第422話 ベルシスアーレ

 フェラーラ同盟。


 元々は国家とは言えない地方部族の支配する地域であった。一つにまとまることなく存在したそれらはやがてピアレスト王国の属州となったが、独立心が強く完全には服従しなかった。時を置いてそれらは別々に都市国家として成長し、ピアレスト王国から独立、さらにそれぞれが同盟を組んで大国と伍する形となったのが始まりである。


 その同盟国家の中心機能のある首都ベルシスアーレ。


 町の名は『ベルの青い空』という言葉に由来する。ベルとは、預言者ベルアメールの愛称。彼の出身地の町。彼の愛した青い空に守られた町。


 港も有するこの都市は大陸の外の島とも交易があり、大変ににぎわった海洋都市である。


 強い日差しに耐えられるよう漆喰で塗り固められた建物や壁は近くで見れば光の世界、遠目に見れば輝く白亜の砂浜のようである。


 ベルシスアーレが商業都市として成功したのはこの美しい街並みに足を止めてしまう商人が多いからではないか、とまで言われる景観に優れた都市である。


 その白亜の街並みが、灰燼かいじんしていた。


「オオオオオォォォォォ……」


 町を見下ろす丘にもその咆哮は地響きと共に聞こえてくる。


 町全体を覆い尽くすようにその体を横たえさせる竜の姿。建物や壁は粉々に砕け散り、いや、すり潰され、ところどころで火の手が上がり、黒煙がもうもうと立ち込める。


 わずかに残った逃げ延びた市民を除いて、もはや動く者はいない。町の守備隊は最初から戦おうともしていなかった。それで正解であろう。


 一部の、町にある自分の財産を守ろうとしたと、置いて行かれた貧困層、そして置き去りにされた財産を漁っていた無頼者を除いて、多くの市民は船を使って近隣の島々に避難した後であった。


 アンキリキリウムやボスフィンなど、一部の地域では町を治める指導者が市民の避難を支持して被害が小さかったものの、すでにこの大陸の主要な都市はすべて破壊しつくされ、街道の途中にある町もに踏みつぶされている。


 残るはターヤ王国をはじめとする小規模な国家の首都クラスの町を残すのみ。竜は、一休みして満足げに遠吠えの声を上げた。


「やっと追いついたわ」


 そこから5キロほど離れた位置、金髪の女性が馬から降り、腰の剣を抜きながらそう呟いた。


 彼女を乗せていた馬は手綱を解放されると、すぐさま竜から離れるように逃げて行った。


「ここで引導を渡してやるわ、死神の竜ウニア」


 エメラルドソードを肩に担ぎ、悠々と歩を進める勇者、ラーラマリア。


 ウニアは暫くその頭を地面の上に乗せて首を休めていたのだが、ラーラマリアの気配を感じるとその鎌首をもたげ、ラーラマリアを正面から見据える。


 『正面から』と言っても両側に四つずつあるウニアの目は顔の側面についている上に複眼なのでどこを見ているのかはよく分からない。おそらくこの数の複眼が頭部についていると水平方向にはほぼ360度、垂直方向も自分の身体で隠れる部分以外は殆どを視界に把握することが可能であろう。


 頭一つだけでも要塞ほどのスケールがある。大きすぎて遠近感が正常に認識できないが、しかしラーラマリアは無造作に竜に近づいてゆく。


 はじめは出方を窺う様にゆっくりと。そして次第に足を速め、いつの間にか駆けだしていた。


 まるで鳥が飛ぶように。


 いや、実際彼女は空を飛んでいるように見えた。口元では何かぶつぶつと呟いている。そのつぶやきが終えるたびにボッと光が手元から漏れる。何か魔法を使っているのだ。


 魔法による身体能力アップ。もはや彼女が乗ってきた馬の速度よりも速い速度で駆ける、駆ける。


 その一歩で常人の五歩ほどの距離を跳躍し、足も早鐘の如く大地を叩き、蹴り飛ばして前に進む。


 竜は唸り声を上げながら前足を振り上げる。おそらくはストンピング攻撃。ラーラマリアはその攻撃、足が浮き上がった時点で軌跡を、攻撃の終着点を読んで速度と方向を微修正する。


 紙一重、といっても竜のスケールが規格外なので数メートルの距離になるが、踏みつぶそうとする前足の指、その爪の先を躱してラーラマリアは飛び上がる。


 ラーラマリアが再び呪文を唱えると空中に歪みが浮き出る。それは空気の層。通常は投擲攻撃から身を守るために使うウォールであるが、彼女は以前、大司教メザンザの衝撃波から身を守るために使っている。それを今度は踏み台として使用し、さらに連続で高く跳躍する。


「喰らえッ!!」


 すべての体重を剣に預け、聖剣エメラルドソードをピッケルを山肌に突き立てるが如く竜の表面に突き刺し、落下の衝撃を全て剣で受け止めながら切り裂く。


 聖剣はピッケルのようにラーラマリアの体を支えはせず、しかし剣が折れたり自由落下することもなく若干速度を下げながら竜の体を縦に真っ直ぐ切った。地面に着地する寸前、ラーラマリアは竜の前足を蹴って距離をとる。


 距離を大分とったつもりではあったが視界にあるのは壁の如き竜の前足のみ。全くスケール感を失ってしまうサイズである。


(いける……!!)


 メザンザが敗北した時には『これ』を倒す方法などないのではないかと思われたが、しかし聖剣ならば戦える。ラーラマリアは手ごたえをつかんだ。


 彼女が切り裂いた竜の体は指先のほんの表皮の一部分にすぎなかったが、しかし彼女が切り裂いた部分からぼろぼろと朽ち果てて傷が広がっていく。もちろんそれだけで竜を倒すことなどできない。この剣で人間を切った時は急所に傷が達しなくとも命を吸い取って殺すことができたが、さすがにこのサイズではそんな都合のいい効果は見込めないようだ。


 しかし竜が巨大ロボやメザンザと戦った時はすぐに回復していた傷が、エメラルドソードで切りつけた時は回復しない。つまりはこのまま戦い続ければいつかは倒すことができるということだ。


 山一つほどの大きさの竜。常人であればそんな気の遠くなるような戦いは出来ないが、しかしラーラマリアはそこに勝機を見出しほくそ笑んだ。


 着地したラーラマリアを狙って竜は再度前足での攻撃を試みる。


「遅い! 遅いぞ!!」


 ラーラマリアは難なくその攻撃をかいくぐって前足を登りながらやたらめったらに竜の体を切りつける。


 竜の攻撃は、まず予備動作が大きい。それでも尋常な者であれば、トップスピードの速さに対応できずに潰されてしまうのだが、しかしラーラマリアの実力であれば予備動作から即座に攻撃を予測し、それを躱しながら攻撃ができる。


 次に、攻撃が粗い。正確な狙いがつけられていないのだ。これはひとえに両者のそのスケール感の違いのため、たとえ足元にいることが分かっていても、彼女の体が竜の体を遮蔽物として死角に隠れてしまうのだ。


「いや……いくら何でもザコ過ぎるぞ……こんなものとは思えない」


 ラーラマリアはバランスの良いファイターだ。メザンザと違い、魔法が使える上に、その使用方法についても柔軟性が高く、何よりスタミナがある。


 しかし戦況を見れば決してラーラマリアの楽勝というわけではない。まだほんの指先にいくつか傷をつけただけに過ぎないし、仮に竜の全ての攻撃がラーラマリアに通じないとしても、彼女も人間である。いつかは疲労がたまり、ミスをする。


 たとえエメラルドソードに為す術もなく『削り取られ』て行ったとしても、竜にはひたすらそのチャンスを待ち続けるだけのがあるのだ。


 たとえラーラマリアがエメラルドソードによって竜の生命エネルギーを吸い続けたとしても、バッソーの計算によれば六百億トンもの広大なを、竜の攻撃を避けながら耕し尽くすなどできるはずがない。


 ラーラマリアが竜の腕を切り刻みながら肩にまで登った時であった。不意に女性の声が聞こえた気がした。


『やるのう。さすがは偽りのラーラマリアじゃ』

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