第271話 貴重なタンパク源です
「あ、トットヤークさん、でしたっけ……? 何か御用ですか?」
「あ? ……あ、いやぁ……」
思わずトットヤークは言い淀む。
あまりにも普通に話しかけてきたからだ。
ベアリスの様子がおかしいと聞いて牢屋に直行した革命派の指導者トットヤーク将軍。そこで待っていたのは腐乱し、ハエがたかっているネズミの死骸をついばむように手でつまんで口に頬張っているベアリスの姿であった。
こいつぁやべぇ、間違いなく
……のだが。こちらに気付いたベアリスはついばむ手を止めて、何事もなかったかのように振り向き、初めて会った時と同じような朗らかな少女の顔で答えたのだ。受け答えもはっきりしている。脳の腐ったグールとは違う。
「とととと、トットヤーク同志、ぎぎぎ、擬態、です……」
スーモがトットヤークの陰に隠れながらいつも以上にどもった口調でそう言う。吃音だけでなく言葉も少ない。しかし付き合いの長いトットヤークは彼女の言っていることはなんとなくわかった。つまり普通の人間に見せるために演技をしている、と、そう言いたいのだろう。
正直言ってトットヤークもそう思った。何よりついばむ手は止めているものの彼女の指にはうねうねと動くウジ虫がつままれていた。まさかそれを食っていたのだろうか。トットヤークは胃の奥から何かがこみあげてくるような感覚を必死で抑え、何とかこらえた。彼は革命派のリーダー。ここで無様な姿を見せるわけにはいかない。
対して本来ならばトットヤークを守るべきであるスーモは彼の身体を盾にするように隠れ、怯えている。ラーラマリアと戦った時は勇敢な姿を見せたものの、どうやら彼女はこういったオカルト関係には弱いようだ。逆にトットヤークは隠れているスーモの手を上から重ねるように握る。
幼馴染でもある彼女の肌に触れていると、なんとなくだが勇気が湧いてくるような気がして、彼は毅然とした態度でベアリスに話しかけた。
「一体、何してんだ、お前は」
「何って……食事、ですけど?」
食事……やはり、あの仕草はネズミの腐肉を食べていたのか、と、トットヤークの顔面が蒼白になる。スーモはもう涙目である。その二人の恐怖の表情に気付いたのか、ベアリスは慌ててつまんでいたウジ虫を投げ捨てて彼らの方に向き直った。
「あ、別に腐ったネズミの内臓を食べてたわけじゃないですよ?」
(内臓だったのか……)
異様な空気を和らげようとベアリスは努めて朗らかな笑顔を見せるものの、しかしトットヤークたちは一言言葉を交わすたびにどんどんその顔から生気が失われていく。
「ど、同志……こいつ、いくら俺が言っても、ネズミの腑を撒くのをやめなくて、おかげで牢は酷い匂いになるし……」
「だって! それは、いくらお願いしてもお肉とか魚を出してくれないから、仕方なかったんですよ!」
少し頬を膨らませるような不満げな表情でベアリスは牢番に反論した。
「ややや、やっぱり、ねね、ネズミの死体を食べてたんですよ……」
「だから違いますって! 私が食べてたのはこれです!」
そう言ってベアリスは先ほど投げ捨てた、白くてうねうねと動いているコメ粒ほどのウジ虫を拾い上げてトットヤークの方に見せた。
「う……ウジ虫を……?」
トットヤークはもはや恐怖から全身の毛が逆立っていたのだが、しかしベアリスは何でもないことのように答える。
「そうですよ。そのためにネズミの内臓を撒いて、ハエを呼び込んで、産卵をさせてたんです。結構クリーミーでおいしいですよ。おひとつどうぞ」
ぴっ、と、ベアリスは指ではじいて『それ』をトットヤークの方に投げた。
「ひいぃやあぁ!!」
トットヤークは思わず女の様な悲鳴を上げてそれから逃げようと、後ずさりしながら尻もちをついてしまった。スーモも涙目で逃げようとするがどうやら腰が抜けてしまったようで動くことができない。
「あ、あれ?」
牢番も恐怖で青ざめた表情をしている。ベアリスだけがなぜみながそんな大騒ぎをしているのかを理解できないようで疑問符を浮かべていた。
(お、おかしいな……せっかく来てくれたんだから友好関係を結んで、待遇改善をしてもらおうと思ってたのに……何か間違ってたかな……)
この女に最も足りないもの、それは『常識』である。
まあ、王族として生まれて贅沢三昧の生活から、突然何もかも失ってホームレスにまで落ちぶれたのだから仕方ないのかもしれないのだが、この女の生活水準というものは基本的にゼロか100かしかなく、中間というものがないのだ。
庶民の生活というものが分からないのだ。王侯貴族でなければもしくは野生動物の生活しか分からないのである。
トットヤークは牢番の視線に気づいて慌てて立ち上がる。
獅子のたてがみの様な髪の毛に髭、そして大柄な体に厳めしい顔。実際に戦闘ではスーモの方が強いのではあるが、彼はその雰囲気と勢いだけで大物感を醸し出してリーダーをやっているところがあったのだ。それがこんな情けない姿を見せてしまうのは正直言って命取りにもなりかねない。
「ああ~、大丈夫? ですか? すいません、良かれと思ってやったんですが……びっくりさせちゃったみたいで……えへへ」
何とか照れ笑いでごまかそうとするベアリスであるが、しかし部下たちの前で威厳を示さなければならないトットヤークからすれば、この笑みは場の空気を和ませるどころか追い詰められるものであった。
「黙れ! この化け物め!!」
まさしく獅子の咆哮の如きトットヤークの怒声。ベアリスも周りの者もビクッと体をこわばらせる。トットヤークからすればもはやここは強く出ねば示しがつかないのだ。ベアリスの柔らかい態度は虎の尾ならぬ獅子の尾を踏んでしまう結果となった。
トットヤークは振り返り、スーモが腰に差している剣を抜こうとしたが、ガシッ、とスーモが彼の手首を掴んでそれを止めた。
「離せ、スーモ! 剣を貸せ!」
「や、ヤです! わた、わたしの剣で切る気でしょう!」
「当り前だろう! こんな化け物ここで始末してくれるわ!!」
「絶対ヤです! きき、気持ち悪い! こんな化け物を切った剣、もう使えない!!」
「えと……もしかして化け物って、私の事……です?」
何やらもめているトットヤークとスーモを横目に、ベアリスは複雑な表情である。それもそうだ。切られるのは当然嫌だが化け物扱いも嫌である。そりゃそうだ。花も恥じらう17歳の乙女が
「かかか、考え直してください、トットヤーク同志、こんな不死の化け物、ぐぐ、グールなんて殺したらきっと祟られます。そっと……そっとしておきましょう!」
「そっとしておくって……こんな化け物が同じ城内にいるなんてそれこそ耐えられんぞ! 臭いし!」
「うう……」
ベアリスはもはや泣きそうな表情である。しかし仕方ない。実際臭いんだから。
「ぜ、絶対よくないことが起こります。そもそもアンデッドを殺すなんて、で、できないですよ!」
「じゃあどうしろっていうんだ!!」
ちらりと、スーモはベアリスの方を見遣る。
「つ、追放しましょう!」
「またですか!?」
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