第134話 法的根拠

「いや実際のところさあ、グリムナを逮捕した法的根拠がよく分からないんだけど?」


 フィーがバッソーにそう尋ねると、彼は深いため息をついた。


「実を言うとな、フィーの言うことが正解だったんじゃ……」


 正解とは何のことか、フィーが首をかしげるとバッソーが言葉を続ける。


「コスモポリの町で『こんな奴ら叩っ殺して逃げよう』と言ったじゃろう、殺すかどうかはともかく、実はそれが一番正解に近いという意味じゃ」


「それってもしかして、アムネスティ達は何の法的根拠もなくご主人様を逮捕したということですか?」


 横で聞いていたヒッテが尋ねる。流石に彼女は理解が早い。


「その通り、彼女らの言う『人権』という考え方はつい最近出来たものじゃ。支配者層から見ればそんな物無い方が都合がよいからのう」


 バッソーが詳しい説明を始める。どうやら彼もアムネスティ達の存在については聞き及んでいたようで詳しいことを騙りだした。


 彼が言うには、正直言って声高に人権がどうのだとか裁判がどうのなどとほざいてはいるものの、どうやら実態が全く伴っていないようで、何の法的根拠もなく彼女らの、特にアムネスティの裁量一つで目立つ人間を槍玉にあげて攻撃している団体のようである。彼女の行動のバックボーンになる『人権』も『法律』もどこの国にも共有されておらず、それどころか彼女らの本拠地であるこのヤーベ教国においてさえ『人は人らしく生きる権利がある』というなんともふんわりした宣言があるだけで、それに基づいて勝手気ままに行動しているというのだ。


「じゃあ、ご主人様が行ってた『令状』なんてあるはずがありませんし、フィーさんの言う通り『強行突破』が最善だったってことですか……今からでもご主人様を奪い返して逃げられませんかね……?」


 バッソーは腕を組んでう~ん、と考え込む。


「厳しいじゃろうなぁ。入国するまでならそれもできたかもしれんが、このヤーベ教国はまがりなりにも彼女らの本拠地じゃ。そして奴らはこの国の元首である大司教メザンザから庇護を受けており、特別に逮捕権を認められておる……国外であればのう……」


「ちょっと! なんでそれもっと早く言わなかったのよ! 使えないじじいね!!」


「しょうがないじゃろう、あのおばさんが怖かったんじゃ……」


 今更になって怒りだしたフィーにバッソーは恐縮しきりである。しかし確かにアムネスティは大層グリムナを気にいったようでほとんどその傍を離れることがない上に生まれてから今までずっと生理なのかというほど常にイライラしていて、とても横から口を挟めるような雰囲気ではなかったのだ。


 しかしその答えにもヒッテは納得がいかない。じゃあ一体普段どうやって活動しているのかと。まさかヤーベ教国の国内だけで活動しているわけではあるまい。逮捕権のない国外では一体どうやっているのかと気になったのだ。


「それについては簡単じゃ。先ずは世論を作り上げる。対象がいかに非道か、人の道に外れているかを各地の構成員を使ってこれでもかとあることない子と言いふらすんじゃ。相手は大抵の場合豪商や地方領主などの権力者、しかし国家レベルで見れば『火傷するくらいなら尻尾切りをしたい』程度の権力者じゃ。民衆から不満が噴出してにっちもさっちもいかなくなるといよいよアムネスティ達の出番というわけじゃな……」


 さらに続けてバッソーは言葉を続ける。その今までのケースと今回とで明らかに違うところがあるからである。


「しかしこの手法は一か所に定住しておらず、権力者でもない儂らには何の効果もない。じゃから本来ならグリムナ相手に奴らが出てくること自体おかしいんじゃ。地盤固めをしている間に別の土地に逃げられておしまいじゃからのう……」


 この言葉を聞いて、ヒッテは少し考えこんでから言う。


「誰か、ご主人様の事を良く知っている人物が、後ろで絵図を描いているんでしょうね。暴力や力押しで押し切ることを嫌うご主人様を良く知ってる人物……そうすると、レニオさんの言っていた教会の差し向けた『最強の刺客』があのおばさんなんでしょうね。ということは、入れ知恵をしたのは恐らく聖騎士ブロッズ・ベプトあたりでしょうか……」


 ヒッテの推理はまさしく正解であったが、しかしだからと言ってそれが分かったところでもうどうしようもないのだ。「あのときこうしていれば」では事態は進展しない。重要なのはこれからどうするかである。


「となると、これから始まる裁判ってのも、そもそも法的根拠のない……裁判っていうよりはただの吊し上げ大会になるんじゃないの? 勝ち目はあるの?」


 フィーも不安そうである。最初は面白いことが起こった、と事態を楽しんでいるだけであったが、今更になって深刻さに気付いてきたのだ。


「まずは腕のいい弁護士を探すことじゃな……裁判は陪審員と裁判官の意見に耳を傾けて、最終的には裁判長が一人で全てを決するという方式じゃ。それでどこまで抵抗できるかは分からんが……」


 部屋には沈痛な空気が立ち込める。すでにここは教会の掌の上であり、彼らはまんまと罠にかかってしまっていたのである。それもグリムナの性格と行動指針を良く知っている相手にしてやられたのだ。





 翌日、フィーは一人で拘置所の一室でグリムナと面会していた。被疑者と面会者の間に仕切りなどはなく、グリムナは手枷をはめられたまま、その手枷についている鎖を衛兵が握り、さらにもう一人の衛兵が腰に剣を指して警戒している。ロリコン一人にえらい警戒である。いや、ロリコンではないのだが。しかしそのことがこれが教会の意図が強く働いた別件逮捕であることを現している。

 憔悴しきっているグリムナにフィーが話しかける。


「裁判は3日後に始まるらしいわね。私たちはそれまでにできる限りの準備はしておくわ」


「準備? ロリコン疑惑が誤解だっていうことか?」


 グリムナはまだ何もしていないはずなのに疲れた表情をしている。おそらく心労であろう。彼はちらりと周りを見てからさらにフィーに尋ねる。


「ヒッテとバッソーは? どうしたんだ?」


「バッソーはあなたの為に腕利きの弁護士を探している最中よ。ヒッテちゃんは別の場所で事情聴取を受けてるの」


 そうか、とグリムナは納得する。言われてみればヒッテはこの件の当事者であった。そもそもは彼女がグリムナから性的虐待を受けているという疑惑で彼は逮捕されたのであった。しかしバッソーが探してくるという弁護士についてはとても不安な気持ちになる。


 もし彼の個人的な知り合いと言うことになれば非常に人格に疑問のある人物になる気がする。そしてそういった者でない場合は恐らく高額な報酬は彼らは払うことができない。いずれにしろ碌な人物にならない気がするのだ。それは仮にフィーが探すにしても同じであるし、ヒッテだけが信用に足る人物ではあるが、12年間を奴隷として過ごしてきた彼女には当然そんな人脈はない。


 落ち込んでいるグリムナの様子に気付いてか、フィーは自分の豊満な胸をどん、と叩いてグリムナを励ます。


「ま、大船に乗った気でいてよ! 私たちには『秘策』があるんだから!」


 泥船である。しかしグリムナが何か言おうとすると衛兵の一人が声をかけてきた。


「時間です。次の面会もあるので今日はここまでになります」


 グリムナが一層不安な表情になる。本来ならばこの時間にその『秘策』について話し合うべきなのであるが、何の進展もなく終わってしまった。ヒッテが自信満々に言ったことも不安だ。なんとなく、これは『フリ』の気がする。この物語的に。


 フィーが退室して、次にグリムナも退室しようとしたのだが、それを衛兵が止めた。


「次の面会も、あなたです」


 グリムナが「は?」と言って呆気にとられた顔をしていると部屋の外から「なんでこんなところに!?」とフィーの声が聞こえた。驚いてグリムナがドアの方を見ていると、がちゃり、とドアが開き、見知った顔の初老の女性が入室してきた。


「めっ……メルさん……」


 嫌そうな表情でグリムナが呟く。そう、入室してきたのは恐らく今回の騒動の発端である通報者、フィーの母親のエルフ、メルエルテであった。メルエルテはグリムナのつぶやきを聞くとニヤリ、と笑ってから席に着いた。

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