第301話 再会(グリムナside)

「もう行きましょ、グリムナ」


「そうだな、そろそろお昼だもんな」


 結局グリムナとラーラマリアはほとんど日用品は買わず、民芸品だけを買って店を出た。ラーラマリアはグリムナにそれを買ってもらったのがよほど嬉しかったようで、スキップでもしそうなほどの足取りで飲食街への道を歩いていく。


「ちょっと、ラーラマリア、待ってくれよ」


 そう言いながらもグリムナも楽しそうではある。彼女が上機嫌であれば自分に妙な危害が及ばないという事もあるのかもしれないが。


「ん?」


 そんな時、グリムナがふいに立ち止まった。ラーラマリアは気づかずにそのまま道を進んでいったが。


 誰かの走る足音、それが自分を追っているような、なんとなくそんな気がした。それに……彼自身うまく説明できないが、なぜか、体がその足音に向かって動いた。そうとしか説明のしようがなかった。


 先ほどの店から出て、最初の四つ辻を曲がった場所、そこに来た時に、一人の駆けてきた少女が転びそうになった。思わずグリムナは手を出し、その少女の身体を受け止めた。


「大丈夫か?」


 滑り込むように少女の身体と地面の間に入り込み、転びそうになった体を抱きかかえるグリムナ。年頃の女の子だという事に気付いて、彼は慌てて抱きしめるように支えていた手を緩め、ケガはないか訪ねた。


 黒髪で、目が隠れるくらい前髪が長い。身長は160cmにわずかに届かないくらいだろうか、17歳くらいの小柄な少女だった。


 少し細身で、ラーラマリアには及ばないものの、前髪で目が隠れていても整った顔立ちをしていることがよく分かる美しい顔立ち。


 少女はしばらくグリムナの腕にしがみついて彼の顔を見ていたが、ハッと気づいて恥ずかしそうに自力で立ち上がった。


「いえ、大丈夫です……」


(この声……どこかで聞いたことがあるような気がする。どこだったか……)


「あの……」


「なに?」


 少女が声をかけてきたのでグリムナが聞き返すが、しかしそこで会話が止まってしまう。少女はグリムナから目を離さない。そしてグリムナも彼女から目を離せない。何かが、心の奥底から湧き上がってくるような、溢れ出てくるような、一瞬そんな感覚を受けて、グリムナの鼓動が早まる。


 口の中がからからに乾く。ただ、少女と正対しているだけなのに、なぜ自分はこんなにも緊張しているのか、その理由も分からず、しかし少女から目を逸らすこともできない。


 もし目を離せば、まるで自分の一部を失ってしまうような、そんな焦燥感に支配されていたグリムナであったが、しかし不意に後ろから声をかけられた。


「ねえ、グリムナ、早く行かないと混んじゃうわよ? 行きましょう」


 ラーラマリアだ。


 グリムナは大きく息を吐き出した。どうやらそう短くない時間、緊張のあまり息を止めていたようだ。


 ラーラマリアの方に振り向いたグリムナは彼女に応える。


「ごめん、ラーラマリア。すぐ行くよ」


 額に汗が浮かんでいた。黒髪の少女は、何か自分にとって大切なもののような気がした。しかしそちらを振り向けば今度は今自分が持っている物を逆にすべて失ってしまいそうな気がした。


 彼は自分で判断することを避け、ラーラマリアの呼び声に振り向くことで事態を打開したのだ。能動的ではなく受動的に。


 だが、ラーラマリアの方に歩み寄ろうとした時、今度は黒髪の少女から呼び止められた。


「あ、まっ……待って……」


 小鳥のさえずりの様な美しい声。やはり聞き覚えがある。 


平静を装っているグリムナであったが、しかし額には脂汗の粒がにじみ出ていた。ゆっくりと彼は振り返る。黒髪の少女は不安そうな、置き去りにされた迷子の幼子のような表情でグリムナを見つめる。


 やはり間違いない。この少女は、自分の事を、何か過去を知っているのだ。グリムナは直感的にそう感じた。


「あの……その……」


 しかし少女は言い淀んでいる。何か知っているのではないのか、俺に聞きたいことがあるのではないのか。グリムナはそう思ったが、しかし少女の口からはやはり要領を得ないような言葉しか出なかった。


「私は、ヒッテ、です……」


 突如として始まった自己紹介。何を期待しての自己紹介なのか、自分も名乗ればいいのか。自己紹介をするという事はやはり初対面なのだろうか。ぐるぐるとグリムナの中で思考が渦巻く。


「あの、ヒッテの事を知っていませんか……? グリムナさん」


 どういうことなのか。記憶を失っている自分の事をこの少女が知っているのではないのか。それともまさか記憶喪失同士の再会だとでもいうのか、いや、そんな偶然などあるはずもない。やはりこの少女と自分は初対面なのだ、グリムナはそう考えた。


 グリムナは気づかれないようにゆっくりと深呼吸をして、気持ちを落ち着けた。


 そうだ。知り合いのはずがない。


 自分には彼女の記憶はないし、どうやらこのヒッテという少女も自分の事を知らないようなのだ。


 異常な発汗に焦燥感、そして喪失感。


 脳はこの少女を知らないと言っているが、しかし『感覚』は全てが異常な反応を導き出している。しかしこれらはおそらく何かの錯覚なのだ。勘違いしてはいけない。グリムナは努めて冷静に彼女の質問に答えた。



「いや、知らないな……初めましてじゃないかな?」



 その言葉を発した時、彼の心臓はまるで猛禽類に鷲掴みにでもされたかのように激しい痛みに襲われたが、しかし彼はそれを気力で堪えた。


 彼の本能が言っている。『彼女を手放してはならない』と。


 彼の感覚が伝えている。『彼女はお前の大切な人だ』と。


 しかし、彼の記憶だけが『そんな女は知らない』と告げている。そして、どうやらそのヒッテという少女自身も、彼の事は知らないようなのだ。


 ならば、彼が今守るべきは、自分の事を頼りにしている幼馴染なのは自明の理。互いに見知らぬ男女なのだから。


 最後に見た、彼女の涙を、彼は忘れることができなかった。

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