第262話 アッハイ
「はぇ?」
グリムナは思わず間抜けな声で聞き返す。
それに対しラーラマリアはもじもじして、人差し指でくるくると毛先を弄びながら、少し言いづらそうにもう一度言葉を繰り返す。顔が赤く見えるのは町に放たれた炎だけのせいではあるまい。
「だからぁ……竜の事なんかよりさあ……聞きたいことがあるのよねぇ……」
(竜の事なんかより……?)
状況が把握できずグリムナは空を見上げる。
(うん。やっぱりまだいる。竜はまだいるよな)
当然である。あれだけの存在がそう簡単に現れたり消えたりしてなるものか。グリムナはラーラマリアの方に視線を戻す。この女は何を言っているのか。常識はずれな女だという事は重々承知の上、しかしいくら何でも今の発言は意味が分からない。目の前に現れた竜以上に重要なことなどこの世にあるのか。グリムナはまた空を見上げる。
(はぇ~、すっごいでっかい……)
そう。すごいでっかい。
そんなすごくでっかくて、すごくこわい竜を前にしてそれよりも重要な話とは一体。竜を二度見した後グリムナはラーラマリアに再び視線を戻す。
「そのぉ……グリムナ、私を助けにここに来たって聞いたけど……?」
その通りだが。
その通りだが目の前のでっかい竜よりもそれが大事なことなのか。
イヤもちろん個人の事は重要であるとは分かるのだが、しかしあの竜がここへたどり着いてしまえば全員生きては帰れまい。今考えるのはあの竜から逃げるのか、それとも手の内にあるエメラルドソードを使って竜を倒すことなのだと思うが、と考えてグリムナは再度視線を竜の方に向ける。三度見である。
竜の顔は少しずつ朝日に照らされてその姿をあらわにし始めている。竜は蜘蛛のように八つの目を持っており片側の顔に四つずつ、だが蜘蛛と違って一直線に並んでいる。あの一つ一つの目がどれほどの距離離れているのか、遠すぎて大きすぎて全くスケール感が分からない。
グリムナは再びラーラマリアに視線を戻す。そしてやっぱりもう一度竜の方を見る。四度見である。いくら何でも見すぎであるが、しかし逆に彼はラーラマリアはあれを見ても何とも思わないのだろうか、と不安になり始めた。
「ええっと、ラーラマリアさん? 今どういう状況か分かってます?」
グリムナが天を指さしながらそう言うとラーラマリアも竜の方をちらりと見てからすぐにグリムナに視線を戻した。
「あなたこそ分かってるの? 質問してるのは私なんだけど?」
自信満々に言われると、グリムナはだんだん自分の方が悪いような気がしてきた。
(え、質問……何聞かれたっけ? ……たしか、ラーラマリアを助けに来たのか、って聞かれたんだっけ?)
「あ、ああ……そうなんだよ。その……ラーラマリアを。あのね? メザンザとつるんでよくないことになってるみたいだから……助けに来て、みんなのもとに帰ろうよ、って……」
言いながらグリムナは不安そうにまた竜の方をちらりと見る。五度見である。
「ちゃんと私の目を見て話して!」
「アッ、ハイ」
「グリムナ……人間っていうのはね、みんな『誰かの特別』になりたい、ってそう思ってるの……」
「アッ、ハイ。そうだと思います」
正直グリムナはラーラマリアの話を聞きながらも目線だけでチラチラと竜の方を見てしまう。ラーラマリアは怖いのだが、しかしそれ以上に当然ながら竜も怖い。というかなぜこの女は平気なのだ。どこかおかしいんじゃないだろうか。
しかしグリムナのそんな思いとは裏腹にラーラマリアは話を続ける。
「私は……ずっと、グリムナの特別になりたい、って。……ずっとそれだけを考えてたの。ねぇ、グリムナ」
「アッ、ハイ」
もはや竜の方に気を取られて気のない返事をするだけのマシンと化してしまったグリムナにラーラマリアは近づいて、その瞳を覗き込むように話しかける。周りでは怒号に悲鳴、半狂乱で竜から逃げようとする市民が炎の中を走っている。
「グリムナは、私の事好き?」
それは、核心を突く質問であった。グリムナは思わず答えに言い淀み、固唾をのみ込んでしまう。これはおそらく、決して答えを間違えてはいけない問いかけなのだ。それは狂気を孕んだラーラマリアの瞳を見ていれば分かる。しかし嘘をついたところで彼女には見抜かれそうな気もする。
グリムナにとって、もはや『一番大事な女性』というのはヒッテなのだが、だが幼馴染のラーラマリアも彼にとって『大事な人』の一人であることに変わりはない。意を決してグリムナは答える。
「……ああ。もちろんだ」
ラーラマリアは何も言わず、ただじっとグリムナの目を見る。後ろに手を組んで小首をかしげるような姿勢は少女のものだが身長が170センチを超える彼女がやると妙な迫力があるし、グリムナは彼女が恐ろしく強い事も知っている。何しろ聖剣を持っているとはいえ、あのメザンザを圧倒したのだから。
グリムナは死刑執行を待つ受刑者のような気持で彼女の返答を待つ。
ラーラマリアはくるりと背を向けてゆっくりと歩きだした。グリムナから少し距離をとってとぼとぼと辺りを歩き回りながら話し始める。
「まあいいわ。グリムナの言葉を信じるけど、私の事好きって、それは幼馴染だから? 私が幼馴染じゃなかったら、嫌い?」
グリムナは答えに窮してしまう。
彼は自分自身に問いかける。もし彼女が幼馴染みではなかったなら、ここまでめんどくさい性格の女に構うことなどあったであろうか。例えば、他のめんどくさい女、イェヴァンやアムネスティが同じような状況だったとして、同じように自分の危険まで省みずに助けに来ただろうか。
しかしその問いかけは同時に『幼馴染みだから助けに来た』ことであるのと同じように『ラーラマリアだから助けに来た』ことでもある。それでも彼女は不満なのだろうか、と彼は考える。
グリムナが答える前にラーラマリアがさらに質問する。
「私がもし幼馴染みじゃなかったら、私の事嫌いになる? 勇者じゃなかったら嫌いになる?」
彼女は自分のたわわに実った胸を両手で支えるようにしながらさらにグリムナに尋ねる。
「もし私のおっぱいが小さかったら私の事嫌いになる? 金髪じゃなかったら、嫌いになる?」
そんなはずはない。自分はラーラマリアを『条件付き』で大切に思っているのではない、そう思ってグリムナは口を開きかけたが、ラーラマリアの方が先に言葉を発した。
「私が人殺しなら、私の事嫌いになる?」
グリムナは言葉を失ってしまった。
そう、勇者パーティー追放の直接のきっかけ。その一つはホモ疑惑であったが、しかしそれ以上にグリムナにとって大きかったのはラーラマリアの『他者の命』に関する扱いの軽さだった。敵であれば容赦なく殺す。敵かどうかわからなくともモンスターならとりあえず殺す。
そんな彼女の行動原理に耐えられず、グリムナは自分のやり方で世界を救う方法を探そうと決心し、そしてコスモポリの町で戻ってくるように懇願された時も、またそれを断ったのだ。
「優しいのね」
何も答えられなくなってしまったグリムナに、ラーラマリアは微笑みながらそう言った。
「前にも言ったかもしれないわね……」
ラーラマリアは空を見上げながら静かに言う。空にはまだ当然巨大な竜の影が映っている。しかしラーラマリアはそれをまるで日常の風景か何かのように全く気にせず話を続ける。
「あなたの、その……優しいところが嫌い」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます