第108話 ヴァロークとネクロゴブリコン
「はぁ……楽しかったわねぇ……こないだの宴会は……」
アンキリキリウムに向かう山道を歩く中、フィーが懐かしむような口調でそう呟いた。冬の寒い時期も過ぎて山道もだんだんと温かくなってきている。フィーの言葉に合わせてヒッテも少し口角が緩む。あの後、相変わらずヒッテはいつもの仏頂面に戻ってしまったが、時折宴会やベアリスの話題になるとその表情が少しやわらぐような気がする。
「そうだな……また、なんか機会があったら宴会も悪くないな……」
グリムナが優しい表情になってヒッテの方を見ながらそう言った。
「いっつも思うけど、グリムナってヒッテちゃんと話す時、『お父さん目線』よね? 今まで構ってやれなかった分の埋め合わせ、みたいな……あなたの隠し子じゃないわよね?」
「あのなぁ……全然年齢が合わないだろうが」
とりとめもないことを呟くフィーにグリムナが突っ込みを入れる。ヒッテはそのことについては何も言わなかったが、しかしゆっくりと、思ったことを徒然と語りだした。
「本当に、すごく楽しかったです。……人生であんなに楽しかったのは多分初めてです。ベアリス様は……不思議な人ですね。……高貴な人っていうのは、ああいう風に浮世離れしてるものなんですか?」
「いや、あんな貴族は他には見たことが……」
そこまで答えてグリムナははた、と考え込み、言いなおす。
「いや、あんな人間は俺は他に会ったことはないな……」
そう言うと全員が噴き出して笑った。確かに規格外の破天荒な女であった。外見は美しい少女であるというのに、その落差がひどい。
「ヒッテは……この記憶を忘れたくないです……」
「ヒッテちゃんの魔法……使うと、大切な人の記憶がなくなっちゃうんだっけ?」
フィーがヒッテにそう尋ねる。以前にネクロゴブリコンの洞窟に行ったときに聞いた話、ヒッテが母親から受け継いだというコルヴス・コラックスの歌による秘術。死んだ人間を蘇らせることができる代償として、術者の最も大切な人の記憶を失くしてしまうという。
「どんな歌なのよ? ちょっと歌ってみてよ」
「滅多なこと言うなよお前……」
軽いノリでとんでもない事をさせようとするフィーをグリムナが咎める。まさか口に出すだけで術が発動するとはとても思えないが、誰も生き返らせたい人物がいないところで術を使って記憶を失くしでもしたらたまったものではない。
「今ヒッテちゃんが歌ったら誰のことを忘れんのかね? グリムナ? ベアリス? それとも私かな?」
フィーが意地悪そうな顔でにやにや笑って、ヒッテの顔を覗き込みながらそう言うが、彼女はその質問を無視して黙々と歩くだけであった。
「それともわし……」
「黙れじじい」
この流れならいける、とでも思ったのだろうか、調子コイたバッソーの問いかけは全員に同時にシャットダウンされた。
さて、ベアリスの住処を出発してから1週間ほども移動しただろうか、そろそろネクロゴブリコンのねぐらに到着するはずである。見つけづらい場所ではあるが、さすがにグリムナは三回目なので場所をはっきりと覚えていた。近くまで来るとすぐに彼の巣穴を見つけて全員を案内した。
「ホントに巣穴、って感じじゃのう……長生きしたゴブリンと聞いてはいたが……本当の事なのか……」
バッソーが警戒しながら巣穴の入り口をくぐる。やはり彼も長く生き、人の言葉を解すようになったゴブリンなど、初めて聞いたようである。
「師匠、師匠! いますか? グリムナです! 聞きたいことがあってきました!」
洞窟へ入るなりグリムナは叫んでネクロゴブリコンを呼んだ。途中世界樹に寄ったり野人に会っていたために間があいてしまったが、彼らはもともとカルケロが死の間際に残したのであろうダイイングメッセージに頼ってここを尋ねたのだ。
『ヴァロークが世界を滅ぼす ネクロゴブリコン』
炙り出しで隠されていた二つのメッセージ。一つはヴァロークの危険性を叫んでおり、もう一つは今回の件とネクロゴブリコンの関係性を想起させるものであった。以前にネクロゴブリコンを訪ねた時は『ヴァロークとは約定があり詳細は話せない』などと言っていたが、実のところこのメモを見ると、約定どころかネクロゴブリコンとヴァロークは何やら深い関係があった可能性が高い。
出所が怪しいとは言え、動かぬ証拠を見つけたのだ。グリムナはネクロゴブリコンを問い詰めるつもりである。もう引く気はないのだ。
「そう大きい声を出すな……声が響くじゃろう……」
しわがれた声で窘めながら暗闇の奥からネクロゴブリコンが姿を現した。バッソーは初めて見るその醜悪な姿に思わず眉間に皺を寄せる。年老いた生き物、という点ではバッソーもネクロゴブリコンもそう変わりはないが、もともとあまり見た目の芳しくないゴブリンに深いしわが刻まれるとやはり一層モンスターとしての恐ろしげな外見に磨きがかかるというものだ。
「ヴァロークの事でも聞きに来たか? ヤーンの事だろう?」
ネクロゴブリコンは椅子に座りながらそう言った。グリムナが例のダイイングメッセージを出すよりも早くだ。しかしこれでグリムナは確信した。やはりネクロゴブリコンとヴァロークは繋がりがあったのだ。だからこそグリムナ達とヴァロークが接触があったことも知っているのだし、それにヤーンが関係していることも知っているのだろう。
「単刀直入に聞きます。師匠はヴァロークと約定があるとか以前言っていましたが……そもそもヴァロークの一員ではないのですか?」
ネクロゴブリコンは答えず目を伏して俯くのみである。しかしこれこそが肯定の答えであることは想像に難くない。
「今更……誤魔化すこともできぬな……」
「そもそも……ヴァロークとは何なんですか?」
グリムナがそう聞くとネクロゴブリコンはしばらく黙っていたが、やがて諦めたのか……いや、覚悟して話を始めた。
「元々は……この大陸に初めて竜が現れた時に結成されたものだと聞く。初めは竜に対抗する術を探すための組織であった。だが、やがて竜の真実を知るとともにその実態は変容していき、やがて、竜の出現をコントロールし、人類への被害を最小限にすることを狙いとするようになっていった……」
「竜の真実……それは?」
聞き逃せない言葉であった。ヴァロークは……いやネクロゴブリコンは竜の正体を知っていると言うのだ。グリムナはそこに焦点を当ててネクロゴブリコンに問いかけた。
「特段目新しい情報ではないが……竜は一般に言われておるように人の世が乱れると出現する。……竜は人々の精神の状態に感応して現れたり消えたりしておるのじゃ……即ち、人々が絶望し世界の崩壊を願えば竜が現れ、『生きたい』と切に願えば消える……そういうものじゃ」
「竜は、人が望むから現れると……?」
「そういうことになるな……」
ネクロゴブリコンは事も無げにそう答えるが、それではまるで人が、人を滅ぼすことを望んでいる、という意味にも取れかねない。衝撃の事実にグリムナが考え込んでいると、バッソーが後ろから口を開いた。
「しかしそれでは竜という生き物は人類の精神に感応して生まれ……いや、姿を現している、ということかのう? すると、ヤーンが巻き込まれた……いやヴァロークに取り込まれたのは精神巻能力を持っているコルヴス・コラックスの力を当て込んで協力させられたということじゃろうか?」
ネクロゴブリコンはこのバッソーの問いかけにこくり、と頷く。すると、グリムナが何かに気づいたようにハッとした表情になってさらにネクロゴブリコンに問いかけた。
「ではもしや……ヒッテにしつこく絡んできたのは、彼女がコルヴス・コラックスの血を引くから……? ヒッテを使って、竜を制御しようと……?」
ネクロゴブリコンは椅子に座ったままふぅ、とため息をついてこの問いかけに答えた。
「おそらくはそうじゃな。しかし、『制御』とは少し違う。おそらくは彼女にストレスを与えることで、竜を早く目覚めさせようとしておるのじゃろう……」
ヴァロークは竜から人を守るために活動しているのではないのか、確かにネクロゴブリコンの最初の説明ではそう捉えることができると思ったのだが、グリムナは今の話を聞いていて訳が分からなくなってしまった。
「いまいちヴァロークの目的が分かりません……そもそも師匠は、ヴァロークの中でどういう立ち位置なんですか……?」
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