第218話 やなこった

 金属音とともに部屋の中に派手に火花が散る。


 新月の闇の中、コルコス家の屋敷では激しい戦闘が行われていた。焼き入れの甘いビュートリットのヴィーキングソードはみるみるうちに刃こぼれしていったがそれでも重量のある鉄塊である。一撃でも急所に入ればそれは容易に人の命を絶つ威力を秘めている。


 グリムナは大道芸でも過去に見せた通り胴体を両断されても即座に傷を回復させることができるが、この一撃を受けてしまえば即死、当然蘇ることなどできない。ひりひりと死の恐怖を感じていた。


 激しい戦闘が行われているにもかかわらず衛兵が駆けつけてこないのはおそらくベルドの陽動作戦が上手くいっている証左であろうが、しかしビュートリットはそんな事にいら立ちを見せる様子はない。自分の剣で決着をつけるつもりなのだ。


(まずいぞ……コイツ、本当に強い……)


 グリムナは焦っていた。


 ビュートリットが予想をはるかに超えて強かったからだ。


 正直言って彼はこの作戦を少し甘く見ていた。


 なんか適当に潜入して、うまいことやってビュートリットにまでたどり着ければ、『魔法のキス』をぶちかまして、彼を改心させる。


 まあ、細かいことはよう考えてへんけど、きっとうまくいくやろ。


 そんな感じのふわふわした作戦行動であった。しかし実際に実行に移してみると、まず彼の執務室に乗り込むまでが危うかった。正直ベルドに助けてもらわなかったら衛兵に大苦戦していただろうし、しかも頼みの綱のベアリスがビュートリットの執務室がどこにあるかを知らなかった。


 考えてみれば当然である。一国の王女で、しかも元引きこもりである彼女が一家臣の居城の間取りなど知っているはずなかったのだ。


 そして、ビュートリットのところまでやっとたどり着いたものの、この苦戦である。ただの文官だと思っていた彼が、ここまで強かったとは。


 とてもではないが、キスなどする隙など見つからない。ブロッズ・ベプトやラーラマリアの様なでたらめな強さではないものの、普通に強い。勝てない。


 不意にビュートリットが一気に間合いを詰めて切りかかってきた。まつげの本数が数えられるほどの近距離、一瞬グリムナは「これは、俺の間合いか」と思ったものの、すぐにつばぜり合いのように剣で押された。

 しかしそれと同時にビュートリットの足がグリムナのかかとに引っ掛けられ、彼はあおむけに倒れてしまう。


「貴様ごときには何も救えん。この世界を見ろ。残酷と野蛮に満ち溢れた人々の姿を! 俺が、力強い王が! あの豚どもを導いてやらねばならんのだ!」


 そう言うとともにビュートリットは大きく剣を振りかぶり、グリムナの首を刎ねようとしたが、しかしその切っ先がグリムナの首に届くことはなかった。


「うっ……ぐぅ……」


 ビュートリットはうめき声をあげながら振りかぶった剣を床に落とした。剣を振り下ろす前に、いつの間にかベアリスが忍び寄り、彼女の持っていた剣でビュートリットの脇腹を串刺しにしたのだ。あまりにもあっけない幕切れであった。


「ハァ……ハァ……」


 腹を貫かれたビュートリットよりも、むしろ刺したベアリスの方が顔面蒼白になっていた。一年近くにわたり法の及ばない野山で暮らし、多くの獲物をその手で仕留めてきた彼女であったが、さすがに人間を殺したことは、ない。


 彼女はゆっくりと、努めて呼吸を落ち着けようと深呼吸をし、硬直してしまって固く握ったままの右手の指を、左手で一本ずつ引きはがして、血で赤黒く汚れた剣を床の上に落とした。


「見事……です、ベアリス様……」


 ごぼり、と血を吐きながらビュートリットがベアリスをたたえる言葉を口にした。ヒッテはその言葉に違和感を覚えていた。先ほどまでのグリムナへの攻撃はとても手加減をしているようには見えなかった。砂漠への置き去りにしても確実にベアリスを殺そうという意思が見て取れた。それなのに、ベアリスが自分を刺したことに怒りや憎まれ口を見せることなく素直にほめるその態度に違和感を受けたのだった。

 しかしベアリスとグリムナはそうではないようであるが。


 ビュートリットは苦しそうにしながらも言葉を続ける。


「さあ、ベアリス様、高らかに宣言するのです。逆臣を討ちとったと。王党派を私物化して、王女暗殺を企て、国の乗っ取りを画策していたビュートリットを討ったと」


「ビュートリットは……初めから負けるつもりで……?」


 ヒッテが小さい声でそう呟くが、もちろん違う。彼は砂漠からベアリスが生還するなど思ってもみなかったし、グリムナへの攻撃は殺すつもりでやっていた。


 ただ、『生還してもいい』と思っていたし、『負けてもいい』と思っていたのは事実だ。


「ビュートリットさんは手を抜く人じゃありませんよ。彼にとっての第一は民の安寧、そして国の繁栄他の全ての事は、たとえ王族の命も、自分の命も天秤にかけるべくもないということでしょう……」


 ビュートリットはそのベアリスの言葉ににやり、と笑みを見せたが、しかしすぐに険しい表情になって答えた。


「もう、時間がない……私が死んだとなれば、後ろ盾となっているベルアメール教会が何か動きを見せるかも、知れない……今回の件、ベアリス様とグリムナを始末すれば助力は惜しまない、と持ち掛けてきたのは大司教メザンザだ……事ここに至っては……奴らがどう動くかは誰にも分からん……」


 ごほっ、とビュートリットは咳き込んで血を吐いたどうやら彼もそろそろ限界が近づいているようだ。


「頼む、ベアリス様……私の死など些事に過ぎぬ……国が……、民が、一つにまとまらねばならんのだ。どうか……どうかこの国を……」


 そう言いながら差し出されたビュートリットの手を、ベアリスは両手で包み込むように握り、そして笑顔で答えた。



「やなこった」

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