第98話 ボロい商売

 パァン、と明け方の森の中、平手打ちの音が響いた。フィーの母親、メルエルテが彼女の仕事、『世界樹の守人』を「あんな楽な仕事」と揶揄したことに腹を立ててフィーの頬をぶったのだ。


 しばしの沈黙の後、フィーがゆっくりと、しかし怒気をはらんだ声で口を開いた。


「……殴ったね……親にもぶたれたこと無いのに!!」


 今まさにぶたれただろうが、酔っぱらってるのかこのおっぱいは。


 グリムナは一部始終を見ていて眉間に皺を寄せてはいるが、しかし何も言えないでいた。もちろん思わず暴力に走ってしまったメルエルテを非難したい気持ちはある。


 しかし自らの仕事に誇りを持っているであろう、世界樹の守人であるメルエルテが我が子に「仕事を継いでもらいたい」といっているのに「あんな楽な仕事誰でもできる」などと発言するフィーはいくら何でも暴言が過ぎる。

 この世界では子が親の仕事を継ぐのは『当たり前』のことである。それが『世界樹を守る』などという大切なものであるならば尚更だ。それをただ拒否するだけでなく卑下するようなことまで言ったのだ。怒りを抑えられぬのも致し方あるまい。


「口を慎みなさい……」


 怒りを抑え、静かな口調でメルエルテがそう言った。


「里の奴らに聞かれたらどうするのよ……」


 グリムナが「ん?」と片眉を上げる。何か様子がおかしいような気がしたのだ。


「毎日毎日異変なんか起こるはずもない世界樹の様子記録してるだけで里のみんなに生活の面倒見てもらえるのよ! あんなボロい商売ないわよ!!」


 この女、世界樹の守人を『ボロい商売』とぬかしおった。


「いい? あんな楽な仕事してるだけで一生食いっぱぐれること無いのよ!? 世界樹の守人がクソ楽な仕事だって里の奴らにばれたらどうするつもりなのよあんた!?」


 聞きとうない


 聞きとうなかった


 グリムナは苦虫を噛み潰したような表情になってしまっていた。

 いまいちその実体はよく分からないものの、この大陸のどこかにあるという世界を支える巨大な木、世界樹。それを守っているというエルフがこんな俗っぽい奴らだったとは。


 ロマンぶち壊しである。


「そもそも世界樹ってどういうもので、何から守っているんですか?」


 ヒッテが聞きづらいことをメルエルテに聞いてくれた。こういうとき子供はお得である。


「よくぞ聞いてくれたわね!」


 にわかにメルエルテの表情が明るくなった。やはり自分の仕事に誇りを感じていることだけは確かのようだ。


「この世界の始まりと共にあったという、この世界と天界を支える木、世界樹。その歴史は古く、一説によれば、かの初代ピアレスト国王、アンカレフも参拝に来てから初代国王に即位したと伝えられているわ」


 にわかに観光ガイドのようなことを言い出すメルエルテ。しかしツッコミ欲をぐっと押さえてグリムナは大人しく話を聞き続ける。


「そして、一説によれば、この世界樹が枯れるとき、世界が滅びるとも……」


 少し怖がらせるような声色と表情を作って言うが、全員白け顔である。正直言って説明のし甲斐のない客だ。しかし、それはさておきさっきから「一説によると」が多い気がする。この女、本当に世界樹に詳しいのだろうか。


「で、世界樹に異変がないか見張っているのがうちらの一族『世界樹の守人』ってわけよ。この一族に生まれたってだけで一生安泰だっつーのに、この子ときたら仕事を覚えるでもなく毎日毎日ぐーたらと……」


「い、いや、私だってただ家出して外でだらだらしてたわけじゃないのよ! 何とか物書きとして自活できるくらいの収入は得られるようになってきたし……それにほら、理想の男をついに見つけたのよ!」


 フィーがいいわけをするように取り繕いながらそう言って、グリムナの腕を引っ張った。これには少しメルエルテの表情が明るくなった。


「あらなに? さっきはあんなこと言ってたのに……なんだなんだ、二人は結局いい仲なのね!」


 ……明るくなったのだが、当然空気の読めないフィーである。色よい返事などするはずもない。


「遂に理想のホモに出会えたのよ!!」

「ホモじゃダメでしょーが!!」

「ホモじゃねーわ!!」


 グリムナと母の二人に同時に突っ込まれてさすがのフィーも恐縮していたようだが、ここで助け舟を出したのは、なんと賢者バッソーであった。


「まあまあお母さん、そう頭ごなしに怒らんでも」


 いきなり入ってきて何だこの爺は、という表情をメルエルテはしたが、一応バッソーの言葉に耳を傾けてはいるようだ。


「グリムナだけが男ではありませんぞ。どうかな……? 幸いワシも独り身、ここはこのバッソーを婿に迎えてはいかがですかな?」

「ふざけんな!」


 満面の笑みで話しかけたバッソーの足をメルエルテがローキックで掬って転ばせた。


「なんであんたみたいな両足を棺桶に突っ込んだような干物じじいに娘をやんなきゃなんないのよ! てめーの劣化した精子で奇形児でも生まれたら責任取れんのか!!」


 転んだバッソーに対してストンピングの雨あられである。さらにこれにフィーも加勢する。


「あんた神殿遺跡で私に『チェンジで』とか言ってたくせによくそういうこと言えるわね!!」


 やはり神殿での大喜利大会でのことを根に持っていたようだ。フィーもストンピングに加わる。親子の共同作業である。


 はぁはぁと荒い息を吐き、二人のストンピングもようやく終わった。バッソーは大いに蹴られてぼろぼろの状態であるが、なぜか勃起している。グリムナだけがそのことに気付いていたが、より話が複雑になりそうなので触れなかったし、彼の怪我も回復させなかった。


「あなたたち、世界樹を舐めてるでしょう……世界樹の守り人という仕事を舐めてるからそんなふざけた態度をとるんじゃないの……っ!!」


 先ほど自分で『ボロい商売』などと言っていたような気がするが。


「こりゃもうアレね、一回世界樹見た方がいいわね……」


 爪を噛みながらメルエルテがそうボソッと呟いた。正直言ってグリムナ達は世界樹には興味がない。興味はないのだが、ここでメルエルテの機嫌を損ねるわけにもいかないのだ。


「そうね、そうしましょ。アレ見たら、ホントあんたら……チビるわよ……!」


 どうやらメルエルテは世界樹に随分と自信があるようだ。グリムナ達に「ついてこい」と言って颯爽と歩き出した。どうやら世界樹の方に案内してくれるようなのでグリムナ達は大人しくついて行った。


 元々エルフの里が目的だったので案内してくれるのは渡りに船なのだが、グリムナはどうにも気が重い。正直言ってフィーの母親と言うこともあり、気分屋なのだろう、とは思っていたのだが、あまりにも自由の過ぎる彼女の言動に辟易としていた。


 もう一つ懸念していることがある。


 ヒッテはちらちらと森の上の方、木々の上空をそれとなく眺めていた。


 世界を支えると言われている世界樹……伝説の通りならば規格外の巨大な樹木のはずである。エルフの里はそう遠くないはずなのだが、世界樹がまだ見えないのだ。これは、「余りにも大きすぎて気づけない」か、もしくは「いうほど大きくない」かのどちらかだ。


 もし後者だった場合、彼女が期待してるようなリアクションを返せるかどうか、それがヒッテは不安だったのだ。


(なんていう大きさ……これが世界樹……)


 誰にも聞こえないような小さい声でヒッテがそう言い、少し首を傾げる。


(これが世界樹……まるで神の住処のよう……)


 また小さい声で呟いて、首を傾げる。


 リアクションの練習である。こうやってイメージトレーニングを入念にしておけば、いざというときにも対応できよう、という心構えなのだ。


 暫く歩いているとやがてエルフの里に入った。まだ朝の早い時間であったが、すでに里のエルフ達が何人か起きて、朝飯の支度なのか、水を汲んだりしている。グリムナ達は彼らに軽く会釈をしながらメルエルテに連れられて歩く。

 ヒッテは極力上を見ないように自分の足元だけを見て歩いていた。


 少し里を外れたところまで来ただろうか、最初にグリムナ達が野営していた場所から2時間弱ほど歩いて、ようやく目当ての場所まできたようでメルエルテの歩みが止まった。


「ようやく着いたわ。さあ、これが世界樹よ。その神々しさに驚愕するといいわ!」


 自信満々な口調でメルエルテが話した。

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