当てて外の様子に注意を払い始めた。一方グリムナとフィーはこの先に何があるのかを確認しに行くことにした。バッソーが約束をすっぽかしてここへ来ない可能性もあるし、来ても気づかない可能性もある。さらに言うなら遺跡に来る前にカルケロの家によってそこでヤーンと出会ってしまうと、上手く言いくるめられてここへ来なくなってしまう可能性もある。とにかく、頼みの綱のバッソーが来なかった時の為に備えておく必要があるのだ。そのためにプランBを考えておく必要があるのだ。そのために奥の様子を知っておきたい、というのが半分。グリムナの知的好奇心を満たすためが半分である。


「じゃあヒッテ、申し訳ないけどカンテラは借りていくよ。何か異変があったら大声で教えてね」


 こんな暗闇の中に少女一人を残していくのはさすがに気が引けたが、しかしかといって光なしで遺跡の探索などできない。グリムナとフィーはヒッテからカンテラを借りて通路を奥へと進むことにした。


 しかし、少し進むとすぐに奥の部屋にたどり着いた。ふぅ、とグリムナは胸をなでおろす。もし通路が何キロも歩いていくような構造であったらヒッテに何かがあっても気づけない可能性がある。そう言った可能性だけは避けられたのだ。


 部屋には最初の部屋と同じく祭壇のようなものがあった。しかしここには彫像はなく、奥にある壁に壁画があるだけだった。


「この祭壇は、供物をささげるためのものだな、多分……」


 そう言ってグリムナが祭壇を調べ始める。最初の部屋にあった祭壇に比べると装飾もかなり簡素であり、その様式の違いからやはり最初の部屋とは違う時代に作られたものであろうことが見て取れる。グリムナはしばらく祭壇を押してみたり、持ち上げて見たりしようとしていたが、各市通路のような細工はないようであった。


「壁画にあるのは……オオカミ? そう言えばここにつながる通路に描いてあったのもオオカミだっけ?」


 フィーが腕組みしながら壁のレリーフを見ながらそう言った。レリーフのオオカミはいくつかの場面が描かれており、その一つには巨大な竜から群れを率いて逃げるオオカミの姿が描いてあった。


「この竜って……まさか、あの『竜』?」


 フィーがグリムナの方を振り返りながら半笑いでそう尋ねた。彼女の言う『あの竜』とは、もちろん400年前に現れて世界を破滅に導いた竜の事である。当然それがどうなのかはこの神殿が作られた経緯、時代を精査しないと出てこない答えだが、グリムナは難しい顔で考え込んでいる。


「このオオカミは……絵の通りオオカミを率いて逃げたのか……いや、そんなことないよな。前回の竜の災禍の際に民を率いて逃げたことを表しているのか」


 ぶつぶつとグリムナは何かつぶやいている。オオカミとは農耕、もしくは牧畜の文化的背景によって善だったり悪だったり、と役割は変わるが、基本的には知恵と群れ、もしくはリーダーシップの象徴である。ならばこの壁画は竜の災禍の際のそう言った場面を現していると受け取るのが正しいだろう。


「これってさ……ほかのレリーフにも似たような壁画があるのかな……」


 フィーがそう言うとグリムナはハッとして、独り言をつぶやいた。


「待てよ……もしそうなら、ヘビの部分の部屋には……いや、フクロウだって……」


「どうしたの? 何かわかったの、グリムナ……」


 真剣な表情で考え込むグリムナにフィーが問いかける。


「オオカミは一部の民間伝承では死肉を食うことから死者の魂を冥界へ連れて行く神の使いとされている。そして、フクロウは夜の森と知恵の象徴だ。一部の民間信仰ではやはり魔女の使いとして死と結び付けられているし、夜の森自体が冥界へつながるとも言われる。そして、ヘビは……」


 グリムナはレリーフにある竜の部分を見上げた。


 ヘビは竜と同一視されることもある生き物である。


 脱皮を繰り返して大きく成長することから『死と再生』の象徴であり、吉兆とも凶兆とも言われ、世界中の神話でヘビの登場しないものはないと言えるほど人間にとって正邪を問わず重要な生き物である。


「ヤーンは……俺達をヘビの部屋に入れたくないから、ここに閉じ込めた……?」

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