第174話 帰る場所

ヤーット クルー ハジメルー ジカンダー

トロールノヨルダー コンカイハー カーツーゾー


 何か、甲高い声の歌が聞こえたような気がして、ヤーンは一瞬足を止めた。しかし、気のせいだったのか、その声はもう聞こえてはこなかった。しかし足を止めると即座にマフィアたちの投擲武器や魔法が飛んでくる。それを捌きながらも音に着目してみたが歌はやはり聞こえない。

 そもそも先ほどから町全体が騒がしい。ブロッズの言うとおりヤーンとは関係のないところでどうやらマフィア同士の抗争が起きているようである。


 しばらく戦っているとガラテアファミリーの屋敷の庭から、空に向かって一直線に炎の矢が打ち上げられた。ヤーンはそれに気づくと、近くにいたマフィアの構成員をなぎ倒し、その強大な脚力で近くの民家の屋根の上に跳躍した。


 マフィアたちは死角に入ったヤーンをすぐに追おうとするが、彼は屋根伝いに逃げると思っていたマフィアたちの予測に反して、すぐに屋根から降りると、トロール化を解いて、元の人間の姿に戻り、素知らぬ顔で道を歩き始める。


(あの炎の矢は、フィーさんの魔法……メキの救出が成功した合図だ……上手くいったんだな。)


 フードのように大きな布を頭からすっぽりかぶってヤーンはグリムナ達と示し合わせていた合流場所にゆっくりと、焦らず、周りから見て不審にならないように歩いて移動した。そこにはすでにグリムナ達4人と、救出されたメキが待っていた。


「ヤーン……グリムナさんたちと協力して助けてくれたのね……ありがとう」

「メキ……よかった。無事だったんだね……」

「膜の方も無事よ」


 ビッとサムズアップして自信満々な表情で意味のない横槍を入れるフィーを無視して、二人は熱い抱擁を交わした。長い、長い抱擁であった。メキは普段から親からの暴力を受けているし、この町では女性が一歩外に出れば安全など保障されない。しかしマフィアにつかまって監禁されるなどというのは初めての経験であった。

 この数日、自分はヤーンのことを好いているのではないか、と心の片隅で考えていたものの、この救出劇でそれがはっきりとわかった。自分の安心できる場所は、このヤーンの両手の中なのだと。


「二人とも、早く家に帰ってご両親を安心させてあげないと……」


 二人の抱擁があまりにも長く、「このまま始まるんじゃないか」とさえ思えてきたため、グリムナが二人に声をかけた。メキは『両親』という単語を聞いて少し暗い表情になった。マフィアに恐れをなし、自分のことをはした金で売った両親……果たしてそこに帰ることが、自分にとって正しい事なのか、それが分からないのだ。


 ヤーンが改めて、グリムナの方に向きなおって礼を言った。


「本当にありがとうございます。グリムナさん……前に『あんなこと』があったのに……助けてくれて」


「フッ……気にすることないわ。礼ならそこにいるグリムナに言う事ね。私は何もしてないわ……」


「いや今のは俺に言ったんだろうし、お前は本当に何もしてないだろうが。最後に作戦完了の魔法の矢を空に放っただけじゃん……」


 ヤーンの『お礼』に即座に答えたのはフィーであったが、即座にグリムナがツッコミを入れる。多分こういうセリフを一度言ってみたかっただけだろう。


「ヤーンには、いろいろと聞きたいことがある。だが今はそれよりもメキだ。さあ、一旦家に帰ろう」


 グリムナがそう言うと、メキは寂しそうな表情を見せて、ヤーンと手をつないだままグリムナ達を先導し、家を目指して歩き始めた。歩きながら、少し離れた場所にいるグリムナ達には聞こえない声でヤーンと何やら話しているが、愛し合う二人の言葉に聞き耳を立てるほどグリムナ達は野暮ではない。たとえ聞こえても、越えないふりをする。


(それにしても……)


 グリムナは歩きながら辺りを見回す。町の状態は大変に荒れていた。いたるところから怒号や悲鳴が聞こえ、ところどころで火の手も上がっている。マフィアの抗争はすでに止められないところまで来ている。しかもこれはグリムナは知らないことであるが、ガラテアファミリーのボス、ノウラ・ガラテアは殺された。そのことをかぎつけたロイコンボもすぐに動き出すだろう。

 明日は待ちに待ったトロールフェストだというのに、町を支配している空気は、恐慌であった。


「ねぇ、ヤーン……私、家には帰りたくない」


 怯えた猫のような……まさしくそんな表情であった。メキが小さくそんなことを呟いた。「私、今日は家に帰りたくないの」……そんなことを若い女性に言われれば喜ぶ読者諸氏も多いとは思うのだが、どうやらそんなものとはわけが違いそうな、深刻な表情にヤーンは驚いた。


「急に何を言い出すんだ……自分の帰れる家があって、そこに両親が待ってるっていうのに、帰らない理由なんてないだろう」


 しかしこの言葉は、ヤーンには理解ができなかった。ヤーンにとっての親とは、カルケロ。第一に自分のことを考えてくれ、いつも自分を守ってくれる。そんな存在であったために、彼女の気持ちが想像すらつかないのだ。しかしガラテアファミリーが襲撃してきたときにヤーンは居合わせていなかったが、メキの両親は我が身可愛さに彼女を売った。もはや彼女にとって……いや、前からそうだったのかもしれない。ヤーンがいる間は随分控えていたようだが、彼女は両親から暴力を受けていた。彼女にとって家は、安心できる場所でも帰る場所でもないのだ。


 ヤーンはそれを単に恐ろしいことがあったために彼女が取り乱しているだけなのだろう、または脱出が成功したことから来る高揚感で夢物語でも語っているのだろうと思って無視したのだった。しかし、しばらく歩いてメキの家に着くと、それが決して妄想や恐慌から来る妄言ではないという事を知ることになった。そう、彼女の帰る家などどこにもなかったのだ。


 そこで見たのはすでに燃え尽きて炭化した『家だったもの』の前で膝をつき、呆然と眺めているメキの両親の姿であった。


「こっこれは……」


 あまりの惨状に言葉を失うグリムナ。メキの家は完全に燃え尽きており、今は付近の家に炎が燃え移っている。グリムナがメキの家を後にして彼女を救出に向かった時、その時背後で何か火災があったように感じたが、時間を逆算して考えると、あの時背後で燃えていたのはメキの家だったと考えられる。


(あれ~? そんじゃ、あの時燃えてたのって、メキの家!? もしかして……すぐに引き返して消火活動とかしてたら、間に合ってた……? あれ~?)


 冷や汗をかいているグリムナをよそに、メキが一歩、二歩、と歩み寄んで、そして……笑った。


「はは……アハハハ……なにこれ……? 燃えてやんの……みんなみんな……燃えてやんの……アハッハハハ……」


「何笑ってるにゃ!!」


 メキの父親が振り返り、憤怒の表情で彼女を殴りつけた。メキは抵抗なく殴られて後ろに吹っ飛んだ。ヤーンとグリムナが慌てて彼女のもとに走り寄る。ヤーンは彼女の父を咎めるように叫んだ。


「何をするんですか! メキと火事は関係ないでしょう!!」


「うるさい! よそ者に何が分かるにゃ! 人間の町で、毎日毎日苦労して働いて! 差別されてもそれでも腐らずに、ひたすら働いて働いて働き続けて! その結果がこれにゃ!! 人間に何が分かるにゃ!!」


 それはまるで彼の、メキの父親の魂の叫びのようだった。マフィアにいいようにこき使われて、少ない日銭を稼ぎ、それでもやっと何とか生活できるだけのものだったのが、今日、全て吹き飛んでしまったのである。その苦労を分かってやることなど、誰もできないのだ。そして、彼が叫ぶと、横で幽鬼の如く呆けていただけのメキの母親も口を開いた。


「そもそも、あんたが来てからよ……あんたが来てから全部おかしくなったのよ……あんたのせいでメキがおかしくなって、マフィアに睨まれるようなこと……!!」


 ふらふらとヤーンの傍に歩み寄ってきてなおも彼を責める。


「返してよ! 私たちの生活を返してよ! 私たちが何したっていうのよ!!」


 もはや語尾に『にゃ』をつけることも忘れて、ヤーンを責め立てながら力ない拳で彼を殴り続けるのだった。

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