第366話 ようやくベルドの過去

 オクタストリウム共和国


 国土のほとんどが乾燥しており、その多くが低木と草しか生えないステップ地方や砂漠、また岩の多い荒れ地が占めている。痩せた、農作物の安定した収穫の見込めない土地では古くから大陸の南北を繋ぐ交易で栄えており、また、それを管理する人間……マフィアが幅をきかせる土壌を生み出していた。


 首都のボスフィンよりさらに南下すると少しずつ湿度が上がり、亜熱帯気候のようなむっとした森林地帯がぽつぽつみられるようになってくるが、そこはもう魔族の支配する土地、ウェンデントートに入る。


 リヴフェイダーから『コルッピクラーニオオガラスの 一族』の情報を得たグリムナ達はその国境付近の森を捜索している。


 リヴフェイダーから得たこの情報は、グリムナが遺跡で得た情報とも一致した。オリザを主食としているのはこの周辺の地域のはずである。


 その森の中を、鼻息荒いエルフの親子を先頭に進む。


「やってやる……やってやるわよ! エルフ魂ってもんを見せてやる……」

「その意気よ、フィー! 田舎者どもに目にもの見せてやりなさい。あんたはやればできる子なんだから!」


 その二人を横目で見てヒッテが「はぁ」とため息をつく。ダメそうである。後ろを振り向くと、少し離れてグリムナとベルドがついて来る。ヒッテは小走りでフィーとメルエルテを追いかけて声をかける。


「ちょっと待ってください、ベルドさん達が遅れてます」


 グリムナはヒッテの心遣いに感謝しながらベルドに声をかける。


「大丈夫か、ベルド……休憩を入れようか?」

「大丈夫だ。気にせず進んでくれ」


 かなり息が切れている。拷問の怪我は救出された時にすぐに治療したが、しかし落ちてしまった筋力は如何ともしがたい。


 以前はまるで小枝でも振るかのように自らの身の丈と変わらない大きさのバスタードソードを振っていたが、今はバスタードソードを杖に持ち替え、自分の身体を支えている。


 丸太の如くはちきれんばかりの筋肉をかろうじて皮膚で包み込んでいた、力強い手足はもはや今となっては見る影もない。


 グリムナはベルドの少し前を歩き、彼を気遣う様に振り向きながら話を続ける。


「コルヴス・コラックスが竜の存在とかかわりがありそうなのはそうだとしても、なぜお前はそんなにコルヴス・コラックスにこだわるんだ? 知り合いにコルヴス・コラックスがいるわけでもないだろう」


 しばらく荒い息を吐きながらついてくるのがやっとという感じで質問には答えなかったが、しかしベルドはぽつぽつと話し出した。



――――――――――――――――



 ベルドはターヤ王国の南部を治める貴族、コルコス家の三男として生まれた。


 子供のころから体が大きく、力が強いせいもあり、彼が癇癪を起すと親ですら止めるのが困難であり、次第に彼は増長し、たとえ血を分けた家族であろうと暴力で言うことを聞かせるような乱暴者に育っていった。


 そんな彼をただ一人たしなめ、止めることのできる人間が彼の妻、フロールであった。


 フロールはベルアメール教会の司祭プリーストの娘であった。彼女の父親は特筆すべき様なところもない凡庸な司祭ではあったが、彼女は司祭の娘であることに誇りを持っており、必要とされる以上にその正義感をいたるところで発揮していた。


 自分と正面から向き合ってくれる彼女に好意を抱いていたベルドは聖堂騎士団への入団が決まる際に彼女にプロポーズをし、そして数年後には彼女をローゼンロットに呼び、正式に夫婦めおととなった。


 成長して丸くなったのか、それともフロールの影響なのかは分からないが、騎士団に入ってからの彼は、以前に比べればいくらか品行方正であった。


 だが幸せな時間は長くは続かない。彼の妻、フロールは流行病にかかり床に臥せってしまったのだ。


 彼は後悔した。きっとこれは神の罰なのだと。散々傍若無人に振舞ってきた自分が何の罪の清算もせずに、過去の事をなかったかのように幸せになった自分への罰なのだと。


「なぜ神は、罰を与えるのなら妻ではなく俺に直接与えないのか」


 他人の痛みというものを解さず、理不尽に暴力を振っていた自分。自分が罰せられるのなら仕方がない。だがなぜ、正義感が強く、他人に優しい妻がこんな目に合わねばならないのか。


 神よ、罰を与えたいのならどうかこの俺だけに。


 彼の願いもむなしく、妻はこの世を去った。数か月の間、彼は茫然自失の状態であり、何も物事が手につかなかった。自分の体の一部とも思えるほどに愛していた妻を失い、悲しみに暮れていたのだ。


 だがしばらくして彼は、あることに気付いて一層絶望することとなる。



――――――――――――――――



「あれほどまでに愛していたのに、もしいなくなったら生きていくことなどできないと思っていたのに、その後も俺は何事もなかったかのように生き続け……飯を食い、クソをし、時には笑いさえした……」


 話を聞いて、『それは仕方ない事』、『人間ならば当然の事』ともグリムナは思ったが、口には出せなかった。


 なぜならば、思いを遂げられなかったばかりに、目の前で死を選んだ女性を、彼は知っているからだ。姿を消した彼女はいったい今どこにいるのだろうか。


 ベルドは話を続ける。


「俺には、自分の酷薄さが耐えられなかった。そして、自分は最初からそんな人間なんだと、そう思い込むために、聖堂騎士団にありながらも、暴虐の限りを尽くし身勝手に振舞った。そんなときにお前に出会ったんだ」


 グリムナはベルドと初めて出会った時の事を思い出す。悪意のかたまりのような存在。貞操の危機を感じたのはあれが生まれて初めてであった。

 二人は歩きながら話を続ける。


「しかし、それとコルヴス・コラックスが何の関係が?」


 ベルドは歩きながらもグリムナの顔をずっと見つめて話していたが、その話になると今度はまっすぐ前を見ながら話した。


「俺はどうしても知りたいことがある」


「知りたいこと?」


「俺は妻を愛し、妻も当然俺を愛していると思っていたが、本当に俺の気持ちは通じていたのか……それがどうしても知りたいんだ」


 ベルドは空を見上げて言葉を続ける。


「妻を失くしたら生きていけないと思ったが、それは間違っていた……神はこの世界に存在しなかった……ならばいったい何を信じて生きていけばいい? 俺はせめて、人を信じたい。人の心は分かりあえるのだと、通じ合えるのだと思いたい」


「人と、通じ合う……」


 グリムナがオウム返しに呟くと、今度はベルドは彼の方に向き直って、目を見て言った。


「そうだ。俺達が血を引き継いでいるというコルヴス・コラックス。その精神感応力というのがどういうもので、奴らがどういう人間なのか、それが知りたいんだ」


「凄いキモイこと言いだしたわね、このゴリラ」

「ホントキモイわ。急にいい人ぶりだしたわね。アヘ顔トコロテンおじさんのくせに」


 いつの間にか先頭から戻ってきていたメルエルテとフィーである。


「なんなの? わざわざ茶々入れるために戻ってきたの?」


 嫌悪感を示しながらグリムナがそう言うと、フィーが辺りを見回しながら答える。


「まあ、ちょっと……休憩しようかなぁ……って」


 目が泳いでいる。『もしや』と思いグリムナが口を開こうとしたところにヒッテが言葉を被せてきた。


「予想通り迷いました」

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