第203話 汚ねえプロポーズ

 じょぼぼぼ……


 不穏な水音だけがあたりに響き、ぶら下がっている蛇の皮が見る見るうちに膨らんでいった。


 朝日があたりを照らすようになっておよそ一時間。すでに世界は刺すような強い日差しに支配されつつある。生き物の気配はない。見える範囲全て死の世界である。灼熱の砂漠地帯には排熱性に優れた小型の爬虫類や、やはり同様に小型のネズミなどの哺乳類が細々と暮らしている。その数少ない生き物も夏の昼日中は直射日光を避けて岩陰や、自ら穴を掘ってそこにひっそりと生きるのだ。


 実際グリムナ達も同様に岩陰の中、隠れるようにかろうじて命を繋いでいる状態である。


 その静寂の支配する世界で、少し足を開いて背を向けたベアリスの股間から覗いている蛇の皮。

 灼熱の砂漠に似つかわしくない水音とともにその蛇の皮はソーセージの如く、『何か』を詰められて膨らんでいたのだ。グリムナの位置からは、背を向けているため彼女は何をしているのかは分からない。


 分からない。しかし想像はできる。


 できればその想像が外れていてほしい。グリムナはそう祈ったが、彼がどう思おうが、何を望もうが事実というものは動くことはないのだ。

 ベアリスは何やら作業が終わったようで、もぞもぞと手元で何かをしている。どうやら蛇の皮の反対側、頭の方を縛っているようである。それが終わると彼女は若干ガニ股に開いていた足を閉じてグリムナの方を向いて笑顔を見せた。


「ふぃ~、すっきりんこ」


 蛇の皮は水風船の如く膨れている。彼女の持ち方と、その蛇皮の動きから、中に入っているのは液体だ、ということは分かる。手品などではない。ましてや魔法でもない。辺りに、確かに水場はなかった。では、蛇の中にある水は、いったいどこから出たというのか。


 その答えは、だれもが頭の中に持ち合わせている、しかし認めたくない。うつむいて青ざめているグリムナ。あまりの事態に唖然として口を半開きで固まっているバッソー、そして、恐怖のあまりカチカチと歯を鳴らしているヒッテ。

 しかしベアリスはそんな彼らの表情に気付くこともなく、何でもない事のように口を開く。


「先ほどから言っている通り、砂漠で最も重要なのは、水分の確保です。しかし、当然ながら砂漠に安定的な水を確保できる水源などありません。そこで出てくるのが……」


 ベアリス以外のメンバーは恐怖に顔をゆがめている。まさか……しかしこの女ならやりかねない。しかし、王族の、それも姫がそんなことをしていいのだろうか。いや、王族どころか一般人の女性だろうがそんなことはしてはいけないはずだ。


「ここです!!」


「そこに掲げるのやめてもらえますか」


 グリムナが冷静に突っ込む。ベアリスは水の入った蛇の皮を自分の股間の前に掲げていた。


「蛇もまさか殺されて食われるだけならともかく、生皮剥がされておしっこ詰められるとは思わなかったじゃろうな……」


 諸行無常の風の音。バッソーがあきらめたような表情でそう言った。なんとベアリスは水分の確保として自身の尿をあらかじめ剥いでおいた蛇の皮に入れて保存したのだ。ただ保存しただけではない。いずれ時が来ればそれを飲む、という事である。

「こう……王女なんですから……いや、王女じゃなくても問題行動だとは思いますけども、せめて見えないよう、岩陰でするとか、ですね……」

「ここが岩陰ですけど?」


 確かに彼女の言うとおりである。グリムナは「岩陰でしろ」とは言ったが、今彼らのいる場所こそが岩陰なのだ。そもそもこの砂漠に隠れる場所などない。だからこその地獄なのだ。そして、唯一の隠れる場所であるからこそ、彼らは日の光を避けて岩陰に逃げ固まっているのだ。


「べ、ベアリス様……一応聞くんですが、その……自分の尿を『飲む』ってことですよね? ……いや、予想はできるんですけど、一応誤解がないよう聞いておきたいというか……」

 ヒッテもわずかな可能性に賭けて、念のためにベアリスに問いかける。しかし答えは無情なものであった。ベアリスがその問いに答える。


「もちろんです。いいですか、今はまだその自覚はないとは思いますが、私たちは実を言うとすでに危険な状態なんです。人間は体の6割が実は水分で出来ていますが、その水分のうち2%を失うと喉の渇きを感じ、5%ほどを失うと、頭痛やめまいなどの脱水症状が出始め、10%から20%を失うと死亡します。慢性的に水分を失ってるんで気づきにくいかもしれませんが、私たちは多分体感的にはすでに3%から5%程を失ってると考えられます」


 ベアリスの口からはっきりと『死』の可能性について語られた。ベアリスの語り口調が軽いのであまり意識できていなかったが、ここは一歩間違えれば死がすぐ傍にいる砂漠なのだ。この言葉に全員が押し黙ってしまった。


「そんな極限状況下では、贅沢は言ってられません。第一優先事項を『生きる』ことに設定し、『痛い』だとか『不快』だとか『恥ずかしい』だとか、そんな感情はすべて捨ててください。そうすれば私の股間から放たれた地獄のドブ水も、命を繋ぐ聖水となるんです!」


「そこまで貶めなくても」


 と、グリムナは突っ込んだものの、しかし心情的にはそんなドブ水飲みたくないという気持ちは同じである。だがベアリスはそれを許さない。『生きる』、それは全てに優先するのだ。


「さあ、皆さんも、どうぞさっき渡した蛇の皮におしっこを入れておいてください。決してそのへんに流してはいけないですよ。これは生きるためなんですから!」


 ベアリスは強い調子でそう言ったものの、皆当然気が進まない。のたのたと渡された蛇の皮を縛り始めるが、お互いの様子を窺いながら、「本当にやるのか」、「やらなければならないのか」とちんたらやってて中々作業が進まない。そうこうしているうちにとうとう我慢の限界が来たのか、若干強い口調でベアリスがみなを鼓舞した。



「みなさん、こんなところで死んでいいんですか? 何かこの先やってみたいことはないんですか? 死んでしまっては元も子もないですよ! ヒッテさん、あなたは将来の夢とかありますか? この旅が終わってどこかでゆっくりできるなら何がしたいですか?」


「ヒッテは……」


 彼女は、確かな決意の瞳をもってして立ち上がり、そしてそのまま後ろを向いた。


「ヒッテは、なにがなんでも生き延びたいです! 生き延びて、ご主人様の……グリムナの、お嫁さんになりたいです!! これが! ヒッテの覚悟です!!」


 じょぼぼぼぼ……


 突然のプロポーズ。そして、それが終わるとともに彼女の股間からも聖水が放たれた。みるみるうちに蛇の皮が膨らんでいく。この覚悟、必要だろうか。


 予期していなかった少女のプロポーズを目の当たりにして、ベアリスは思わず赤面して両手を頬にあてながら呟いた。


「素敵……」


いや、最低である。


 おそらく生物史上最低の求婚であった。しかし、いくら最低でも、プロポーズをされた以上、答えねばならない。ヒッテが一連の動作を終えて、衣服を治してからグリムナの方に向き直ると、今度はベアリスもグリムナに対して期待の目を寄せる。それは好奇の目であり、恋に恋する乙女の目でもある。


「グリムナさん、女の子からプロポーズさせるなんて、男失格ですよ……女の子にこんな恥ずかしい思いをさせておいて、まさか答えないつもりじゃないですよね?」


 ベアリスがそう言ってグリムナに答えをせっつくが、おそらくは『恥ずかしい思い』の8割以上はプロポーズとは全然関係ないものである。


 グリムナも覚悟を決め、すっくと立ちあがりヒッテに背を向けた。股の間から、ぶらん、と蛇の皮が垂れ下がる。


「ヒッテ、これが俺の答えだ」


 その言葉とともにじょぼぼぼ……とやはり水音が聞こえ、蛇の皮が膨らんでいく。どういう答えだ。


「ヒッテ……ここまでついてきてくれて、本当にありがとう……勇者のパーティーを追放されて、途方に暮れていた時……お前に声をかけてもらって、俺は本当に、あの時救われた気持ちになったんだ」


 小便をしながらする話だろうか。


「その後も、いつもお前に助けてもらってばかりで……俺は、お前に何も返せてない……ここまで来られたのはお前のおかげ……ぅ……」


 グリムナはぶるる、と身震いした。どうやら終わったようだ。


「こんな俺でよかったら……これからも、ついてきてくれるか……?」


 そう言いながら、グリムナが振り向いて手を伸ばすと、ヒッテがその手を取った。汚い。



「なんなんじゃこの儀式」

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