第213話 菊の花は月夜に咲く

「なん……だと……?」


 全員が戦慄した。


「聞こえませんでしたか? この汚水を、お尻の穴から飲んでもらいます!」


 グリムナは一瞬前に手を伸ばして逃げ出すために体勢を整えようとしたのだが、脱水症状で自由の利かない身、あっという間に待ち構えていたバッソーに抑え込まれてしまった。ヒッテもベアリスのこの動きを傍観している。確かに、彼女もグリムナを助けるのならそれしかないと思ったのだ。


 そして、ベアリスが水筒を出し渋った理由も理解した。


 確かにこの汚水を経口摂取すれば腹を下すのは自明の理である。そうすれば下痢を引き起こされ、ますます水分を失い、死を早めるだけになることはヒッテにも分かる。そこで、汚水を大腸に入れることで、そこから水分を取ろうというのだ。確かにこれならば下痢が引き起こされることはない。最悪の場合でもケツから入れた水がまたケツから出るだけである。


 そして、確かにそれを敢行することが戸惑われるのも分かる。グリムナの了承を得ずにこれを実行に移すことが大変な人権侵害であることも分かる。


 しかしそれでも


 それでもだ


「ベアリス様……ガツンとやっちゃってください!!」


 ヒッテがビッとサムズアップした。


 『生きる』事は全てに優先する事項なのだ。


 ましてや、ヒッテには夢がある。


 必ずこの地獄の如き砂漠を生きて抜け出て、平和な世界でグリムナと共に生き延びたい。


 その夢の前にはグリムナのケツの穴の尊厳など大事の前の小事。必ずや、グリムナと、生きてこの砂漠を出るのだ、という強いケツ意が感じられた。


「ちょ、ちょっと……マジで……やめれて……ほんとうに……」


「グリムナさん、ろれつが回ってませんよ。ここにいるのは私達だけです。今更恥ずかしがるような間柄じゃないじゃないですか。命を守る行動をとるんです!」


 ベアリスがグリムナのアナルに向かって話しかける。せめて目を見て話してやってはくれないだろうか。


「大丈夫じゃ、ベアリス様。グリムナが大衆の面前でケツの穴をさらすのは別に初めてのことじゃない。もう慣れたもんじゃ! ズブッといってくれ!」


 グリムナを押さえつけながらバッソーもベアリスを後押しする。しかし、口髭の間から見え隠れする口角が若干上がっているような気がするが、気のせいだろうか。


「え? グリムナさん普段そんなことしてるんですか? それはいったいどういうプレイなんですか」


「前に色々あってのう、裁判所でホモにケツの穴をいじられたことが……」


「バッソーさん、今その話はどうでもいいです。あと別に普段からそんなことしてるわけじゃないです。その時はたまたまそうなっただけです」


 たまたま裁判所でケツの穴を丸出しにしてホモにそれをいじられるようなこともなかなかない事態だとは思うが、しかし盛り上がっているベアリスとバッソーをヒッテが制した。今はそんなことはどうでもいいのだ。重要なのはグリムナの命を助けることである。しかし、ベアリスは少し考え込み、自分の体と、ヒッテとバッソーの方を少し見てからグリムナにゆっくりと話しかける。


「そんなに嫌なら、別の方法も考えますが……どうします?」


「……他の方法があるなら、ぜひ検討を……」


 グリムナが力なくそう答えると、ケツを突き出したままのグリムナ放置してベアリスはヒッテとバッソーを呼び、少し離れたところで話し合いを始めた。


「……どうです……?」

「ヒッテは……今は無理ですね」

「ワシは、頑張ればなんとかなるかも……」


 何の話をしているのか、断片的に聞こえる言葉を聞きながら不安になるグリムナであったが、話し合いが終わったようで再び三人がグリムナのアナルの周りに集まってきた。


「ヒッテさんは出ないようですが、私とバッソーさんは、頑張ればなんとか水分を搾り出せるかもしれません。それを飲む方向で行きますか?」


「アナルの方でお願いします……」


 脱水症状が進むと尿も出なくなる。グリムナが自身の尿を出すことはできないが、バッソーとベアリスなら何とかなりそうだ、という話し合いだったようだ。

 当然グリムナはじじいの搾りたてほやほや黄金水は飲みたくない。ほやほやでなくとも飲みたくない。


 そして、ベアリス。


 王女の、そしてターヤ王国の次期女王の黄金水を飲むというのも恐れ多い話である。というかグリムナの本心で言えば誰の尿も飲みたくなどないのだが。

 しかし、次期女王ともいえる貴人がそこまで自分の体を張って救命阿じゅーみんあ行動をとる、という覚悟を見せてくれたのだ。もはやグリムナとて我儘を言えるような状況ではないということが彼にもはっきりわかり、そして覚悟を決めた。


 彼は自分のアナルの持つ、無限の可能性に賭けてみることにした。


「では、行きますよ!!」


 ズブリ


 グリムナが思わず「ううっ」とくぐもった声を上げる。前に逃げようとするが、しかし彼の前方に陣取っているバッソーがそれを許さない。


「グリムナさん……アナルの力を抜いてください……初心うぶなおぼこじゃあるまいし、今更逃げようったってそうはいきませんよ!」


 ベアリスが若干笑顔を見せたことにヒッテは恐怖を覚えた。そういえば、アンキリキリウムの町であったときにこの女はグリムナが初恋の相手だと言っていたような……そんなことを思い出していた。


「ほらほら、逃げようとすればそれだけ苦しむだけですよ。力を抜いて、おとなしくしなさい! 天井のシミを数えているうちに終わりますから。うふふふ……」


 シミどころか天井もないが、ともかくベアリスは異様な笑い声をあげながらケツの穴に水筒の飲み口をねじ込もうとする。


ああ、なんということなのか。これが乙女心なのか。彼女は今、恨みを晴らしているのかもしれない。初恋に破れ、いとしい人と添い遂げられず、そのかつてのいとしい人と、別の女が結ばれる様を目の前で見せつけられた。


 ならば、この御無体も仕方あるまい。姫は愛しい人への思いを断ち切るため、明日からは笑って二人を送り出せるようにするため、気持ちを清算するために。

 その想いの全てを、ケツの穴に。


 もしくは、ただ面白がっているだけにも見える。





──私たちは神の子 この腐敗した世界に 落とされた


──地は苦しみで満ち 男共は争う こんなもののために 生まれてきたんじゃない




「ヒッテ……」


「はい?」


「なぜ歌を……?」


 涙を流しながらグリムナが問いかける。ヒッテは、グリムナの左手を両手で握りながら、励ますように歌っていた。


「気が……紛れるかと思って……」


「……そう……」


「やめた方がいいですか?」


「……続けて……」




──月が照らす丘に 白い花と 骸が見える


──神はこの世界におられるのか


──暗闇に手が差し伸べられても 私には触れない


──神はこの世界におられるのか


──神はこの世界におられるのか



 凄まじい異物感であった。その上に水が体内に入ってくることも感じられた。


 とにかく、給水が終わり、ぽんっと水筒の口がグリムナのブラックホールから抜き取られると、グリムナは力なく前のめりに、うつ伏せになって倒れた。


「うう……なぜ俺ばかり……こんな目に……」


「ちゃんと水分とらないからです」


 ヒッテの真っ当すぎるツッコミに、グリムナは返す言葉もない。


「よしっ!」


 満足そうにベアリスは水筒の蓋を閉じてから、さらに言葉を続けた。


「三十分くらい経ったら、またやりましょう!」


「おわりじゃないんですかぁ!?」


「当然ですよ。水分補給の基本は『こまめに』、『少しずつ』。常識でしょう? 三十分おきに回復するまで続けますからね」


 ベアリスの言葉に、グリムナは目の前が真っ暗になった。たった一回でもこれだけの辱めを受けたのだ。これがあと何回もつづくのか、と。しかし実際には何度もやるうちに感覚がマヒして慣れてきてしまうのかもしれないが。しかしそれはそれで問題がある気がする。

 グリムナが絶望に打ちひしがれていると、彼を押さえるのをすでにやめていたバッソーが一歩前に出て、おずおずと声を上げた。


「あのぅ……一つ、思いついたんじゃが……」


「なんですか? バッソーさん?」


 ベアリスに促されてバッソーが話を始める。


「一つ思ったんじゃが、汚水でも、尿でも、水分がそこにあるんなら、多分ワシの水魔法で水分だけを抽出して集めることができると思うんじゃが……」


「…………」


「…………」


 骨折り損のくたびれ儲けとは、こういうことを言うのである。

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