第165話 ガラテアファミリー
「ウェルストンとレッポがやられたってよ」
「レッポ? ウェルストンは分かるがレッポって誰だったかな?」
「ホラ、最近ウェルストンの金魚の糞みたいについて回ってた痩せっぽちだよ。レッポは頭を、ウェルストンはわき腹を鈍器みたいなもんで一撃だとさ」
「こえぇな……ロイコンボか? それともメッツァトル商会の奴らか?」
路地の裏で三名の男たちが酒瓶を片手に話をしている。男たちはガラテアファミリーの下っ端であり、同じく下っ端の男が二人、最近何者かに殺された、という話題について話しているようであった。
「そういえば……」
男のうちの一人が思いついたように口を開く。
「ウェルストンの奴が目をつけてた獣人の女がいたよな? メキとかいう……あいつが死んだってことはどうなるんだ? 早いもん勝ちか?」
「おいおい、抜け駆けは良くねぇぜ。猫耳の、それも若い女の獣人は高く売れるからな。この三人で山分けしても十二分な金にはなるぜ、協力しようや……」
「そりゃいい、逃げ足はかなりのもんらしいからな。まずは親の方から追い込みだな……ヒヒ……」
男たちが下卑た笑い声をさせていると路地の奥に人の気配がした。いや、人の気配だろうか? 徐々に立ち込めてくる、先ほどまでは明らかに無かった獣臭、人影は身の丈2メートルを軽く超えている。異様な気配に男どもは若干恐怖の混じった威嚇の声を上げる。
「な、なんだてめぇ、俺たちに何か用か! 俺らはガラテアのもんだぞ!!」
それが、彼らの最後の言葉となった。
「ヤーン? またどこかに行ってたの?」
メキが不安そうな表情で彼に言葉を投げかける。ヤーンは困ったような表情を浮かべて「少し外で涼んでただけだよ」と答えた。メキは「手が冷えている」と言って彼の手を両手で包み込むと、体を自分の方に引き寄せて抱きしめた。ヤーンはその行動に自分の鼓動が早くなるのを感じていたが、メキの方は、というとヤーンの胸に顔をうずめながら別のことを考えていた。
(また……血の匂いがする……)
その、気づいたことには言及せずに、メキは優しい声で彼に語り掛ける。
「何をしてるのかは知らないけど、危ないことはやめてよ」
ヤーンがメキの家に泊まるようになってから一週間の時が過ぎようとしていた。ここ最近、ガラテアファミリーの下っ端が連続して襲われるという事件が発生していた。目撃証言では、ホシは身長が2メートル以上ある緑色の、毛むくじゃらの化け物だという。
その事件と、夜な夜な出かけては血の匂いをさせて帰ってくるヤーンを結びつけるようなことはメキはしなかったが、それでも何か、自分の周りで何かが動き始めているような、そんな漠然とした不安を抱えていた。
ヤーンはその彼女の言葉にも、力ない笑みを返すだけであった。
メキがその連続殺人事件とヤーンを関連付けることを、半ば意識的にしなかったのは今の幸せな状態を崩したくないという一心からであったが、しかしこんな異変が続いていけば、それが『偶然』ではなく『必然』であることに気付く者というのは当然出てくる。
年のころは30歳前といったところであろうか、右目に眼帯をしたその女性は夜ではあるが煌々と明かりがともされ、昼間のように明るい部屋の中で紫煙をくゆらせながらソファーに深く座り、シルクのように光沢のある美しい黒髪をかき上げて、部下の報告に応えた。
「明らかにおかしいわね……」
露出度の高いセクシーなドレスに身を包んだその女は不機嫌そうな表情でそう呟いた。報告をしていた40代後半の男は脂汗をかいている。
「この町で死体が毎日出ることなんて珍しくも何ともないけど、これだけうちの組だけが狙われるなんて明らかに異常よ」
「ロイコンボか、メッツァトル商会でしょうか……ガラテア様」
部下がそう言うと、ガラテアと呼ばれた女はますます不機嫌そうな表情になって、ガリガリとキセルを噛んだ。黒く光沢のある髪にグラマラスな体、身体的な特徴はリヴフェイダーが化けた女性によく似ていたが、決定的な違いが2点ある。その口調と、右目の眼帯である。
「それを調べんのがあんたの仕事じゃぁないのか?」
ガラテアは部下の方に顔を向けて、ぐいっと眼帯をめくりあげた、その眼窩には緑色に輝く宝石が嵌められていた。
「それともあんた、まさかうちを裏切ってるんじゃぁ……」
「ひっ、やめてくださいガラテア様、俺はあなたの忠実なしもべです! その目を向けないでください!!」
そう言われてガラテアは眼帯を元に戻した。再度ソファーに深く座り、「はぁ」と大きくため息をついてからキセルに口をつける。部下の男はポケットからハンカチを取り出して汗を拭いていた。
彼女は少し考えてから口を開いた。
「この一連の殺人事件の最初に殺された奴……そいつらが抱えてた仕事を調べな……何か……どこかにヒントがあるはずだ……」
部下の男は彼女の言葉に恭しく返事をすると、逃げるように部屋から出て行った。ガラテアはゆっくりとソファーから上半身を起こすと、ドアがしっかりと閉められて、部下が出て行ったことを確認してから、ソファーの横に置いてあったテーブルに突っ伏した。
「ふえぇぇ~……」
情けない声が漏れ聞こえた。彼女のほかには部屋に人はいない。どうやらこの情けない声は彼女の口から漏れ出たもののようだ。
「なんでこんな……アタシがボスになってそんなに経ってないのに、面倒なことばっかり……アホどもは全然役に立たないし……」
少し顔を上げた彼女の目には涙が溜まっていた。
「だいたい、急に親父が死んじゃったからってなんでアタシが……普通に経営学を学んでただけの学生にいきなりマフィアのボスなんて無理があるでしょうよ~」
ガラテアは両手を握りこぶしにしてドン、とテーブルを叩いた。
「そうよ! そもそもそこがおかしいのよ! いくら三大マフィア一のバカの集団だからって、アタシよりマシな奴なんていくらでもいるでしょうに! 時代遅れの世襲制にこだわるなんて、バカバカしい! おかげでこっちゃ恋人にまで逃げられるし! アタシの婚期の責任を取れるのか、あいつ等は!!」
この町を支配する三大マフィアの中でも随一の武闘派で知られるガラテアファミリー。その先代ボス、エルトフット・ガラテア。彼が急性盲腸炎で亡くなり、ガラテアファミリーの後継者として白羽の矢が立ったのが彼の一人娘、ノウラ・ガラテアであった。女性としては高い身長に、見る者に恐怖感を与える眼帯。堂々とした胸を張った姿勢に、美しいグラマラスな肢体。まさに女ボスという肩書がふさわしい外見の持ち主であるが、その心は、チキン。
元々エルトフットは彼女にボスの座を譲るつもりはなかった。だからこそガラテアファミリーの持つフロント企業の幹部としての仕事をしてもらうために経営学を学ばせた。しかし彼の急死にパニックとなったガラテアファミリーは見事に彼の意図を汲むことができずに学生であった彼女をファミリーに呼び戻し、ボスの座につけた。当時彼女がガラテアのボスの娘だと知らずに付き合っていた交際相手は、なるべく彼女とその周りを刺激しないように、フェードアウトした。
「もぅ~、やだやだやだやだ! アタシの人生、マフィアに狂わされっぱなしよ! なんでこんなめんどくさい役回りばっかりアタシのところに来るのよ!!」
実際にはマフィアの娘だからこそ、こんな環境の悪い街にいても大学にまで進学させてもらえて、何不自由ない生活を続けてこられたのだが、『持つ者』に『持たざる者』の苦悩は分からないもの。自分がいかに恵まれた境遇にいたのかも分からずに不満を漏らすのも無理もない事だ。
ノウラが机に突っ伏したまま嘆いていると、部屋のドアがガチャッ、と開けられた。
「あ、すいません、ボス。最初の犠牲者って誰でしたっけ?」
ノウラは一瞬体の動きを止めた後、ゆっくりと余裕をもって上半身を起こし、キセルに口を寄せ、落ち着いて煙を吐いてから、半泣きで口を開いた。
「ノックぐらいしろ!!」
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