第261話 竜の目覚め

「ぐうぅ……」


 メザンザはエメラルドソードの刺突を受けて片膝をつく。


(あれだけクリーンヒットしてたら今までなら急所じゃなくても生命力を奪われて死んでいたはず。それでもやっぱり生きているのは、あいつも竜の魔石を持っているからか……)


 間合いを取ったラーラマリアはメザンザの様子をつぶさに観察する。これまでエメラルドソードに斬られたものは小さい傷でも異常な疲労を覚え、深く刺されたり斬られた者は一瞬のうちに生命力を吸い取られて絶命していたが、メザンザにはそんな様子は見られない。


 だが見るからに息は荒い。どうやら完全に効果を打ち消しているわけではないようであるし、疲労の色も濃い。空も若干白み始めている。夜になってからブロッズ・ベプト、グリムナ、それにバッソー達と戦ったうえでその後もテンションが上がったのか分からないがしばらく大暴れしていた。

 そして最後の最後にラーラマリアの登場である。


「元気のいいおじいちゃんだったけどそれもここまでね。何を思って大暴れしてたのか知らないけど、ここでとどめてあげるわ。勇者の手にかかって死ねるなんて光栄でしょう?」


 その時、ズン、とまた大地がひと際大きく揺れた。


 グリムナとラーラマリアは思わず辺りを見回す。断続的に起きている余震。やはりこれは尋常でない。


 しかし尋常でないと言えばメザンザの様子も尋常ではない。そう思って二人がメザンザに視線を戻すとこちらはもはや尋常とかそういうレベルではなかった。目を見開いて祈るような姿勢で天を仰いでいる。いったい何が起こったのか。


「ようやく、ようやく我が呼び声に応えてくださるか」


 口からよだれを垂らしながら、目の焦点もあっていない。前々からそんな気もしていたが、もはや疑いようもなく彼は正気ではない。しかし彼が天を仰いで何を見ているのか気になったグリムナが顔を上げると、東の方から差し始めた光が、大きな影を映していた。


「な……なんだアレ……さっきまではあんな山は、なかったよな……」


 ラーラマリアもグリムナの言葉を聞いて天を見上げる。そこには彼の言うとおり、明らかに山や建物の陰ではない、何か異様な大きなものの影が朝日に映し出されていた。ゲーニンギルグの建造物群とは比較にならないほど大きい。そして山と比べても遜色ないほどの大きさ。しかも、どうやらそれが動いているように感じる。


「あれ? メザンザどこ行った?」


 ラーラマリアが素っ頓狂な声を上げるが、グリムナはそれを特に気に留める様子はない。グリムナは天に浮かぶ巨大な影から目が離せなくなっていた。


「まさか……竜が……?」


 しばらくするとどこからか分からないが、地鳴りのような大きな音が聞こえてきた。いや、この地鳴り自体はメザンザが大暴れしていたころからずっと聞こえていたものであるが、しかし空が明るくなり始めてその姿がはっきり見え始めた今ならはっきりと分かる。この地鳴りのようなものが、あの天を覆う巨大な物体が発している音だと。


 その咆哮が、空気を揺らす。


 空気だけではない。大地も、建造物もみな同様に振動している。


 そのあまりの大きさにそれがいったいどれほど離れた場所にいるのかも判然としない。ただ、それが「存在する」ことだけはもはや疑いようがない事だった。もはやそれは間違いない。竜が復活したのだ。


 竜の復活については正直言って懐疑的な者の方が多かった。


 言い伝えにはあるものの、それが本当に存在したのか。何しろ400年も前の話である。流行病か何かの比喩表現だったのではないか。何しろ言い伝えにある巨大さ。確かならば20kmもの全長があることになる。そんな質量物体が存在するなど考えにくいし、ましてや生き物として動き回るなどファンタジーが過ぎる。それが歴史家たちの意見であった。


 ましてやそれが復活するなど。


 8割方の市民がそれを鼻で笑っていた。


 笑っていたはずなのだが……


 市民たちはその影に気付いてか気づかずか、大慌てで避難を続けている。それはここ数時間ずっと続いているムーブメントではあるものの、やはり空を見上げ、それを指さしている人もいる。グリムナの幻覚や妄想などでもない。それは確実に存在するのだ。


 影が動いた気がした。その頭をローゼンロットの方角に、こちらに向けているように感じられた。それだけではない。まだ空は東の方角が白み始めた、といったところである。町の姿を照らすものは朝日よりも暴動によりつけられた炎の方がその勢力が強いので、当然遠くにある竜の姿は町の炎では明らかになってはいない。


 しかしやはり竜はズン、という思い地響きの音と、そして余震と共にもぞもぞと動いているのが感じ取られる。


「オオオオオオオオォォォォォ……」


 竜が口を開いたように感じられた。それは、今度は間違いなく、竜の鳴き声である様に見て取れた。反響がひどく、巨大な竜の頭部が発した鳴き声は周囲の山に乱反射し、幾度も幾度も響いては消え、さらに時間差で同じ音が後から聞こえてくる。


「間違いない……竜が復活してしまったんだ」


 グリムナが冷や汗をかきながらそう呟いた。


 そしてその確信は逃げ惑う市民たちも同じだったようで、彼らの恐慌状態は一層増したようにも感じられる。竜の咆哮を聞いて、略奪と強姦に勤しんでいた一般市民たちも一斉に町の外を目指し始める。もはやあの圧倒的質量存在の前にはどこに逃げようとも同じに感じられるが。


 グリムナがここまでに掴んでいた情報、竜の復活に必要な条件は出そろっていたように感じられた。人々の絶望に呼応するように姿を現すと言われる竜。大陸の各地では国家同士のいざこざはすでに日常茶飯事となっている。


 国境なき騎士団のような半盗賊ともいえる傭兵集団が村々を荒らしまわり、市民は徴兵により戦に駆り出され、残った者達も徴発により食料の不足にあえぐ。オクタストリウム共和国は首都ボスフィンの滅亡と共に国内全土が三大マフィアの勢力争いの舞台となり、北の森林王国ターヤは革命派と王党派で国内が真っ二つに割れている。人々は悲嘆に暮れ、「早くこの悪夢が覚めてくれ」と毎日思いながら生活している。


 それだけではない。竜を倒すと言われていた勇者は聖剣エメラルドソードを手に入れてからも自分の仄暗い欲望にしか興味がなかったし、『竜の魔石』を手に入れたもう一人の人間、大司教メザンザに至っては此の者こそ世界を滅ぼす欲望を持った人間だったのだ。


 この世界に希望など初めからなかったように見えた。


 人々の心にも、選ばれし勇者にも、世界が救えないというのならば、いったい誰が世界を救うのか。コルヴス・コラックスの子供たちは世界を救う歌を歌えるのか。



 グリムナはメザンザの衝撃波で砂ぼこりにまみれた衣服の砂を払い落し、しっかりと両の足で立ち上がって空を見つめた。



「ラーラマリア……俺達の出番だ。聖剣エメラルドソードで、力を合わせて……竜を倒すんだ……」


 決意を固めた眼でそう語りかけるグリムナに、ラーラマリアは目をそらしながらつまらなそうな表情で答えた。


「そんなことより聞きたいことがあるんだけどさぁ……?」

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