第204話 情報提供者

「鹿肉のソテー、それにミネストローネとサラダも。あとデザートにカスタードプディングを。ああ、それとワインも」


「赤と白があるけど、どっします~?」


「ん~……両方!」


 しばらくすると、トラットリアの中央の席に陣取った美しい銀髪の女性のテーブルに料理が運ばれてきた。


「ううん……壮観ね……」


 満足そうにつぶやくエルフの女性。


「ヒッテちゃんがいるとろくに贅沢もさせて貰えないからねぇ……厳しすぎるのよ、あの子。たまにはこんな役得もなくっちゃねぇ!」


 そう言いながらフィーは器用に鹿肉を切り分けて口へ運ぶ。


 ベアリスを見つけた後、ビュートリットの使者を待つ間、フィーはグリムナの依頼を受けてみんなとは別行動をとり、一人砂漠を迂回してターヤ王国を目指している。目的はターヤ王国の内情を探るため、そして依頼主本人であるビュートリットが信頼に足る人物なのかどうか、それを知るためである。もしビュートリットが革命派の手先であったり、そうでなくともベアリスに対してよからぬ考えを持っているのならば、彼女をビュートリットの元へ連れていくことはオオカミの胃袋に羊を毛を刈って丸裸にしてから放り込むような行為である。


 しかし、まだフィーは知らないことであるが、この時点でグリムナ達は砂漠に置き去りを食らってまさに生命の危機にあった。グリムナの悪い予感が的中したのである。

 そんなことも知らずに地方に出張に来たサラリーマンの如く一人宴会を決め込んでいたフィーであったが、所狭しと並べられた食事の皿でいっぱいになっているテーブルの相席に、見覚えのある人物が座った。


「珍しいところで会うね……もしやあなたもターヤ王国へ?」


 声をかけてきた人物の顔を見てフィーは一瞬ギョッとした。その人物は、聖騎士ブロッズ・ベプトであった。彼は今「珍しいところで会いますね」とのたまったものの、そう珍しくもない。というか、最近はヤーベ教国に向かう途中に会い、そしてオクタストリウムのボスフィンでも会って一悶着あった。正直言って会いすぎである。エンカウント率が凄く高く、珍しくとも何ともない。


 この男、もしかしてストーカーなんではないのか。ここに現れたという事はもしかしてターゲットはグリムナではなく自分なのか。まあでも、イケメンだし、そっちがその気なら別にまんざらでもないわよ、とフィーがとりとめもない事を考えていると、ブロッズがさらに口を開いた。


「私はね、最近ターヤ王国が政変できな臭いようだから、その調査という事でそこへ向かうつもりなんだ」


 ブロッズはワインだけをウェイトレスに注文してからそう話し始めた。フィーは食事をしながらブロッズに尋ねる。


「なんで私がターヤ王国へ行くと? お祭りでもあるのかしら?」


「お祭り……フフ……そうですね。トロールフェストみたいなお祭りがね……」


「ふぅん……祭りね……楽しそうねぇ……」


 フィーはそう返したものの、ボスフィンで体験したトロールフェスト、あれがとてもじゃないが楽しめるような内容ではなかったことはお互いに分かっている。二人ともあの『祭り』に立ち会っていたのだから。それが分かっているうえで、お互いにそれを相手が知っていると分かっている上でこんな会話をしているのである。


「楽しそうに見えるか……」


 突如としてブロッズの口調が暗くなった。彼は飲んでいたワインのタンブラーをごとり、とテーブルの上に置いた。空気が変わったことに気付いて、フィーも少し目を細める。相変わらずメシにがっついてはいるが。


「私は今、怒っているんだ……いや、いつもか……」


 ブロッズはフィーの瞳をまっすぐ見つめてくる。優し気で落ち着いた、しかしそれでいて決して曲がらぬ意志の強さを感じる、そんな瞳である。しかしその瞳が、今は悲しそうな憂いも含んでいる。その瞳は、不安定だからこそ人を惹きつける。


「私には師匠がいてね……とても敬愛する師匠だ。人間ではないが、高い志と、平和を愛する心を持った、素晴らしい方でね。……その、師匠が言っていたんだ……『お前は、いつも怒っている』と……」


 なんとなく不穏な空気である。急にブロッズが情緒不安定に見えてきた気がした。まさか、突然切りかかってきたりはしないだろうか、そんなことを考えて、フィーは食事の手を止めて、少し身構えた。その『気配』に気付いたのか、ブロッズはフッと笑みを見せた。


「この間ボスフィンでグリムナに会った時に、ちょっとしたきっかけがあってね、師匠のことを思い出したんだよ。……師匠は言っていた。『怒る』こと、それ自体は決して悪い事ではないと。現状に満足していない。だからこそ怒るのだと。そうやって怒りの炎を燃やし続けていれば、いつかどこかにたどり着くかもしれない、と」


 行動自体は突然切り付けてきたり、グリムナに意味のない勝負を仕掛けてきたりと、問題が多いブロッズであったが、態度だけは柔和であった。少なくともフィーがこれまで見てきた限りでは。しかしそのブロッズが自分自身を『常に怒っている』と評したのは、フィーにとって少し意外であった。


「怒りっぽいという私の欠点を、師匠は決して咎めはしなかった。怒りを鎮めることができないのなら、逆に怒りの炎を燃やし続けるのだ。決して絶やしてはならない、あきらめてはならない、と。そう言っていたが……しかし、さすがに、疲れて来たな……」


 ブロッズはそう言ってワインをもう一口飲むと、肘をテーブルについて、片手で自分の顔を覆った。


「あまりにも……許せないことが多すぎる……」


「今回の、ターヤ王国のことだってそうだ……政府は傍目に見てもよくやっているのに、庶民は自分の生活の不満を現政権のせいにして、安易に攻撃する。支配者が変わりさえすれば、何の根拠もなく自分の生活もよくなると思い込んで……」


 ブロッズは顔を覆ったままぶつぶつと何やら早口で呟いている。フィーはその言葉のほとんどを聞き取ることはできなかったが、これが尋常の事態でないことだけは見て取れた。


「……弱者という立場に甘える豚どもめ……自分が何かをするのではなく他人が変わることだけを期待して……王党派のやつらだってそうだ。何も知らない小娘を利用して、自分の都合だけで転がそうと……みんなみんな、クズの集まりだ。メザンザも、ラーラマリアもそうだ。自分の、勝手な都合しか考えていない……」


 いつの間にかブロッズは両肘をテーブルの上について、両手で顔を覆いながら誰にも目を合わせずに一人で延々と呟いていた。これまでの朗らかな態度と違いすぎる。どう見ても狂気に支配されているそのブロッズの様子に恐怖を覚えたフィーが声をかけると、ブロッズはまるで今目が覚めたかのようにバッと顔を上げた。


「これは失礼……取り乱してしまったようだ。最近少し不安定でね……」


 ブロッズは顔を横に振りながら、少し困ったような、はにかんだ笑顔を見せた。普段なら彼の笑顔は周囲の人を和ませ、人を惹きつける魔力のようなものを備えた笑顔であるのだが、直前の異常な行動を見てしまったフィーにとっては恐怖の対象でしかない。


「興奮して忘れてしまうところだった。前回少し悪い別れ方をしてしまったから誤解しているかもしれないが、私は君たちのことを高く評価しているんだ。グリムナのことが好きなんだよ。その立場から、忠告をさせてもらいに来たんだ」


 ブロッズは一度深呼吸をし、ワインで喉を潤した。フィーも食事を再開しながら話を聞く。


「ターヤ王国で今、ある噂が流れている。……王女のベアリスの救出作戦が実行に移されたという噂だ」


 その言葉にフィーの顔が青ざめた。極秘裏に実行されていたものとばかり思っていたベアリスの救出作戦。しかしすでにそれは庶民の間でも噂が上がるような事態になっていたのだ。


「やはり驚いているな。救出を依頼されているのは思った通りグリムナだったか。はっきりと言おう。グリムナは騙されている。ビュートリットはベアリス王女を殺すつもりだ」


 この言葉を聞いてまずフィーの頭にうかんだのは『何故』という言葉であったが、しかしそれよりも先に聞いておかねばならないことがあった。


「あんたは、その情報をどこから得たの?」


 そう、まずはその話の信憑性である。ブロッズの立ち位置が分からない以上、最悪の場合彼が実は革命派の回し者で、ビュートリットを陥れるために嘘の情報を流している可能性もあるのだ。しかしブロッズはフィーの問いかけに逡巡することなく答えた。


「ラーラマリアだ……」

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