第372話 箱の中には
グリムナ達が家に帰り、日も落ちてきて、ニブルタにもらった簡単な食事をとっていると、しばらくしてベルドも戻って来た。
村では基本的に日が落ちたらその日の活動は終わりだ。話に聞く『歌の秘術』を使う一族であり、村に結界を張る様な魔術の発達した村なら魔法で明かりをつけるようなことも容易いかとも思われたのだが、この何もない村ではそこまでして夜に活動しても得られるものが少ないからだろうか。
グリムナがベルドに声をかけると、彼は口数少なく「まだ調べてる途中だ。何も分からん」とだけ答えて、ぱっと食事をとるとすぐに寝てしまった。まだ体力が回復していないからだろうか、疲れている様子であった。
「嘘つき村かぁ……」
「嘘つき村よ」
家の居間にあるテーブルでベルドを除くグリムナ一行が今日分かったことをまとめるために話し合っている。メルエルテはこの村自体が『嘘つきの集団』だと主張してやまない。
「あんた、あんだけおちょくられてなんとも思わないの?」
メルエルテはグリムナを咎めるような物言いをする。
「ニブルタだけじゃなくあんなメスガキまで一万年も昔のありもしない話をまるで見てきたかのように! あれが私達をおちょくってるんじゃなくて一体なんだっていうのよ!」
「ありもしないっていうのは、まだ分からないですし……」
ヒッテが庇うようにそう言うとメルエルテはキッと彼女を睨んだ。
「あんたはこの村にゆかりを感じて同情的なんでしょうけどね! あんな嘘つき共に振り回される私たちの身にもなってみなさいよ! この村にいる時間は丸ごと無駄な時間よ!」
メルエルテがそう言うのも分からないでもない。実際一万年も前の、神話ともいえるほどの昔の出来事を自分が体験してきたかのように村人たちは語るのだ。それも示し合わせたかのように同じ内容であった。
「『示し合わせたかのように』じゃなくて、示し合わせてんのよ! 手の込んだドッキリみたいなもんよ。村人の暇つぶしに付き合わされてんのがわかんないの?」
メルエルテはかなりご立腹である。
グリムナも一つ気になることがあった。
それは、彼らが『字を持たない』文化ということだ。
実際この大陸の他の土地でも文字の普及率が低かったために四百年前の『竜の惨禍』の事についてはあいまいな記録しか残っていないのだ。
それが文字というものを全く持たない彼らがここまで詳細な『記録』をもっており、その上各々の持つ記録に齟齬がないというのは明らかにおかしい。口伝だけでそこまで正確な記録を保持することなど、人間には不可能なのだ。
話し合いでは、結局何も分からないのと同じだ、という結論であった。
次の日も、次の日も、グリムナ達は村を歩き回って情報を集め続け、いや、情報の裏どりを続け、そしてベルドは単独で何やら調べ続けているようであった。
しかし得られる情報はやはり同じ。カラスのフローキと呼ばれる人物がこの大陸を見つけた。コルヴス・コラックスは大陸の人たちと混じっていったが、純潔の彼らだけはこの森に追いやられた。
誰から聞いても話の内容は同じ。幼い子供に聞いても、若い男に聞いても、真面目そうな老人に聞いても、情報の齟齬はない。それどころかより詳細な情報が増えていくばかりである。当然誰もが自分の経験のようにそれを話す。
その上、誰に聞いても「民族の歴史など知らない」と答える人間はいないのだ。誰一人知らない人間がいない。どんな小さい子供でも。それほどまでに広く
「ねえグリムナぁ、また今日も続けるのぉ?」
もううんざりだ、という表情でフィーが呟く。
「……ヒッテはどう思う?」
グリムナもさすがにこの状況に辟易としてきたのか、少し疲れた表情でヒッテに尋ねた。
「ヒッテは……あの人たちが嘘をついているとはとても思えないんです」
グリムナもそう思ってはいるのだが、さすがにこの状況を長く続けるのは限界だと思い始めていた。もう彼らの離すことは正しいと仮定して、次の情報を集める方が良いのではないか、そう思い始めていた時、いつもはもっと早い時間に家を出ていたベルドが話しかけてきた。
「グリムナ、悪いが今日は手伝ってくれないか? ちょっと一人じゃできないことがあってな」
そう言えばこの一週間ほど、ベルドが何を調べているのかは全くノータッチだった。彼の方では何か収穫があったのだろうか、と思っていると、ベルドはグリムナ達を連れて隣の家、ニブルタの住んでいる家に進んでいった。
家の中にはニブルタが待っていた。居間のテーブルの上には三つの小さい木箱が置いてある。
「ちょっと実験に付き合ってほしくてな……頼む、ニブルタ」
そう言うとニブルタは椅子を反転させ、テーブルに背を向けた。するとベルドは木箱のうちの一つに小石を入れ、ニブルタに「いいぞ」と声をかけた。
ニブルタは木箱のうちの一つを指さし、「これだ」と答えた。
それは、ベルドが小石を入れた箱であった。
「手品か何かか」とグリムナが思っていると、ベルドがグリムナにも同様に箱に石を入れるように促した。
同じような手順でニブルタが背を向け、グリムナが木箱のうちの一つに小石を入れると、ニブルタは迷うことなくどの箱に入れたかを言い当てた。何度やっても、グリムナの代わりにヒッテやフィーがやっても、ニブルタは一度も間違うことなくその箱を言い当てた。
「なにこれ? 手品かなんか?」
「いいや、手品なんかじゃない」
フィーの疑問にベルドが答える。
「共感力……洞察力の高さ? 魔力の気配は感じなかったわ」
傍で見ていたメルエルテが静かにそう言う。
20世紀初頭、ドイツに『クレバーハンス』と呼ばれる馬がいた。
ハンスは人の言葉を理解し、計算ができるのだという。
人間の出した簡単な計算に地面を足で蹴る回数で正確に答えるというのだ。1904年には高名な哲学者であるカール・シュトゥンプがこれを調査し「何のトリックもない」と結論付けた。
しかし実際にはハンスは人の言葉も分からないし、計算もできなかった。
要は、
メルエルテはそれを指摘したのだ。
そして当然、ベルドはそれに思い及んだからこそグリムナ達を呼んだ。
「悪いが、全員視線を外してくれ」
ベルドがそう言うと、ニブルタはこれまでと同じように後ろを向き、グリムナ達もそれぞれ背を向けた。後ろではコトン、と小石を箱に落とした音が聞こえた。
「もういいぞ、グリムナ、箱をシャッフルしてくれ」
そう言うと今度はベルドが背を向ける。それを確認してからグリムナが箱をシャッフルするとベルドがテーブルの方に向き直った。これで、この場にいる誰も、どの箱に小石が入っているかは分からない。
「たのむ、ニブルタ」
ベルドがそう言うと、ニブルタは箱の方に向いて、そして全く逡巡することなく、中央の箱の蓋に手を伸ばした。
「分かっているでしょう。そんな
ニブルタがゆっくりと箱のふたを持ち上げると、果たして、小石はその箱の中に確かにあった。
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