第256話 ここに帰ってきて
「なんとか撒いたか……?」
グリムナは振り返りながら誰に話すでもなくそう言う。
「その様じゃのう。町はまだ大混乱みたいじゃが」
バッソーがその言葉に答えた。彼も大分魔力を消費して疲弊しきっているのが見て取れる。他の者もふらついており、何とか立っている、という感じだ。
メザンザに対しバッソーは巨大な火球の魔法をぶつけた。しかしその前の戦いぶりからおそらく衝撃波のようなもので相殺されてしまうだろうと読んでいたグリムナはその火球を目くらましとして使い、その隙に脱出することを提案したのだ。
全員が一塊になり、バッソーの風魔法でゲーニンギルグ戦闘大宮殿の城外まで移動し、そこからは走って町の外まで逃げた。魔法を使ったバッソーだけでなく、他の者も疲労困憊である。特に直前までメザンザと戦っていたブロッズとグリムナの疲労が酷い。
ヒッテにフィー、そしてレニオも息を切らして地べたに座り込んでいる。
町の方からはまだ住民の悲鳴と共に何やら破壊音や地響きが聞こえてくる。メザンザがまだ状況を把握しきれずにグリムナ達を探して暴れているようであるし、おそらく恐慌状態から暴徒化した市民が略奪、放火などもしているのかもしれない。
花咲く都のローゼンロットは地獄絵図と化していた。
「ふぅ」
ブロッズが一息ついてから話始める。
「私はもう行かねばならん。騎士団の長として、混乱を収めなければならない。ここでさよならだ」
彼自身かなり疲弊しきっており、その歩く姿からもそれが読み取れはしたが、しかし誰も止めることはできない。これこそが、騎士団の本来の仕事だからだ。
しばらくブロッズの背中を見送った後、ヒッテが口を開いた。
「グリムナ、逃げましょう。フィーさんも助け出しましたし、もうここに用はないはずです。こうしてみんな無事だったんですから、今のうちに……」
ぐい、とグリムナの手を引っ張りながらそう言うが、しかしグリムナは考え込んだまま動かない。
「どうしたの? グリムナ。どこか痛むの?」
レニオもそう話しかけるが、しかしグリムナはかぶりを振って黙ったままだ。何か考え事をしているようである。
「どうしたっての、グリムナ? 全員無事だったんだから、ここはもう用済みでしょう? 巻き込まれる前に逃げた方がいいわよ?」
フィーも少し不満そうな顔でそう話しかける。彼女にとっては二度にわたって牢に入れられたり、三バカトリオに拷問されたりで、あまりいい印象のない土地だ。早くここを離れたいのだろう。
「全員……無事……?」
呆けたように考え事をしたままのグリムナの両腕をヒッテが掴んで正面に立って話しかける。
「そうです。全員無事だったんですよ。どうしたんですか? 頭がぼーっとしてるんですか? つらいなら少し休んでから行きますか?」
グリムナは少し目をつぶってから、そして町の方を睨んだ。
「まだだ。まだ全員じゃない」
この言葉に全員が呆けたような表情を浮かべる。グリムナが一体何のことを言っているのか、それが分からないのだ。
「な、なにを言ってるんですか、グリムナ。全員ここにいますよ。これ以上一体……」
ヒッテの言葉をフィーが遮る。
「分かるわ、グリムナ。まだ全員じゃない」
フィーはちらりと火の手の上がっている町の方を見てから続きを口にする。
「……さっき言ってた『先っぽしか入ってない』に、何か関係あるのね?」
「ねぇよ」
あってたまるか。
グリムナははっきりと覚悟の決めた表情で意思を示す。もはや誰も彼の正気を疑うことが無いように。
「ラーラマリアを助けに行く」
「はぁ!?」
レニオ以外の全員が声を上げた。
「みんなはここで待っていてくれ。全員で行くのは危険だが……俺一人なら……」
「いやいやいやいや、そもそもがよ? そもそもがアレじゃん」
フィーが全然ツッコミになっていないツッコミをしようとする。彼女は一旦落ち着こうと唾を飲み込んでからもう一度話始めた。
「そもそもがね? 私はグリムナをおびき寄せるためにラーラマリアに攫われたのよ? それなのに、『ラーラマリアを倒す』なら、まだわかるんだけど、『ラーラマリアを助ける』? お人好し通り越してもはや意味が分かんないわよ! どこの世界に悪の親玉を助けに行く英雄がいるってのよ!」
ここにいるが。
しかし大いに混乱しているフィーの横から、レニオが一歩踏み出した。
「まあ……グリムナならそう言うんじゃないかな、とは……ちょっとだけ、思ってたんだよね」
レニオは困ったような、呆れたような、なんとも言えない表情でぽりぽりとこめかみの辺りを人差し指で掻いている。しばらくそうして何か言いたげに、しかしうまく言葉にできないかのようにもじもじとしていたが、やがて、瞳に少し涙をためてグリムナに話しかけた。
「グリムナ……あなたの言うとおり、ラーラマリアは今、助けが必要な状態なの。二つの心がせめぎあって、今にもつぶれそうな状態なの。一方ではグリムナを手に入れたい、たとえ殺してでも他人にとられたくない、自分だけがグリムナと一緒になる価値のある人間だ、と思いながら、同時に自分みたいなクズがグリムナの隣に居ちゃいけない、とも思ってる。早く何とかしてあげないと、本当に取り返しのつかないことになるの。それができるのはグリムナしかいないのよ……」
グリムナはレニオの話を眉一つ動かさず、まっすぐに彼の瞳を見つめて聞いていた。ラーラマリアは努めてグリムナの前では『鬱』状態の自分を見せないように振舞ってはいたが、日に日に症状は悪化していき、感情の振れ幅は同一人物とは思えないほど大きく、またその間隔もどんどん短くなっていっていた。
当然グリムナも、彼女の心の不安定さ、そして支離滅裂とした行動に気づいてはいたのだ。そしてその精神状態の原因が自分であることも。
「ひ……」
何かを言おうとして言い淀んでいる、その声に気付いてグリムナが振り返る。
「ヒッテちゃんはどうするのよ……あなた、もしラーラマリアに会って、仲間を捨てて……何もかも捨てて一緒に来て、って言われたらどうするの!? 前にコスモポリで会った時みたいに!!」
フィーは身振り手振りを交えて必死にグリムナに話しかける。グリムナは正直面食らっていた。フィーがホモ以外の話題でこんなに必死になって話すのは初めて見たからだ。それほどまでに、あの、燃えているローゼンロットの中に舞い戻ることが危険なことだと分かっているのだ。そして、メザンザやラーラマリアがいかに危険な人物かも。
「俺は……」
グリムナはやはり決意を変えないためなのか、いささかの表情を崩すこともなく、ヒッテの方を見つめた。その時だけは、少し眼差しが柔らかくなったように見えた。
ヒッテは何も言わず、ただ前髪の奥に隠れた瞳でグリムナを見つめている。しかし両手は彼女のワンピースの裾をぎゅっと握っており、それだけが彼女にとっての抗議の意思の表れだった。
「反対……しないんだな」
普段であれば、こういった無謀な行動にはヒッテがいつも先陣を切って反対する。国境なき騎士団の時がそうであったし、ヤーンに立ち向かった時もそうであった。しかし今日の彼女はそう言った言葉を吐くことはなかった。
「グリムナが……そういう人だからこそ……ヒッテは、あなたの事を、好きになったんですから……」
最後の方は声が小さくなってほとんど聞き取ることも難しかったが、それでも彼女はありったけの勇気を振り絞ってそう言ったのだ。
「でも、絶対に生きて帰ってくると、約束してください……」
ヒッテは、涙を流していた。
「ヒッテは……グリムナの事が好きです。でも……グリムナはどうなのか、それを考えると、胸がつぶれそうに、苦しくなって……グリムナは優しいから、ヒッテに話を合わせてくれているだけなんじゃないか、って……」
少し俯いて独り言のように喋っていたヒッテはバッと首を上げてまっすぐグリムナの瞳を見上げる。
「もし! ヒッテの事が可哀そうで、ただ話を合わせてくれているだけなら、帰ってこなくてもいいです! ラーラマリアと一緒に、どこかで静かに暮らせばいいです! でも!! もし本当にヒッテの事を愛してくれるなら!!」
ヒッテはゆっくりとグリムナに近づき、彼の両手を握った。
「必ず……生きて、ここに帰ってきてください……」
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