第386話 阿鼻叫喚の地獄絵図

 五年前、ラーラマリアは大司教メザンザと一騎打ちの末にこれを破り去っている。


 その事実を知る者は少ないが、しかしラーラマリア自身もう一度戦っても勝てる相手とは考えていなかったし、実際それはその通りになった。


 鋼をも紙の如くに切り裂くエメラルドソードの力をもってしても、ビショップカラテ十段のメザンザの守りの型、三戦サンチンを破ることは出来なかった。


 それは、研ぎ澄まされたカラテ技術の結晶だからでもあるし、メザンザが『竜の魔石』を取り込んで、この五年の間に完全に自分の物としたためでもある。


 三戦――琉球空手から近代空手にまで共通して伝わる守りの型であり、那覇手なふぁーでぃでは最も重要な型の一つ。『基本にして奥義』、これこそまさにであり、空手を習い始める少年がまず最初に習う立ちかたであると同時に究極の守りの型である。

 全身の筋肉を引き絞り、特殊な呼吸法で体を鋼とし、此れを完全になした時、死角は存在しない。あるを除いて。


「まさかこの男がここにいるとは」


 誰もが予想していなかった。この場を完全に掌握していたメザンザですら、それは同じだった。


 聖騎士ブロッズ・ベプト、彼のレイピアが、メザンザのケツの穴を貫いていた。そう、全ての筋肉が鋼と化しているが、それでも文字通りはあるのだ。しかし……


「む……剣が……動かない! これ以上差し込むことも、抜くこともできない!」


 ブロッズの表情に焦りの色が浮かぶ。


「阿呆め……この儂が、括約筋を鍛えていないとでも思うたか」


 そう、隠しているとはいえ彼が同性愛者であるならば、括約筋を鍛え、自在に制御できるは、此れもまた当然の仕儀也。


「ビショップカラテ奥義、肛門白刃取り」


 メザンザの強靭な括約筋に、ブロッズのレイピアは完全に捉えられていた。さらに、は知っている。この部位へ攻撃を受けた時の対処法を。あの男から学んでいるのだ。


アスタリスクバースト!!」


 ドオン、という爆発音とともに差し込んだブロッズのレイピアが高速で射出された。


 メザンザは魔法が使えない。よって、ブロッズやグリムナのように肛門から魔法を出すことは出来ないが、しかし体内で練ったメタンガスを肛門括約筋と直腸の運動によって爆発的に射出したのだ。


 おならとも言う。


「くぅっさああぁぁぁ!」

「オ゛エ゛エ゛ェ゛ェェ……」

「匂いが苦い!! 目に染みる!!」


 阿鼻叫喚の地獄絵図である。まさか、ブロッズが編み出した奥義が、グリムナに受け継がれ、そしてそれが回りまわって彼自身に使われることになろうとは、いったい誰がこの事態を予見できたであろうか、いや出来まい。(反語)


「ラーラマリアさん、ブロッズさん! 早く逃げるッス!!」


 レイティが中庭から直接外に出られるドアを開け放った。本来ならばここで決着を着けたかったラーラマリアとブロッズであったが、すでにメザンザとの間には間合いができてしまった。

 しかも今二人は毒ガスを間近で受けて呼吸ができない。戦うにしろ逃げるにしろ、新鮮な空気が必要なのだ。二人はドアに向かって走った。


「逃さぬ」


 構え、引き絞り、解き放つ。そのスリーアクションの間に何とか3人はドアの外に脱出した。直後にメザンザの正拳突きによるソニックブームが中庭の壁を粉々に破壊する。ウルクがどうなったかは分からない。


「その場凌ぎだ! すぐに遮蔽物は全て破壊されるぞ!」

「分かってる! ブロッズ、あんたは魔法で援護できる!?」


 崩れた壁の向こうからメザンザが悠々と歩み来る。この距離はメザンザの間合いである。


 ラーラマリアが剣を構え、そのすぐ後ろでブロッズが印を結ぶように指を組む。


「一緒に戦うならグリムナが良かったけど、贅沢は言えないわね」

「私だってそれは同じだ……グリムナが生きてるのか!?」


 騒ぎに気付いて、付近の住民が悲鳴を上げながら半狂乱で逃げ始める。ローゼンロットの中心部での突然の爆発、五年前の再現である。我先にと逃げ出す住民の中で、その中心にいる男に対峙する二人の人間。これこそまさに『勇者』の姿であろう。


 できれば接近戦で一気にケリをつけたかった。しかし接近戦であろうともメザンザの強さは変わらなかった。


「来る! レイティは逃げて!!」


 瓦礫の向こう側の砂塵が晴れて視認できたメザンザは右拳を引いていた。もう一度衝撃波が来る。


 視認できないほどの速度の拳の後、一瞬遅れて壁が迫ってくる。巻き上げられた土砂によって衝撃波の壁が近づいて来る。


 ラーラマリアは逡巡することなくそれに真っ直ぐ突っ込む。魔法により空気の障壁を展開し、壁を突き抜けてメザンザにとびかかるが、しかしメザンザはそれを待ち構えていた。今度は左拳を引いている。ラーラマリアならば、衝撃波を突き抜けて来るであろうと読んでいたのだ。


「ウィンドショット!」


 その呪文は衝撃波にかき消されてメザンザの耳にまでは届かなかったが、しかしブロッズの位置、衝撃波の向こうから何をしようと彼に攻撃は届かないはずであった。

 だが、拳を突き出す瞬間、二発のコブシ大の石礫がメザンザを襲った。


「曲射!!」


 盲点。


 それは即ち、衝撃波の壁をとび越えて、曲射による放物線射撃。風魔法により瓦礫を飛ばしたのである。


「ぐぅ!」


 そのうちの一発がメザンザに命中、いや寸前で右手により払ったが、左拳は宙を彷徨い、ラーラマリアはその内側に潜り込み、渾身の突きを放つ。


「むぐ!?」


 聖剣エメラルドソードがメザンザの腹を貫く。


 どうか。これで終わるのか。今までエメラルドソードの斬撃を受けた者は皆魂を吸い取られて絶命している。しかしこの男は体内に竜の魔石を取り込んでいる。通用するのか。


「あああああああああ!!」


 おおよそ聞いたことがないほどの叫び声であった。二度のソニックブームに恐れおののき逃げ惑う人々、彼らの悲鳴よりもいっそう大きく恐ろしい声が辺りに響いた。


 ラーラマリアはメザンザの腹から剣を抜き間合いを取る。メザンザは他の者のように萎れてはいなかったが、しかしあの叫び声は尋常ではない。


「おおおおおお! どいつもこいつも! なぜ斯様な薄汚れた世界を守ろうとする! 如何ほどの価値があるという! それほどまでに儂の邪魔をしたいか!!」


 まるで感情が溢れ出ているような叫び声であった。叫びながらもメザンザは構えを取り、連続して正拳突きを繰り出し、衝撃波を発生させる。


 ラーラマリアは魔法でそれを防ぎながらブロッズと共に距離を取り、そして叫んだ。


「黙れ! 薄汚れてるのはお前の方だ!!」


 衝撃波が3発、4発と広がりを見せる。恐怖に狂乱する人々の悲鳴が響く。


 その時であった。


 ぐらり。


 地面が揺れた。地震か。だとすれば大分遠い距離に感じる。それほどに長い波長で揺れたのだ。


 人々の恐怖の色がさらに濃くなる。5年前の、あの災害の再現だと。


 ラーラマリアは己の過ちに気付いた。勢いに任せて憎しみの暗い感情をメザンザにぶつけたこと。志半ばで倒れるやも知れぬと絶望の色を見せたメザンザの感情があふれ出したこと。


 そして、人々の恐怖。


 メザンザの額の石と、ラーラマリアの聖剣の柄にある緑の石が、不気味に、陽炎を纏う様に輝いていた。


 共鳴が、発生したのだ。

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