第388話 ちっちゃいグリムナ

「もう少し、あの山を越えればローゼンロットはすぐのはずだ」


 グリムナがそう呟くとヒッテが手早く荷物から地図を取り出して確認する。


「山越えの前に一つ小さな村があるはずですね……今日はそこで休みを取りましょう。小さな村だから宿があるかは微妙ですけど」


 ここに来るまでの道のり、結局どの町も宿屋はいっぱいで、もはやうまやを借りて寝床とするのが常となっていた。


 そして、秋も深まるこの季節、夜は冷えてくる。毎回毎回、グリムナの毛布の中にヒッテは潜り込んでくる。無言で。『宿があるかは微妙』その言葉を聞いてグリムナはそれを思い出して一人赤面する。


(こんな子だったっけ? もっとこう、なんか……ツンツンしてるイメージだったんだけど……でも)


 正直、悪い気はしない。まあ、それも当然である。グリムナ自身、ヒッテの事を憎からず思って……というよりは彼女の事を好いているのだ。だが、単にヒッテが好意を寄せてそんな行動をとっているのかと言うと、それも少し違う気がする。


(でも、ヒッテも不安なのかもしれないな……)


 少し前にフィー達と別れた。彼女はこの一連の旅の中でも長い時間を共に過ごした仲間だった。


 グリムナも危惧した通り、実際ヒッテも不安だったのだ。グリムナが不意にいなくなってしまうのではないかと。


 考え事をしていると、ヒッテが顔を上げて、グリムナの顔を不安そうな表情で覗き込んできた。その前髪の向こうの瞳は、やはり悲し気な色をしているように見えた。


 愛する人と共にいたい。それは誰もが思う気持ちである。だからこそ、ヒッテは自分が眠っている間にグリムナがいなくならないように、一緒に眠ることを欲したし、もし別れ別れになってしまうのならば、今は少しでも近くにいたい。そう思ったのだ。


「街道が近い割には随分と小さい村だな。寝床どころか食べ物にもありつけるかどうか……」


 村についたグリムナは明らかに落胆の色を見せていた。地図でも小さい村だとは思っていたが、実際に見てみると、まったくその通りであった。


 村についても軽くならない足取りで、グリムナは適当な村人、子供連れの中年の女性に声をかけたのだが、振り返って返事をしたのは、思わぬ人物であった。


「あなた、もしかして……グリムナ……?」


 黒髪をアップにまとめた、長身のスラっとした体形の女性。すぐ近くには5歳くらいの少女と、そして腕には乳児を抱えている。そんな子連れの女性にグリムナは知り合いはいない筈であったが、しかしその少しきつそうな目つきには覚えがあった。


「あ! ……アムネスティ……」


 思わず脂汗が吹き出て、グリムナの表情が恐怖に歪む。


 グリムナにとっては恐怖の思い出しかない女性。児童虐待の嫌疑でグリムナを逮捕し、裁判所に引っ張っていき、途中からホモ疑惑をかけられて、筆舌に尽くしがたい酷い目にあった。局部が。


 そしてフィーが人質に取られ再度ローゼンロットを訪れた時にもひと悶着あった、壮絶にめんどくさい女、人権騎士団団長、アムネスティ。男性嫌悪者ミサンドリストである。


「ってことは、そっちの女の子は、もしかしてヒッテちゃん?」


 自分に話が振られて、ヒッテは思わずグリムナの陰に隠れてしまう。『あまり関わりたくない人間』というところでは彼女にとっても同じである。


 しかし様子がおかしい。以前よりは随分険のとれた表情をしているような気がする。というか二人の子供を連れている。これは一体どういうことなのか。


「そ……その子供って、もしかして……」


 ヒッテが恐る恐る口を開くと、アムネスティは笑顔になった。


「ああ、この子たち? この子たちは私の……」

「とうとう独り身に耐えられなくなって子供誘拐してきたんですか! それも二人も!! け、警察! 誰か警察を!!」


 アムネスティの表情が呆れたような、怒ったようなものに変化した。


「ったく、レイティといい……あんたら私の事をなんだと思ってるのよ」


「ま、待て……話に聞いたことがある……まさか」


「ふっ、そのまさかよ」


 二人の会話をグリムナが止めた。アムネスティは余裕の笑みを見せる。


「一部のサメはメスしかいない環境が長く続くと子孫を残すために単為生殖で固体が増えることがあるという……まさか」


「そのまさかじゃないわよ。あんた達揃いも揃って私をどういう人間だと思ってるのよ」


「ねえママ、ママのお友達なの?」


 いぶかし気にアムネスティの陰から二人を除いていた少女が問いかける。アムネスティはにこりと笑って少女の頭をなでた。


「これ見ればわかるでしょう? 結婚して子供ができたのよ、この子はミシティ。そしてこの男の子は……」


 アムネスティは視線を自らが抱いている乳児の方に向ける。


「この子の名前はね、昔私が出会った、風変わりな、慈愛に満ちた男性から名前をもらったわ……」


 それは、確かに穏やかな母の表情であった。


「『グリムナ』って名付けたの」

「やめて!!」


思わずグリムナが叫んだ。


「本気でやめて! 巻き込まれたくないの!!」


 グリムナはそう叫んでしゃがみこみ、両手で顔をふさいだ。この女に関わるとろくなことにならない。それは体感的にもう知っていることなのだ。しかも大した関わりもないのに自分の名前を子供につけるという非常識。恐怖しかない。しかし『やめて』と言われてももう名付けてしまったものは仕方ない。


「ところで、なんであんた達こんな村にいるの? なんか旅でもしてるの?」


 アムネスティの問いかけに、ヒッテが泣き出したグリムナの背中をなでながら答える。


「ちょっと、ローゼンロットに用事があって……この村で宿を探したいんですが……」


「こんな小さな村に宿なんかないわよ。ちょうどいいわ。私の家に泊まっていけばいいわよ」


 恐怖。


「い、いや! 絶対ろくなことにならな……あ、いや、そこまでご迷惑をおかけするわけには! このまま村はスルーして一気にローゼンロットまで行きますんで!」


 グリムナは反射的に顔を上げてこれを固辞しようとしたが、しかしアムネスティは人の話を聞くような女ではない。


「何言ってるの! 今から村を出たら確実に野宿になるわよ! いいからついてきなさい。ミシティ、逃がしちゃダメよ」


 そう言ってアムネスティは右手でちっちゃいグリムナを抱き、左手ででっかいグリムナの手を引いて歩いていく。


 反射的にヒッテはグリムナを彼女から引きはがして逃げようとしたが、しかしミシティが素早く回り込み、逃げ道を潰す。5歳にしてデキる女である。


「いや、アムネスティさん!? 旦那さんもいるんでしょ? そこに息子と同じ名前の古いなじみの男を招待するって! 絶対揉める元になるよ!!」


 グリムナは必死でアムネスティを説得しようとするが、しかし彼女はそれを笑い飛ばす。


「大丈夫大丈夫! 私の旦那はだから!」


 ヒッテは半ばあきらめ顔で呟いた。


「ぜ……絶対ろくなことにならない……」

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