第222話 貴族の豚どもめ

「くそっ、やられたな……」


 グリムナが前菜のサラダにフォークを突っ込みながら若干不貞腐れたような表情でそう呟いた。


「ゴメンね、グリムナ……あたし、結局ラーラマリアを全然制御できてなくて。こんなことになるなんて……」


 あの後衛兵たちがラーラマリアの後を追っていったが、しかし思った通り彼女には逃げられてしまった。人を一人抱えた状態とは思えないほどの速度で敷地を駆け抜け、門を通らずに、その聖剣で城壁を破壊してまっすぐ進む。誰もあの勇者に追いつける者などいないのだ。


「いや、レニオはよくやってくれてるよ。あの猛獣に首輪をつけるなんて、誰にもできやしないさ」


 そう言ってグリムナがレニオを慰める。一同はラーラマリアに逃げられてしまった後、一旦しっちゃかめっちゃかになってしまった状況をまとめるため、ビュートリットの屋敷の大広間で食事をしなあら話し合いをすることにした。

 運ばれてきたチキンソテーにナイフを入れ、フォークで口に運んでから、グリムナは険しい顔をした。


「お口にあわなかっただろうか、グリムナ殿……」


「いえ……」


 先ほどまで敵として命の取り合いをしていたグリムナとビュートリット。なんとも不思議な光景であるが、それから1時間ほどしかたっていないのに今は同じ食卓を囲んでいる。ビュートリットはグリムナのしかめっ面に少し恐縮していたが、この時のグリムナの表情の意味は……


(味が……ある……)


 実を言うと、『美味しい』という言葉はどの言語にもある単語ではない。例えば英語では『taste good』、つまり単に『味が良い』と表現するし、朝鮮語では『マシッソヨ』、『味がある』と表現する。英語の『delicious』は元々フランス語由来の単語。つまり、貴族だけが使っていた言葉であり、イングランドの庶民は美味いものなど食わぬ。くたくたになるまで煮込んだ野菜とかウナギのゼリー寄せとかを食べる。


 つまり何が言いたいかというと、『味がある』という事は、それだけで素晴らしい事なのだ。庶民の普段の食事など、生きることが最優先で味になどまで気を払う余裕がないのが普通である。美味いかどうか、料理全体の味の調和、そんなものが問われるのはもっとずっと先の事である。


 味がある。素晴らしい。


 グリムナ達は砂漠で虫やネズミの生き血などを飲んで生き延び、その後もあまり金がないので店でなど食わず、ほとんどを山の中で調達した生き物、運が良ければ哺乳類や木の実。悪ければ虫を食べて過ごしてきたのだ。そして、ここにきて不意に貴族の食卓に招かれることとなった。


(貴族の野郎ども……普段からこんないいもん食ってやがるのか……)


 無意識にプロレタリアート寄りの思考となっていたグリムナが心の中で独り言ちる。


「貴族の人たちは普段からこんないいものばっかり食べているんですか」


 グリムナの心の声をまさにヒッテが代弁した。しかしまさにここにベアリスがいたら同じことを言ったであろう。彼女はそれこそ王族であるが。


「しかしのう、結局ラーラマリアはグリムナを殺そうとしておったという事なんじゃろうかのう?」


 状況のまとめとして、バッソーが真っ先に口を開いた。レニオの口ぶりからすると、やはりそうとしか思えないのであるが、しかしグリムナはこれを認めたくなかったためなかなか話を切り出すことができなかったのだが。


「それは……間違いないです。実際に私にベアリス王女の殺害を持ちかけてきたのはベルアメール教会の特使として来た彼女です。そして、同時にそれに巻き込んでグリムナ殿も始末するように指示を出してきたのです。


 バッソーの問いに答えたのはビュートリット・ルゥ・コルコスである。彼の弟である暗黒騎士ベルド・ルゥ・コルコスもあの騒ぎの後何事もなかったかの如く一緒に席に着席して食事をとっている。『敷居を跨がせない』とはなんだったのか。


現在テーブルを囲んでいるメンバーはグリムナ、ヒッテ、バッソー、それに勇者パーティーのレニオ、シルミラ、そしてコルコス兄弟である。

 ラーラマリアは屋敷から脱走し、そして王女のベアリスを連れ去っていった。さらに彼女が言うには、フィーの身柄も彼女が預かっているという。


 フィーがグリムナ達に接触してこなかったのは単に彼女が自分勝手だったからではない。ベルアメール教会側に捕らえられていた、という事なのだ。グリムナは仲間のことが信じられずに彼女を軽んじているような発言をしてしまったことを恥じた。いつも彼女には煮え湯を飲まされていたような記憶しかないが、しかし危険なこの旅に文句を言わずについてきてくれた大切な仲間なのだ。何とかして彼女を助け出したい。そしてそれは当然ベアリスについても同じである。


「それにしても気になるのは王女の行方です。まさかとは思いますが、もう殺されている、などという事はないでしょうか……」


 ビュートリットは食事をしながらもすっかり意気消沈したような表情でため息をつきながらそう言った。ほんの数時間前までまさにその王女を殺そうと行動していたのは彼自身なのであるが、しかし立場が変われば発言が変わるのは当然の仕儀である。


「ラーラマリアの足取りがつかめない以上、ここで気をもんでも仕方ありますまい。なあに、勇者の実力ならあの場で王女を殺害することも難しくはなかったはずじゃ。それをしなかったということは、生かしておいて何かに利用するということでしょう」


 バッソーはそう言ってホッホッホ、と笑ったが、しかし一同の表情は重い。確かに理屈としては通っているのだが、しかしベアリス王女が一番危険な女にさらわれてしまったという事実に変わりはないのだから。


「しかし、ベルアメール教会はもうビュートリット殿を見限ったってことじゃろうか? ラーラマリアが実際こうやって敵対行動をとっているしのぅ……」


 バッソーが首を傾げ、顎髭をなでながらそう言うと、グリムナが答える。


「そこまではどうも……実際ラーラマリアはかなりの直情径行で、その時の気分次第で後先の考えていない行動をすることが多いんで」


 グリムナの言葉にレニオとシルミラがうんうん、と頷く。この二人も彼女の行動にさんざん振り回されてきた、ラーラマリア被害者の会メンバーである。


「教会には、領土的野心がある……」


 そう口を開いたのはベルドであった。彼は元暗黒騎士団の幹部、ベルアメール教会の内情には詳しいはずである。


「大司教メザンザの考えているのは、竜の惨禍後の世界。その新世界においてベルアメール教会が変わらず力を持ち続けることだ。勇者の認定にしても、聖剣の探索にしてもそれが主眼であるし、その目的のためには他国を侵略できれば最上であるが、そうでなくとも自分達の強い影響下に置きたいというのが奴らの本音だ」


 大司教メザンザ……グリムナは以前に裁判所で出会った岩の様な巨躯の男を思い出した。グリムナの事をほめたたえてはいたが、しかし同時に異様な圧力を感じた男。その男がすべての黒幕なのだろうか、とも考えたが、しかし同時にあのラーラマリアがそんな男の手足となって動くことがよく分からない。彼女は『人に使われる』ということを極端に嫌うからだ。


 グリムナはレニオとシルミラの方をちらりと見る。ずっとラーラマリアについて行っていた彼女たちなら何か知っているのではないかと思ったからだ。


「確かにそのとおりよ……ラーラマリアは互いの利益のために、メザンザに協力してた。ラーラマリアはメザンザの目的に沿うよう指示に従い、メザンザはラーラマリアとグリムナの仲を取り持つ、ってことで……」


「とっ、取り持つ!? 命を狙われてたような記憶しかないんだけど!?」


 レニオの言葉にグリムナが慌てて聞き返すが、しかしレニオは暗い顔をしたまま静かに答える。


「最近ラーラマリアの様子がおかしかったのよ……さっきみたいにものすごい高いテンションで大騒ぎしたかと思うと、急に落ち込んでまともに言葉も喋られないような状態になったり……精神が大分病んでるみたいで、そもそも論理的な判断ができてるのかどうか怪しいわ……」


 グリムナは驚愕した。あのラーラマリアがまさか心を病むなど、以前の彼女しか知らない彼からすればまさに青天の霹靂の様な情報であった。だからと言って命を狙われるのも勘弁だが。


 一瞬の沈黙が流れたその時であった。もはや侵入者も消え、再び静寂を取り戻していたと思われていたビュートリットの屋敷に轟音が響いたのは。

 ガシャァン! という大音と共に窓ガラスが割れ、大広間に人間の頭くらいの大きさの何かが投げ込まれ、ドゴッ、と床にめり込んだ。

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